【独占配信】伝説のジャズ・レーベル「スリー・ブラインド・マイス」に残された秘蔵音源2作をハイレゾ配信

2022/12/15

1970年に設立され、鈴木勲、山本剛、土岐英史、峰厚介、日野皓正、日野元彦、中村照夫ら日本のジャズ・ジャイアンツの作品を数多く世に送り出した伝説のレーベル、スリー・ブラインド・マイス(Three Blind Mice)。そのスリー・ブラインド・マイスに残された秘蔵マスターテープより、鈴木勲、日野元彦による未発表ライブ音源が、40数年の時を経て遂にリリースされる。今回この未発表音源をリリースするのは、スリー・ブラインド・マイス同様に日本のジャズにこだわりリリースを続けるレーベル「Days of Delight」。更に、アナログ・マスターからのトラックダウンは、音質には絶対的な定評のあったスリー・ブラインド・マイスのサウンドを長年に渡り手掛けてきたエンジニア、神成芳彦氏の手によるもの。そして今回のリリースに際して、何とデジタルではe-onkyo musicでのハイレゾ音源のみが配信される。このリリースを記念して、e-onkyo musicではオーディオ評論家の小原由夫によるサウンド・インプレッションと、DJ/ライターとして活躍する大塚広子をナビゲーターに迎えた、元TBMプロデューサーの藤井武とDays of Delightプロデューサーの平野暁臣のインタヴューを掲載。



スリー・ブラインド・マイスの秘蔵音源がいま蘇る!


名盤『流氷』から3ヶ月、録音メンバーが再び火花を散らす!
Flying Clouds
日野元彦カルテット+2


残されていた2インチの録音テープからマスター音源を制作!
トラックダウンは“TBM サウンドの番人”神成芳彦!

1. 流氷
2. Olive's Step
3. Flying Clouds
(1976.5.27 東京・ヤマハホールにてライヴ録音)
プロデュース:藤井武/録音&ミックス:神成芳彦

【演奏】
日野元彦 Drums
山口真文 Tenor Saxophone
清水靖晃 Tenor Saxophone
渡辺香津美Guitar
井野信義 Bass
今村祐司 Percussion


「トラックダウンをしてみたら、当時22歳の香津美と山口真文(29歳)の驚くべきインプロに思わず耳を疑った。トコちゃん30歳、井野信義26歳、清水靖晃は20歳という若いグループながら、この年(76年)2月7日の根室市民会館でのライヴ盤『流氷』では、今最先端のストレートアヘッドなジャズを展開して大いに受けた日野元彦カルテット+1の、3か月後の“5Days in Jazz 76"の最終日〈スーパー・コンボの夕べ〉の録音だ」


― 藤井 武( 元TBMレコード プロデューサー)




名盤『オランウータン』録音翌月に繰り広げられた白熱のライヴ!Blue Road
鈴木勲カルテット+2


残されていた2インチの録音テープからマスター音源を制作!
トラックダウンは“TBM サウンドの番人”神成芳彦!

1. Blue Road
2. Where Are You Going?
3. Bird of Beauty
4. Orang-Utan

(1975.5.26 東京・日本都市センターホールにてライヴ録音)
プロデュース:藤井武/録音&ミックス:神成芳彦

鈴木勲   Bass, Cello, Electric Piano  
森剣治   Alto Sax, Bass Clarinet, Flute
渡辺香津美 Guitar
守新治   Drums
河上修   Bass, Electric Bass (Except Track #3)
中本マリ  Vocal (Track #2, #3)


「最後は、鈴木勲の意欲作で“オランウータン”。この曲でオマサンは、どうしたら凄い即興演奏を引き出せるかという難題に挑戦して、曲の構成で見事に成功している。森剣治のバスクラが雰囲気を創り、奔放で凄まじいアルト・ソロと、香津美の湧き上がるアイデアのギター、そしてオマサンの強力なベースが聴きものだ」


―藤井武( 元TBMレコード プロデューサー)




サウンド・インプレッション by 小原由夫


 日本ジャズの黎明期を支えたスリー・ブラインド・マイス(TBM)から、よもや未発表音源が発掘されるとは! しかも半世紀近くも眠っていたのだから驚きである。
 それはTBMの屋台骨として人気を二分したリズムのキーマン、日野元彦と鈴木勲のそれぞれのカルテットのライヴ盤だ。これら音源は、TBMの元オーナー兼プロデューサーの藤井武氏が所蔵していた2インチ録音テープ。 そこからのトラックダウンとマスタリングを担ったのは、ご存じTBMサウンドを作り上げたレジェンド・エンジニア神成芳彦氏である。各々50分から60分という充分な尺である点も嬉しい。配信フォーマットは96kHz/24ビットFLAC。リリースは、粋のいい若手邦人ジャズメンを近年サポートしているDays of Delightレーベルから。

 日野元彦カルテットは、根室での伝説のライヴ盤「流氷」収録の3ヵ月後というから、グループとしての結束も最高潮というところだろう。何しろ演奏がとんでもなく熱い。リーダーの日野が最年長の30歳で、他は皆20代という点もあるが、プレイから覇気がビンビン伝わってくるのだ。またユニークなのは、管がテナーサックス2本という点。よくあるアルト+テナーでないのがミソで、より重心が低く、分厚いダイナミクスが生まれているのは、そうした所以もありそうだ。
 20分超の「流氷」の冒頭、今村祐司のパーカッションと共に日野が鮮烈なアクセントを繰り出し、井野信義のベースが野太い胴鳴りでそれに応える。テーマメロディーを奏でるテナーのユニゾンが実に重厚。続く渡辺香津美作「オリーブス・ステップ」でも丁丁発止のプレイは続き、サックスやギターの炎のようなインプロビゼーションの後ろで、どんどん火を焼べるがごとくそのソロをプッシュする日野のドラムが圧巻だ。

 鈴木勲の音源も、名盤「オランウータン」の録音の翌月のライヴということで、こちらも負けず劣らず熱い演奏だ。鈴木はベースはもちろん、お馴染みのチェロ、さらにはピアノも弾くという活躍で、「ブルー・ロード」の演奏をグイグイ牽引していく。
 ゲスト・ヴォーカリスト中本マリが参加する2曲は、インプロヴィゼーション主体の他の曲とは対照的なジャジーかつ爽やかさで聴かせる。しかし「オランウータン」で再びホットなぶつかり合いが勃発。森のバスクラで始まるイントロはアバンギャルドな雰囲気もあり、それに導かれるような鈴木のベースのピチカートがイマジネーションを拡張する。ドラムやギターもさらに絡んでスペイシーな緊張感と共に、ダイナミックな音が躍動する。

 驚くほどの高い鮮度で蘇った秘蔵のアーカイヴ。あの時代、白熱した和ジャズの古の閃光を、確と聴くべし!




藤井武&平野暁臣 スペシャル・インタヴュー


スリー・ブラインド・マイスに残された秘蔵音源2作のリリースを記念して、元TBMプロデューサーの藤井武氏とDays of Delightプロデューサーの平野暁臣氏のお二人にインタヴューを敢行。ナビゲーターはDJ/ライターであり、自身もレーベル・プロデューサーとしてKey of Life +を主宰する大塚広子氏。
今回のリリースについてはもちろん、レーベルやジャズについての思いを伺った。



――今回Days of Delightから、Three Blind Miceの未発表ライブ音源がリリースされました。まず、Days of Delight(以下DOD)と、Three Blind Mice(以下TBM)のレーベルの成り立ちについてお聞きしたいと思います。

藤井:TBMは、1970年にスタートして2005年の10月に僕がソニー・ミュージック・ダイレクトに譲るまで、35年プロデュースに携わっていました。高校3年の秋に決心したんです。30歳になったとき、もし日本にジャズのマイナーレーベルが生まれていなかったら、そのときはオレがやろうとね。背景としてあったのは、1968年頃からジャズを取り巻く状況が世界レベルで地殻変動を起こし、日本においても“ジャズ・ナショナリズム”というべき状況になったこと。日本人ジャズマンたちが「アメリカの真似だけじゃ面白くない、自分たちのジャズをやろう、俺の考えるジャズはこうだ」と言い始め、日本のジャズがどんどん活性化していったんです。でも当時それを受けとめられるレーベルはなかった。売れるものしか作らないメジャーレーベルしかなかったからです。

平野:僕のレーベルは、2018年10月にスタートしました。もうすぐ還暦という時に、これまで本業で培ってきたさまざまな実績、経験、スキル、人脈の一切が通用しない世界で、自分がどこまでできるか試してみたくなったんですよ。本業とは全く違うことをやりたかったし、なるべく遠いところに行きたかっただけで、対象はなんでもよかったんです。

藤井:それ以前は空間メディアプロデューサーとして、いろいろやってこられたもんね。万博の日本館とか六本木ヒルズとか。

平野:はい。何をやろうかと思いを巡らせている時、真っ先に考えたのは、趣味ではなく仕事としてやろうということでした。趣味には失意や絶望がないぶん、歓喜もないでしょう? だからきちんとリスクを伴う仕事として取り組もうと。ジャズを選んだのは、単純にジャズが好きだからだけど、半世紀にわたってぼくの人生を豊かにしてくれたジャズにわずかでも恩返ししたいという気持ちもありました。その場合、音源を作るか、ライブハウスのどちらかだなと。

――音源を作る方を選んだんですね。ライブハウスではなかった理由はなんですか?

平野:待っているのではなく、こっちから届ける側にまわりたいと思って。僕はレコードで育っているので、当時は今の7~8000円くらいしたLPを迷いに迷って選び、家に持って帰る道すがらの幸福感、針を落とす瞬間の喜び、裏返す時の儀式的なアクションまで、音楽を“所有する”愉しさが身体感覚としてからだに刻まれているんです。だから、配信だけでなく、CDなどフィジカルなメディアにこだわり、それを日本全国に届けたいと思ったんです。あと、これはTBMの教えですが、フィジカルをつくる際には、演奏のクオリティ、音の質感、アートワーク、これを三位一体と考える。それがレーベルのアイデンティティを作るわけだし、それによって人々のレーベルに対する信頼感や共感が生まれるからです。

藤井:僕としても、日本のジャズは2000年以降もすごくいい人がでてきているのに、いい音質で聴ける音源がなくなっていると感じていたんです。そんなときにDODが出てきて、かなり衝撃でした。日本でかっこいいレーベルが出てきたなと。

――私も、自分の場所からみた日本のジャズのかっこよさを伝えたくて自分のレーベルでコンピレーションやRM jazz legacyというユニットをつくりました。それが2014年で、その後スタートしたDODにはとても刺激をもらいました。

藤井:いつだったか偶然ネットで平野さんのインタビューを見て、「僕と同じことを考えている人がいる」と嬉しくなってね。ぜひ話をしてみたいと思って、一生懸命連絡先を探して平野さんに電話をしたんですよ。

――こうしてお二人が繋がったのが2022年の初めですね。今回の未発表音源のリリースは、どんなきっかけでスタートしたのですか?

平野:藤井さんにいろいろお話をうかがっているうちに、未発表のマスターテープをお持ちだということを知ったんです。なにしろTBMの秘蔵音源ですからね。そりゃ聴いてみたいじゃないですか。なので、ぜひ聴かせてくださいとお願いしたんです。

藤井:ただ、そうは言われても2インチのアナログテープですからね。そう簡単に聴ける代物じゃない。いまこのテープを掛けられる機材を持っているスタジオはほとんどありませんからね。そこでテープを音響ハウスに持ち込んで、窯焼き(*)からやってデジタル化したんです。未発表のマスターテープは他にもあるけれど、DODのラインにフィットするのはこのトコ(日野元彦の愛称)とオマスズ(鈴木勲の愛称)だろうと思って。オマスズは3月に永眠したので、追悼盤としての意味も込めてね。

平野:半世紀前から見続けてきたプレイヤーたちですから、感慨もひとしおです。このまま闇に消えていたかもしれない貴重な音源が白日の下に姿を現したわけですから、素晴らしいじゃないですか。僕たちふたりだけで聴いてどうする!と思ってリリースを決めました。そしてもちろん、エンジニアは神成さん(**)でなければならない。幸運にも藤井さんが連れ出してくださいました。

インタヴューにこたえる平野暁臣氏(左)と藤井武氏(右)


――この音源は、2つともTBMが開催していた「Live In 5 DAYS」のライブですよね。

藤井:そうです。2つとも頭から最後まで順番も変えず、当日のライブがそのまま入っています。Live In 5 DAYS はTBM企画のライブですが、事前にリリースすることを決めて録った作品はおそらく2つか3つしかないと思う。それ以外は、後から聞いて面白かったら出すよと了解をとって出したものです。今回の2作品は、同じ時期に同じメンバーで録った鈴木勲カルテット+2『オランウータン』(75年)、日野元彦カルテット+1『流氷』(76年)があったし、若干のトラブルもあったから、当時は出そうとは考えなかったんです。

――トラブルというと?

藤井:日野元彦カルテットの方は、当日のトコちゃんが完調ではなかったし、実はサックスのソロの途中でテープがブツンと切れちゃって。当時はつなぎようがなかったけど、今のデジタル技術なら、わからないようにつなぐことができる。インプロのパートだからリズムがちゃんとあってればわからない。まさかここで切れているとわかる人はいないだろうと思います。実はこの日、トコちゃんが当日の早朝成田に着いたんです。兄貴の日野皓正のニューヨークのレコーディングが一日延びちゃったんだけど、どうしても5 DAYSには出たいからって、飛行機に飛び乗ってくれてね。仮眠しかしてないし、ジェットラグもあって体調が万全じゃなかった。ちょうど今村ゆうちゃん(今村祐司・パーカッション)が楽屋にいて、俺でよかったら手伝おうかと言ってくれたんです。だから「流氷」の最後のソロパートはそっくりコンガソロになっちゃった。こんなことってライブでしかありえないんですよ。

今回リリースされた音源の2インチ・アナログ・マスター



――鈴木勲カルテット+2の『BLUE ROAD』についてはどうですか?

藤井:こっちの方はね、曲によって録音の仕様が違っているんです。1曲目の“BLUE ROAD”だけ、確か8チャンネルで回したんじゃなかったかな。だからドラムは2チャンネルしか使えない。それ以外の3曲は16チャンネルで録ってます。耳のいい人だったら、ドラムやベースの音の違いがわかるかもしれない。

平野:演奏しているミュージシャンたちには、のちに作品になるという意識がまったくない。だから肩に力が入っていないし、自然に、自由に演っている。作品として整然とまとめようなんて考えてないから、その分演奏は長いけど、ライヴならではの熱量がすごい。

――だから意味があるし、おふたりの共鳴があったからこそ実現したんですね。





――神成さんとのトラックダウンはどんな現場だったんでしょう?


平野:これはこういう感じにしたいという基本方向を藤井さんが決め、それを受けて神成さんがセカンドエンジニアに具体的な指示をしながら詰めていく。デジタル機材の操作に慣れている若いエンジニアに、この部分のこのチャンネルをもう少し上げてみて、といった具体的な指示を繰り返し、調整していくわけです。それを藤井さんが横で見ていて、これでいいとか、ここはもうちょっとこうじゃないか、と神成さんに相談する。そうやってふたりの間で収斂させていくんです。

藤井:具体的にいうと、トップシンバルはもっとちょっと伸びるようにしないか、というようなことですね。高い音がきっちり出てないと面白くないんですよ。中間の音はソロをとっている楽器がちゃんと聞こえればそれでいいんです。僕は、ソリストだから前に出すようなやり方は好きじゃないから、その場で鳴っているものをそのまんま、力強さもそのまんま残したい。神成さんとは長年やってきているので、そういう基本的なことは言わなくても、彼はすべてわかっています。

平野:藤井さんと神成さんのやりとりは、1曲あたりせいぜい数回程度です。音作りのコンセプトはバチっと定まっているし、ふたりはずっと一緒にやってきているので、言わなくても以心伝心で分かっている。トップシンバルをもうちょっとこういう風に、というのは、16チャンネルもある中のごくごくわずかなディテールだけど、「神は細部に宿る」といわれるように、それをちょっと変えるだけでピリッと締まるんですよね。

藤井:神成さんは実際現場で録音しているからね。状況も全部自分で分かっているから。

トラック・ダウンの様子。左がTBMのサウンドを支えたエンジニア、神成芳彦氏



――この2作は、CDの他にデジタルでは、e-onkyo musicでのハイレゾダウンロードでのみ聴くことができます。ハイレゾ配信に関してはどのように感じていますか?


平野:いま若い子たちは携帯で圧縮された音源を聴いているし、それが時代の趨勢なのかもしれないけれど、だからといって音の質感や解像度の意味や価値が減衰したとは思いません。むしろそうであるからこそ、音質の重要性は今後ますます高まるだろうと思います。とりわけジャズは音の質感がとても大事な音楽です。だからハイレゾ配信には期待しているんです。近いうちにきっと揺り戻しがありますよ。

藤井:LPなどとは違ってハイレゾなら時間の制約がないから長い尺でもかけられる。これから配信の世界も変わってくるかもしれないね。

――フル尺でリアルにライブを再現することは当時にはできなかったことですし、ハイレゾだからこそ、この作品が生きてくるわけですね。

藤井:僕は「いまそこで生まれているのがジャズなんだ」と言い続けている。ジャズとは“いまこの瞬間の音楽”であり、ジャズの真髄は生演奏ですよ。でも、そうであるがゆえに、ジャズの演奏はそのときだけで空中に消えちゃうから、録音という形で記録しない限り、だれも聴くことができない。だから僕はライヴ盤をたくさんつくったんです。たとえばTBMで出した日野皓正の『ライヴ!』というアルバムがあるんだけど、これは彼がドイツに行く前のリサイタルを収録したもの。僕が録ることにしたのは、「当時いろいろレコード会社に当たったけど、フリージャズはダメだと断られた」という話だったからです。ヒットした『HI-NOLOGY』みたいのならいいけどってね。僕は「それはないだろ、今の彼が一番面白いんだから」と思った。それでTBMで出したら、その年のトップ2になったんです。トップはオマスズの『Blow Up』で。僕がやらなかったら残っていなかった。そんなことがいっぱいありますよ。

平野:実際もしTBMがなかったら、日本のジャズにはぽっかり穴が空いてしまったはず。それどころか、穴が空いていることすら気づかなかったでしょう。TBMがあったからこそ、日本ジャズにしっかりとした土台・地層ができ、その上に我々が立っている。日本のジャズシーンがもっとも熱く野心的だった時代を今に伝えるTBMの仕事の意義と価値は、きわめて大きく、決定的だったと思います。もし藤井さんがいなかったら、日本のジャズ史は全く違うものになっていますよ。

*経年劣化による磁性体の剥がれを防ぐため、専用の乾燥機を使用して行う処理のこと。
**スリー・ブラインド・マイスの専属エンジニアとして、長きに渡りレーベルのサウンドを支え続けてきた。






【藤井武】 元〈Three Blind Mice〉プロデューサー
1941年生まれ。1970年、29歳でジャズ専門レーベル〈Three Blind Mice〉を設立。2014年までの間に約140枚のアルバムを制作。メジャーレーベルで作品制作の機会に恵まれない若手や実力派を積極的に起用し、日本のジャズシーンに新風を吹き込んだ。峰厚介、鈴木勲、土岐英史など、のちに日本ジャズ界を牽引するプレイヤーのデビュー作を次々に送り出し、画期的な試みとして評価の高い『銀巴里セッション』(1963)を世に紹介するなど、多くの功績を残した。




【平野暁臣】 空間メディアプロデューサー/岡本太郎記念館館長/〈Days of Delight〉プロデューサー
1959年生まれ。大阪万博で岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、セビリア万博日本館、六本木ヒルズアリーナ、《太陽の塔》再生プロジェクトなど、イベントやディスプレイ等の“空間メディア”の領域で多彩なプロデュース活動を行う。2018年日本ジャズに特化したジャズレーベル〈Days of Delight〉を創設。これまでに34枚のアルバムをリリースしている。




【大塚広子】 DJ、選曲家、ライター、プロデューサー、二児の母。
新聞や音楽専門誌、ライナーノーツなどに執筆。トリオ・レコーズ、ブルーノート姉妹レーベルのサムシン・エルス、DIW、サラヴァなどのレーベル公式コンピレーション/ミックスCDなど、編集盤の選曲も多数。全国各地、スペイン、ニューヨークでのゲストDJ出演、2度のフジロックフェスティバル、東京JAZZでのDJの他、企業の音楽イベントプロデュース、ラジオ番組への出演、ジャズ及びアナログレコード普及におけるオピニオンリーダーとして各メディアで活躍。また自身のレーベルKey of Life+を主催し、コンピレーションシリーズ(PIECE THE NEXT)や、気鋭ミュージシャンを束ねたユニット(RM jazz legacy)などのプロデュース及びリミックス制作も行う。2023年「ジャズ史における女性ミュージシャン」をテーマとした ZINEとレーベル新作を発表予定。

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