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【8/2更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/08/02
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
バド・パウエル『ザ・シーン・チェンジズ』
奇跡のピアノ・トリオが掘り起こしてくれるのは、三鷹のジャズ・バーで人生を教わった記憶


昔、中央線沿線の三鷹という街に住んでいました。静かで知的で、とても住みやすかったので好きだったな。

そんな三鷹の南口、吉祥寺に近い側の飲み屋街に、「Blue Moon」という小さなジャズ・バーがあります。

そこに通うようになったのは、別の店で飲んでいるとき、たまたま横に座っていた青年と会話をしたことがきっかけでした。

「うちの親父が、すぐそこでジャズ・バーをやってるんですよ」

聞けばあるとき、その息子が家に帰ると、買ったばかりの新車がガレージから消えていたのだとか。不思議に思って父親にたずねたところ、「こんどジャズ・バーを開くんだけど、JBLのスピーカー買う金が足りなかったから車は売ってきた」という答えが返ってきたというのです。

絶対にヘンな人だ。

そう確信しました。それで強く興味を抱き、行ってみたら居心地がよくて、いつの間にやら通い詰めるようになっていたという展開。

マッキントッシュのアンプとJBLのスピーカー(ターンテーブルとCDプレイヤーは失念)でジャズを聴かせてくれる、どちらかといえばオーソドックスな店です。

僕はここで「なるほど、いい音っていうのは、こういう音のことをいうんだな」と感じたことがあります。そういう意味でも、お世話になった店。

なのですが、実はそれだけではないのです。というのも、僕はこの店でマスターの荒井さんから「生き方」についていろいろ教えてもらったのです。だから恩義を感じているのです。

別に説教されたわけではなく、ちょっとした話から学ぶことがとても多かったということなんですけどね。

マスターの本業はパタンナーで、昼間は洋服をつくっていたようです。いまはわからないけれど、当時はデニムのプライベート・ブランドもやっていて、何本か購入した記憶もあります。

そこまで「やる気」なら本業に専念すればいいのに……というのは、あくまで一般的な考え方。つまり彼にとっては、本業も夜のバー営業も、どちらも「やりたくてたまらないこと」だということ。

じゃないと、車を売ってJBLを買うなんてこと、なかなかできませんしね。

ただ当然のことながら、「好きなこと」をするには相応のリスクが伴います。ましてやデニムのブランドもジャズ・バーも、ドカンと儲かるものではないはずです。

つまり、決して経済的に潤っているわけではないのだろうということ。しかし、そういう空気を微塵にも感じさせない強さがマスターにはあるのです。店に通い詰めていたころ、僕はそう感じていました。

いまも大差ありませんが、あのころは僕も、お金のことで悩まされる毎日でした。同業者のなかでは恵まれていたほうだとも思いますが、とはいえ決して楽ではなかったのです。

だから精神的に追い詰められると、ふらっと「Blue Moon」のドアを開けたのでした。

他にお客さんがいなかったある晩、マスターに聞いてみたことがあります。「経済的に全然楽にならないんですけど、こういうのっていつまで続くんですかね」って。

そんな愚痴を聞かされたって、答えようがないに決まっているのです。が、マスターの答えはこちらの想像を超えていました。よく通る低い声で、はっきりとこう言ったのです。

「一生」

たったそれだけ。でも、その答えを聞いた瞬間、気持ちがスーッとしていくのを感じました。

なにしろ好きなことをやってるんだから、そりゃそうだよな。

なんだか救われた気がして、これからもがんばろうと思いました。

先日、なんの気なしにバド・パウエル『ザ・シーン・チェンジズ』をハイレゾで聴いてみたら、予想以上にぶっ飛びました。いうまでもなく、パウエルがブルーノート・レーベルに残した“ジ・アメイジング”シリーズの最終作。

名曲中の名曲「クレオパトラの夢」を含む、言わずと知れた傑作です。ポール・チェンバースのベース、アート・テイラーのドラムスとの相性もすばらしいこのピアノ・トリオ作品は、「Blue Moon」で何度も聴いた作品でもありました。

さんざん聴いてきたにもかかわらず、どうしてまたぶっ飛んだのかって、その音像のリアリティがすごかったのです。明らかにCDとは違う音。すぐ目の前で演奏しているかのようなリアリティは、どこかで体験したことがあるような気がしました。

そう、「Blue Moon」のオーディオ・システムのサウンドです。いわば、ていねいにチューニングされたあの店のシステムのサウンドの迫力を、ハイレゾが蘇らせてくれたということ。

だとすればそれは、このアルバムが収録された1958年12月29日のニュージャージーにまで、時空を超えて続いていくような気がします。

そんなバカなことを考えながらこのアルバムを聴いていたら、改めて「音楽ってすごいなー」と感じたりもしたのでした。

さて、いま僕は地元の荻窪に住んでいます。こっちに戻ってきてから、早いものでもう10年が経ちます。ときどき気になるのは、三鷹からずいぶん遠ざかってしまったこと。いや、たった3駅しか離れていないんですが、少なくとも夜の三鷹にはほとんど行くことがなくなってしまったのです。

でも、この原稿を書いていたら、ひさしぶりにマスターに会いに行きたくなってきました。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『ザ・シーン・チェンジズ』
/ バド・パウエル






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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」