【5/17更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/05/17
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
マイケル・ジャクソン『Off The Wall』
アイスコーヒーを飲みながら、井上と聴いた“Don’t Stop ‘Til You Get Enough”


早いもので、もうあと数ヶ月もすれば夏ですね。え、気が早い? そんなことないぞ。「これから梅雨じゃーん」とか思ってると、気がつけば夏になっていたりするんだぞ。恐ろしや。

ってな話はともかく、夏が近づいてくるとマイケル・ジャクソンの『Off The Wall』を聴きたくなって、『Off The Wall』を聴くと、高校1年のとき同じクラスだったI上のことを思い出すのです。

って、“I上”って無駄に読みづらいですね。早い話が井上です。

部活をやっていたかどうかは定かではありませんが、井上は外見的には野球部タイプ。シャキッと精悍で、屈託のない男でした。

席が近かったこともあり、「仲がよすぎず、悪すぎもせず」といったちょうどいい関係でした。しょっちゅう一緒にいたり長話をしたりするわけでもないけど、お互いそこそこ信頼しあっていたような感じ。

2年になってからは会う機会も減っていったのですが、1年生だったその年、すなわち1979年の夏休みに思いがけず再会したことがありました。そして、なぜだかそれが記憶に刻まれることになったのでした。

井の頭公園の青々とした緑に囲まれた吉祥寺通りを、吉祥寺駅方面に向かって自転車で走っていたときのことでした。

「お~う!」

前から、やけに馴れ馴れしい男が、手を大きく振りながら近づいてきたのです。白いTシャツにオーバーオール姿のそいつは、よく見ると井上でした。

学校は制服でしたから、それ以前は学ラン&ボンタンのスタイルしか見たことがありませんでした。だからすぐには気づかなかったのですが、初めて見る私服はなかなか似合っていました。

井上は夏休み中の思いもよらない再会を新鮮に感じたようで、満面の笑みで「こぉんなところで会うとはなぁ!」とやたらとうれしがっていました。

で、「せっかくだから、サテンでも行くべ」ということになったのでした。参考までに記しておくと、「サテン」とは喫茶店のことであり、「べ」は少なくとも三多摩地区の不良高校生の間では日常的に用いられていました。

吉祥寺の喫茶店に入ると、流行っていたマイケル・ジャクソンの“Don’t Stop ‘Til You Get Enough”がかかっていました。ご存知のとおり、『Off The Wall』からのファースト・シングル。

「あ、これ好きなんだよね」

井上が言いました。

「え、おまえマイケル・ジャクソンとか聴くの? 知らなかったわー。っていうか、考えてみると音楽の話なんかしたことなかったな」
「そーだね。だって別に俺、音楽に詳しいわけじゃないし」

井上は、なんだか飄々としているのでした。

その店では『Off The Wall』のLPをかけていたようで、どうでもいい話をしていると、やがて曲は“Rock With You”へとつながっていきました。するとまた2人の高校2年生は「これもいーよねー!」と無駄に盛り上がるわけです。

キンキンに冷えた銅製のアイスコーヒーカップが汗をかいていて、手で持ち上げると水滴がテーブルに落ちました。

とくに重要な話をしたわけではなく、それだけです。ただ、学校外で会うのは初めてだったし、しかも夏休みだったので、ノリで盛り上がってしまっただけのこと。

なのにいまでも記憶が鮮明なのは、『Off The Wall』のおかげなのかな? それとも、井上の天真爛漫なキャラのおかげかな?

井上とはそのあと、なんとなく離れていったのだと思います。とくになにか問題があったわけではなく、クラスが変わってしまったから、2学期以降はなんとなく接点がなくなっていったというだけのこと。

けれど、あれから40年経った(え、そんなに経っちゃったの?)いまでも、ほんの数年前のことのように感じるのです。

あいつ、どこに住んでたんだっけ?

高校が嫌いだった僕は卒業式も出なかったし(忘れて遊びに行ってた)、あとから取りに行った卒業証書も卒業アルバムも捨てちゃったから、確認のしようがないや。

でも、また会いたい気がするな。話したいことがあるわけではないけど、そろそろアイスコーヒーがおいしい季節だし。

あ、でもお互いにもう大人なんだから、次に会うときはビールかな(会えればの話)。




◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『Off the Wall』
Michael Jackson



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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