【3/16更新】印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2023/03/16

月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。

ボビー・コールドウェル『After Dark』

突然の訃報を受けて聴きなおしてみたら、この人の豊かな才能を再認識させられた

この連載では「亡くなったから取り上げる」みたいなこと、あまりしたくないんですよ。人の死を利用しようとしているみたいで、ちょっと嫌な感じじゃないですか。考えすぎかもしれないけれど。

だから、驚くほどのハイペースで多くの逸材が世を去っていっている今年も、それだけの理由でその人が残した名盤を取り上げることはなるべく避けるようにしていたんです。

ただ、そうはいっても「この人は話が別」という、つまり「（少なくとも自分にとっては）取り上げないわけにはいかない」アーティストもいるわけで、たとえばボビー・コールドウェルもそのひとりがだったのでした。

自分にとって大切な人が世を去ると、少なからず「なぜ、この人が？」というような思いにかられるものです。人は誰でも死ぬけれど、「いま、このタイミングでその人が亡くなる理由がわからない」というように。彼も、まさにそういう存在だったわけです。

ソングライター、マルチ・ミュージシャン、そしてヴォーカリストとしてマルチに才能を発揮してみせた“ミスター・AOR”。16歳の高校1年生だった年にデビュー・アルバム『Bobby Caldwell（邦題：イヴニング・スキャンダル）』を聴いた時点で、僕もすっかり魅了されたものです。そのときのことについては2018年夏の原稿でも触れましたけれど、ともあれ以後も1980年のセカンド『Cat in the Hat（なぜか邦題は『センチメンタル・キャット』）から生まれた“Coming Down From Love（なぜか邦題は“センチメンタル・サンダウン”）”、1987年に大ヒットした“Heart of Mine”など数々の名曲を生み出していったのでした。

生前には、2度ほどインタヴューをしました。2018年の原稿には「2度目が2012年作『ハウス・オブ・カーズ』リリース時だったことは覚えてるんだけど、1度目はいつだったかな？」と書きましたが、訃報が届いた昨晩、記憶をほじくり起こしてみたら思い出しました。初めて会ったのは、2005年作『パーフェクト・アイランド・ナイツ』のリリース・タイミングだ。ここには故・坂本九さんの名曲“Sukiyaki”のオリジナル曲である「上を向いて歩こう」が収録されており、坂本さんと友人関係にあったという彼は、「この曲のメロディラインって洋楽っぽいんだよね」と語ってくれたのです。で、そのあとが2012年作『ハウス・オブ・カーズ』のリリース時。7年ぶりの再会だったのに僕のことを覚えていてくれて、すごく嬉しかった記憶があります。

ちなみに、これも前原稿に書いたことですが、あの人ってソフィスティケイトされたイメージとはちょっと違って非常に人間的な性格だったんですよね。少なくとも僕の知る限りでは。しょーもないオヤジギャグを連発してひとりでゲラゲラ笑っていたり、子どものころに好きなレコードを買って自転車で帰ったときの興奮状態を、自転車に乗るジェスチャーを交えながらうれしそうに再現してみせたり。そうしたことを思い出すたび、純粋にいい人だったなと思わざるを得ないのです。

ところでボビー・コールドウェルといえば、1996年の『ブルー・コンディション』や1999年の『カム・レイン・オア・カム・シャイン』などスタンダード・ナンバーのカヴァー・アルバムを何作か出していることでも知られています。今回ご紹介する2014年作『アフター・ダーク』もそのひとつ。

でも最初に白状してしまうと、僕にとっての彼は（あくまで“僕にとっての”ですが）やはりファーストやセカンド、あるいは『ハート・オブ・マイン』の人だったんですよね。そのため一連のスタンダード・カヴァー作品については、さほど熱心に聴いてきたわけではないのです。ただでさえ大御所たちがこぞってスタンダード・ナンバーを歌いはじめるような流れには、ちょっとばかり疑問を感じていたし。

けれど、悲しい知らせにショックを受けていた昨晩、『アフター・ダーク』を改めて聴いてみてよくわかりました。過去のロック・ミュージシャンがいきなりスタンダードを歌い始めるのとはまったく違い、ボビーのそれには“彼がそれを歌う理由”が明確にあるということが。考えてみると、デビュー当初から黒人シンガーを思わせる芳醇な表現を見せつけた彼の声とヴォーカル・スキルがスタンダードに合わないはずがないんですけどね。そのため、改めて考えてみれば「だから何枚もスタンダード・アルバムを出していたのね」と納得がいくのです。

しかもこれ、選曲にちょっとしたヒネりがあるんですよ。“瞳は君ゆえに”“わが街シカゴ”“フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン”などなど、全15曲中14曲はおなじみのスタンダード・ナンバーですが、それらはみな、かのフランク・シナトラが愛してやまなかった曲でもあるのです。つまりこの作品には、大先輩であるフランク・シナトラへのオマージュとしての側面もあるわけ。

そしてさらに注目すべきは、『イヴニング・スキャンダル』から生まれた代表曲“What You Won’t Do for Love（邦題“風のシルエット”）”のセルフ・カヴァー。同曲は過去にもリメイクされていますけれど、ここではビッグ・バンドとの相性のよさが際立ったジャズ・アレンジが施されており、ぐいぐい引き込まれてしまうのです。“風のシルエット（アフター・ダーク）”とアルバム・タイトルがサブ・タイトルとしてつけられているところからも、このヴァージョンに対する思い入れが伝わってくるよう……とは考えすぎでしょうか？

いずれにしても非常に説得力に満ちた、聴きごたえのある作品。ともすれば「もう、いなくなっちゃったのかぁ……」と感傷的になってしまいがちであるだけに、余裕を感じさせるヴォーカルも心地よいサウンドを、ただ前向きな気持ちで受け入れたいと感じます。

『アフター・ダーク【K2HD】』
ボビー・コールドウェル

『イヴニング・スキャンダル＋1 【K2HD】』
BOBBY CALDWELL

この連載が本になりました。

この連載が本になりました。厳選した30本の原稿を大幅に加筆修正し、さらに書き下ろしも加えた一冊。表紙は、漫画家／イラストレーターの江口寿史先生です。

ぜひお読みください！

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印南敦史プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
作家、書評家。1962年東京生まれ。音楽ライター、音楽雑誌編集長を経て独立。現在は書評家として月間50本以上の書評を執筆。ベストセラー『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)を筆頭に、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書）、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書に学んだライフハック――「仕事」「生活」「心」人生の質を高める25の習慣』(サンガ)ほか著書多数。12月14日発売の最新刊は『それはきっと必要ない: 年間500本書評を書く人の「捨てる」技術』(誠文堂新光社)。6月8日「書評執筆本数日本一」に認定。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」