【4/20更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/04/20
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』
DSD音源のポテンシャルの高さを実感できる、クロスオーヴァー/フュージョンの先駆け


「左右のスピーカーと、正三角形になる位置に座って。そうそう、そのあたりでいい」
「…………」
「じゃあ、かけるね……」

近所の喫茶店で知り合ったN村さんは、そう言って仰々しくレコードに針を落としたのでした。もう、緊張するしかないじゃないですか。というか緊張する理由もなかったのですが、緊張を強いられたといいますか。

当時、僕は17歳くらい。N村さんは大学生でしたから、おそらく3歳ほど年上だったのだろうと思います。彼はおとなしいタイプでしたが、しかし音楽に対する情熱がハンパなく、いつもこうしてオススメのレコードを聴かされていたのでした。

いまでは考えられませんが、少なくとも1970年代後半あたりまでは、自分の好きなものを押しつけて来るような人は少なくありませんでした。

それが政治的信条だったりすると非常に面倒だったのですが、N村さんの場合は音楽のことしか話題にしませんでしたから、こちらとしてもまだ楽だったかもしれません。

とはいえ、やっぱりたまったもんじゃなかったんですけどね。そもそも僕は、レコードを財宝のように扱うことに抵抗を感じていましたから、そんなN村さんを見て「なんだかな〜」と感じていたわけです。

だからその数年後、クール・ハークやグランドマスター・フラッシュなどニューヨークのDJがレコードをこすりはじめたときには、「ざまーみろ」と思ったものです(素直じゃないなー)。

ともあれその夜は、そうやって儀式のように『リターン・トゥ・フォーエヴァー』というアルバムを聴かされ、N村さんによる「解説」も拝聴することになったのでした。

でもN村さんの、そのサービスがもたらしたものは、このアルバムへの抵抗感でした。内容に問題があるわけではなく、押しつけられたことがトラウマになってしまったため(そんな大げさな)、以後数年は、本作を意識的に避けていたのです。

結果的に、それは大間違いだったんですけどね。

リターン・トゥ・フォーエヴァーは、キーボード奏者のチック・コリアと、ベーシストのスタンリー・クラークを中心としたグループです。名義はチック・コリアになっているけれど、実質的にはグループ。

何度もメンバー・チェンジがありましたが、本作『リターン・トゥ・フォーエヴァー』はチック・コリア(エレクトリック・ピアノ)、スタンリー・クラーク(ベース)、アイアート・モレイラ(ドラムス)、ジョー・ファレル(フルート、ソプラノ・サックス、ピッコロ)という編成。

そんなところからもわかるとおり、ジャンル的にはフュージョンということになります。が、1972年には、まだフュージョンという言葉はなかったと思います。

僕の記憶では1977年ごろにクロスオーヴァーと呼ばれるジャンルが登場し、やがてそれはフュージョンと呼ばれるようになっていったはず。だとすれば、1972年当時にどのような位置づけだったのかな?

そのことについて、僕にはっきり定義づけることはできないんですけどね。当時は小学生で、天地真理とか聴いてたし。しかしどうあれ、本作がそのジャンルの先駆けであったことは事実です。

さて、70年代中期以降のクロスオーヴァー〜フュージョンをリアルタイムで聴いていながらも、上記の理由で『リターン・トゥ・フォーエヴァー』だけは避けていたという屈折した僕が、それが無駄な行為であったことを痛感させられたのは、N村さんが就職のため故郷に戻ってからのことでした。

たしか70年代の終わりか、80年代の頭くらい。

あるとき、「押しつけられたとかそういうことはもういいから、改めて聴いてみようかな」と思って聴いた結果、大きな衝撃を受けたのです。

「これって、こんなにすごいアルバムだったっけ?」

ミステリアスにスタートする冒頭のタイトル・トラックからして、もう僕のツボそのもの。続く「クリスタル・サイレンス」も深く心地よく、「ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ・トゥデイ」のやさしげな雰囲気も印象的。

そしてなにより、23分にもおよぶラストの「サムタイム・アゴー〜ラ・フィエスタ」が圧巻のひとこと。中盤以降の洗練されたグルーヴ感は、ため息が出るほどです。

トラウマチックな体験の影響だとはいえ、偏見を引きずっていてはいけないなと思いました。そしてそれから何度も何度も聴きなおし、遅ればせながら『リターン・トゥ・フォーエヴァー』は生涯の愛聴盤になったのでした。

だからハイレゾを始めたときにも、かなり初期段階でダウンロードしたのは当然の成り行きでした。しかもe-onkyoにあるのはさらに高音質なDSD音源なので、チック・コリアやスタンリー・クラークがすぐそこで演奏しているかのようなリアリティがあります。

そんなわけでハイレゾを知って以降、ひさしぶりの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』ブームが再来中。いまなら、N村さんの気持ちがなんとなくわかる気もします(最初から素直になっていればよかったのに)。




◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『リターン・トゥ・フォーエヴァー』
/ チック・コリア






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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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