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【11/2更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/11/02
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ザ・スリー・サウンズ『Introducing The 3 Sounds』
「カクテル・ピアノ」のなにが悪い? 思春期の少年に夢を与えてくれた、親しみやすいピアノ・トリオ


思春期のころ、「大人になってからの自分」を思い描いてみたりしたことはありませんか?

単純な話で、「こういう大人になりたい」という妄想をふくらませるわけです。しかも、ちょうど中二病的な年代なのですから、頭のなかで描写される“未来の自分”は理想論の塊のようなものになってしまうわけです。

たとえば僕の場合、観衆を沸かせるロック・ギタリストだった時期もありますし、スーツをビシッと着こなして夜の都会を楽しむビジネスマンだったりしたこともあります。

ロック・ギタリストからビジネスマンに転向するって、ありえねー展開ですけどね。でも、いいんです。妄想なんですから。

いずれにせよ、あのころ思い描いていた「ビジネスマンの自分」は、しばしば銀座あたりの洗練されたバーにいたのでした。ジャズ・バンドの生演奏を聴きながら、静かにウィスキーなどを舐めていたのです。

いかにも貧困な発想なので、こうして思い出しながら書いているだけでも気恥ずかしくなってきますがな。

さて、それから数年後のことです。あるときジャズの名門、ブルーノート・レーベルの作品がゴソッと再発されました。なにしろ若く世間知らずでしたから、以後も何度となく再発が繰り返されることになるとは知らず、「この機会を逃したらもう手に入らなくなるかもしれない」などと焦り、買えるだけでも買っておこうと思ったわけです。

とはいえお金がない時期ですから、買えたのはほんの数枚です。でも、あとから振り返ってみると不思議なのは、そのなかにザ・スリー・サウンズのブルー・ノート・デビュー作『Introducing The 3 Sounds』が含まれていたこと。

その時点でスリー・サウンズのことは知りませんでしたし、なぜこれを選んだのかはよく覚えていないのですが、おそらくは「知らないから」勉強のために買おうと思ったのだろうと思います。

買ってきたそのCDを初めて聴いたとき、思春期のころのあの妄想が蘇ってきました。なぜならスリー・サウンズのジャズは、イメージのなかにあったバーで流れていたそれに限りなく近かったからです。

「カクテル・ピアノ」という言葉があります。「バーでカクテルを楽しみながら聴くのに適したピアノ」だという意味。早い話がBGM的だということで、どちらかといえばピアニストをバカにした表現です。

スリー・サウンズの中心人物であるジーン・ハリスのピアノは、まさにカクテル・ピアノそのものでした。聴いてみれば誰もが、「ああ、なるほどね」と納得できるはずです。

つまりはわかりやすくて純粋に楽しく、極端な言い方をすれば、「ジャズっぽいムードに浸ってみたい」という人を満足させてくれるような音。以前取り上げたことのあるバド・パウェル とは対照的に、エンタテインメント要素がとても強いわけです。

でも、ハリスのオリジナル曲と並んで、「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」「オー・ソレ・ミオ」など、誰もが知っているスタンダード曲も収録されているので、このアルバムは聴いていて楽しいのです。

僕が敬愛する源氏鶏太という昭和の大衆小説家は、直木賞も受賞しましたし、80本以上の作品が映画化もしくはドラマ化されたという、驚くべき実績の持ち主です。

しかし、そうであるにもかかわらず、いまではほとんど知る人がおらず、作品もほとんどが絶版になっています(数年前から復刻されはじめましたが)。

おかしな話ですが、理由はいたってシンプルです。大衆小説である彼の作品に、“文学的な価値”があまりなかったから。要するに消費されてしまったのです。

でも、それはとてもナンセンスな話だと僕は思っています。文学的に高尚であるかということだけでなく、読み終えたとき幸せな気持ちになれることもまた、文学の価値であるはずなのですから。

おそらく、いまスリー・サウンズのことを語る人が少ないのも、同じような理由があるからなのだろうなと思います。

でも、わかりやすくて楽しいジャズがあったっていいじゃないですか。少なくとも、否定する必要なんかありません。「意味」や「歴史的価値」も大切だけれど、それだけが重要だというわけではないのですから。

だから僕はいまでも、このアルバムを聴いています。そして聴くたびに、「洗練された大人」になったような気分になるのです。

実際にはそんなバーにはめったに行かないし、そもそもウィスキーはあまり飲まないし、「エノテカ」でワインの10本1万円セールがあると喜んでいるようなオッサンなのですけどね。

でも、そんな感じで幸せな気分にさせてくれる音楽なのだとしたら、それはそれで充分に価値があると言えるのではないでしょうか。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」





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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」