月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ジョニ・ミッチェル『ミンガス』
初めて買ったジョニ・ミッチェル作品を所有できたのは、ほんの数ヶ月間のこと
ジョニ・ミッチェルに関して、ここに書き残しておきたいと感じるアルバムの数は決して少なくありません。だからずいぶん前から、どの作品のことから書きはじめようかと悩んでいたのです。
で、その結果、やっぱり最初はこれしかないと感じたのが、1979年作『ミンガス』。
他にも傑作は多いですし、最初にこのアルバムを選ぶという方はあまりいないかもしれません。けれど僕にとって、『ミンガス』はとても重要な作品なのです。
初めて買ったジョニ・ミッチェル作品がこれだったし、しかも、それはほんの数ヶ月間しか所有することができなかったから。
タイトルからもわかるように、ジャズ・シーンの巨匠であるチャールズ・ミンガスとの共作。中心的な位置にあるのは、ミンガスによる曲にジョニが詩とヴォーカルを載せた3曲。
他はジョニのオリジナル曲やミンガスの肉声などで構成されており、収録時間も37分半ぐらい。きわめて変則的であるわけですが、そこには理由があります。実質的な主役たるミンガスが、アルバムの完成間近に他界してしまったのです。
ミンガスは晩年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を患ってベースを弾けなくなり、以後は車椅子生活を余儀なくされました。ただし作曲・編曲活動は死の直前まで続けており、この作品もそんななかで生み出されようとしていたものだったのでした。
事実、気難しいことで知られていた彼も、この作品については好意的だったのだとか。しかし、そんな思いが叶わぬまま他界してしまったことから、ジョニを筆頭に、ジャコ・パストリアス(b.)、ウェイン・ショーター(sax.)、ハービー・ハンコック(key.)らによってこのアルバムが生み出されたのでした。
とはいえ完成度はとても高く、白いキャンバスの上に必要最低限の色をつけていくようなミニマルなサウンドには、不思議な心地よさがあります。ジョニの原点であるフォークでも、ましてやジャズでもなく、あえていうなら『ミンガス』というジャンル。
少なくとも僕は、そう感じています。
無駄な音は徹底的に排除され……というより、そもそも必要最低限の音数だけで構成されているため、静寂のなかから強烈なメッセージが叩き出されるかのような印象があるのです。
なかでも特に印象的なのは、ジャコのベースが際立つ“God Must Be a Boogie Man”、狼の鳴き声をコラージュした中盤の“The Wolf that Lives in Lindsey”、それからジェフ・ベックがカヴァーしたことでも有名な“Goodbye Pork Pie Hat”あたりかな。
『ミンガス』がリリースされたのは1979年の初夏で、僕は高校2年生でした。たしかラジオで聴いて気に入り、吉祥寺の「レコード・プラント」で買ったのだったと思います。
お金がなかった当時の僕は基本的に廉価盤か中古盤しか買っていなかったのですけれど、これは新譜の価格で買ったのかな? そのあたりの記憶は曖昧なのですが、穏やかな気候の午後に、自分の部屋でこのレコードを聴いたときの光景はなんとなく覚えています。
それまでの自分が聴いたこともないようなサウンドが印象的だったし、ジョニが描いたというジャケットもよかったし、「レコード・コレクションにすばらしい作品が加わったな」と非常に満足したのでした。
ところが冒頭で触れたとおり、このレコードと過ごした時間はとても短かったのです。夏ごろから秋までだから、わずか3、4か月。
なぜって、近著『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)にも書いたとおり、この年の10月末に家が火事になって、持ち物をすべて失うことになったから。
コツコツと集めた他の数百枚のレコードと同じように、『ミンガス』も焼けてなくなってしまったわけです。
いま思えば、火事のあとは僕もずいぶんやつれていたものです。だからそう考えると、このアルバムが思い出したくない記憶を蘇らせてしまう可能性だって十分にあるわけです。事実、こう書いているだけで、焼け焦げたもののいやな匂いを思い出してしまったりもするし。
そう考えると、つらい記憶と直結した作品なんか聴きたくもないと感じても不思議ではありません。なのに『ミンガス』を聴くと、なぜかそういうネガティブな気持ちにはならないんですよね。
それが、音楽の力というものなのでしょうか?

『Mingus』
Joni Mitchell
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