ボビー・コールドウェル『イヴニング・スキャンダル』
南阿佐ヶ谷のカフェでの記憶と、ボビー本人の意外なキャラクター
荻窪駅前を走る青梅街道を、新宿方面に向かってしばらく進むと、荻窪と南阿佐ヶ谷との中間あたりに「RAMEN CiQUE(ラーメン チキュウ)」という有名なラーメン屋さんが見えてきます。
といっても、別にラーメンの話をしたいわけではありません。いまから40年ほど前(って、そんなに昔のことだったっけ?)、そのあたりにセンスのいいカフェがあったことに触れたいのです。
店名もおぼえていませんし、そもそも長くは続かず、短期間で閉店してしまった店です。しかし思春期まっただなかの僕は、そこでいろいろ貴重な音楽体験をしたのでした。
真っ白い小さな店で、ドアを開けるとすぐ左側がカウンター。右側には大きなテーブルがあり、その上の、斜めに傾斜がついた天井には2発のフルレンジスピーカーが埋め込まれていました。
そこから流れていたのは、当時の主流だったウェスト・コースト・ロックやAOR。つまりは当時の最先端です。めちゃめちゃおしゃれで、しかも家庭的な雰囲気でもあったので、僕もすっかり魅了されてしまったのでした。
なかでも特に鮮明に覚えているのが、あのフルレンジスピーカーでボビー・コールドウェルのファースト・アルバム『イヴニング・スキャンダル』を聴いたときのことです。
1978年にリリースされた、AORの名作として知られる作品。ちなみに念のために書き添えておくと、AORとは「Adult Oriented Rock」という和製英語の略称。早い話、大人の耳に耐える洗練されたソフト・ロック。
ちなみに、手もとにある国内版LPのライナーノーツには、「シルエットは揺れ動く スキャンダラスな夜、今夜はトロピカル・ランデヴーとシャレてみようぜ!」というよくわからないフレーズが掲載されています。
つまりメーカーとしては「おしゃれ」を強調したかったのでしょう。そういえば「トロピカル」や「センチメンタル」などは、ボビーの作品でよく見る単語でもありました。
そういう売り方自体は恥ずかしいのですが、しかし実際のところ、マルチ・ミュージシャンでもある彼の音楽性は、とてもおしゃれで洗練されていました。デビュー当時からすでに、そんな音楽性を確立していたのです。
オープニングの「スペシャル・トゥ・ミー」を耳にしたときは、少し戸惑いを感じたことを覚えています。その時点で彼が白人だということは知っていましたが、リズム・セクションの重量感やストリングスの使い方が驚くほど“黒人的”だったからです。
しかも、そんなサウンドに乗っかる、ちょっと鼻にかかったヴォーカルが心地よいったらありません。
カリンバの音が心地よいメロウ・グルーヴの「マイ・フレイム」、ソウル・ミュージックからの影響を感じさせる「ラヴ・ウォント・ウエイト」、バラードの「カム・トゥ・ミー」などなど完成度の高い楽曲ばかり。
ちなみにe-onkyoに用意されているのは、16bit/44.1kHzのマスター音源をビクタースタジオ FLAIRが有するオリジナル技術である「K2HDプロセッシング」を用いてハイレゾ化した音源。
それほどテクニカルなことに詳しいわけではない僕が聴いても、このアルバムの持ち味がとてもよい形で再現されていることがよくわかります。端的にいえば、とてもハイレゾに向いた作品だということ。
ところでボビー・コールドウェルには、これまでに二度ほどインタビューをしたことがあります。2度目が2012年作『House of Cards』リリース時だったことは覚えてるんだけど、1度目はいつだったかな?
もはや記憶は曖昧なのですが、おしゃれなイメージとは裏腹に、本人はなかなか泥くさいおっちゃんだったことが印象的でした。いや、悪い意味ではなく、むしろ褒め言葉。
たとえば、おやじギャグを連発して勝手にゲラゲラ笑っちゃうような、とても気さくな人だったのです。
そんなわけで、二度ともいい雰囲気で話をすることができました。
でも、南阿佐ヶ谷のカフェでこのアルバムを聴いたころには、数十年後にそんな彼の姿を見ることになるだなんて思ってもいなかったなー(そりゃそうだわ)。
◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」

『イヴニング・スキャンダル+1 【K2HD】』
/ BOBBY CALDWELL
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」