【1/22更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/01/22
印南敦史のクラシック・コラムが装いも新たにリニューアル!ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
「鉄オタ」だった作曲家がいる

ドヴォルザーク


『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(J・ウォーリー・ヒギンズ著、光文社新書)という本を読みました。読んだといっても、計456ページにもおよぶ本書の大半は、鉄道を中心としたカラー写真なのですが。

アメリカ東部のニュージャージー州に生まれたという著者は91歳。1956年に駐留米軍の軍属として来日して以来、日本に魅了されたのだそうです。初めて日本の土を踏んだときの記述を確認するだけでも、そのオタクっぷりがよくわかります。

 日本の土を踏んだのは、1956年3月31日だった。羽田についたのは午前2時頃で、軍用バスで横須賀まで移動した。入国前に、すでに広島の呉に配属された友人から日本の鉄道システムについてあれこれ聞いていた私は、入国前から、日本国内での電車での旅の仕方を考えていた。そんなこともあって、バスの車窓から見える京急の線路にワクワクしたものだ。深夜のことで、電車は走っていなかったが、それでも道路と並行して走る線路が見えたのを覚えている。(本書「はじめにーー自己紹介」より)

これ、もう完全に「少年」の感覚ですよね。しかも、もともと「鉄オタ」だったため、以後は旧国鉄の仕事に携わりながら、鉄道の写真を撮り続けてきたというのです。日本人女性と結婚して日本に住み、現在もJR東日本の国際事業本部顧問を務めているのだそうです。

いずれにしても、オタクを突き詰めればそこには道ができるわけですね。

ともあれ、本書にはそんな著者が撮りためてきた最上質のコダクロームのなかから382枚もの写真が収録されているのです。鉄道写真集でありながら“昭和の記録”にもなっているので、眺めているだけで懐かしい気持ちになれると思いますよ。

ところで、クラシックの世界にもとんでもない「鉄オタ」がいたことをご存知でしょうか? チェコに生まれた、後期ロマン派の作曲家であるアントニン・ドヴォルザークがその人。ブラームスに認められ、『スラヴ舞曲集』で名を成したのち、アメリカに渡って活躍した巨匠です。

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、シューベルトの交響曲第7番「未完成」と並び「3大交響曲」と呼ばれる交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」、アメリカ滞在中の1893年に作曲した弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 作品96, B.179 「アメリカ」など、誰でも一度は聞いたことがある名曲を数多く残していることで有名。なので、そんな人が鉄オタだったという話には違和感を覚えてしまうかもしれません。

でも実際のところ、彼の鉄道に対する熱い情熱についてはさまざまなエピソードが残されているのです。たとえばプラハのフランツ・ヨーゼフ駅では、何時間も鉄道を眺めていたのだといいます。ニューヨークにいたころも毎日のようにグランド・セントラル駅まで通い、シカゴ特急の機関車の車両番号を記録していたのだそうです。

しかし、その程度であればまだまだかわいい部類だと思います。実際、いまもそういう鉄オタの人は少なくないでしょうし、趣味として楽しんで本人が満足しているのであれば、それはそれでけっこうなことなのですから。

ところが、往々にして暴走列車のように“行きすぎて”しまうのがマニア魂というもの。ドヴォルザークが、まさにそういうタイプだったのです。

プラハの音楽院で教鞭をとっていたころには、授業があるため新しい汽車を見に行くことができないことがあったといいます。社会人であれば、似たような話はよくありますよね。コンサートのチケットを買ったはいいけど、仕事が忙しくて行けなかったとか。

でも彼はそこで諦めず、代わりに生徒に代行してもらい、汽車の番号を調べさせていたというのです。なんだかもう、根本的な目的がよくわからなくなってしまうような話ですよね。

そのことに関連した有名なエピソードが、弟子であり、ドヴォルザークの娘の婚約者でもあった弟子のヨゼフ・スークを駅まで行かせた話。

マニアは往々にして自分の興味の対象について「知ってて当然」と考えがちですが、「そんなこと知らない」という人がいても不思議ではありません。

スークがまさにそれで、彼は汽車のことをあまり知らなかったのです。そしてあるとき、調べてこいと言われた機関車の番号をメモして帰ってきたものの、それが間違っていたことが発覚。

このミスを知ったドヴォルザークは娘に対し、「おまえは、汽車のこともろくに知らないあんな男と結婚するのか!」と怒ったというのですから驚き。結果的には無事に結婚できたようですが、「そういう偏屈親父っているよねぇ」と思わずにはいられません。

ちなみに前述した交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」については、なかなか興味深い解釈もあります。第3楽章のリズムが、蒸気機関車の「シュッポッポ、シュッポッポ」という音を連想させるというのです。そればかりか第4楽章においては、さらに緻密に鉄道を描写しているのだとか。

僕はこの話をかなりあとになって知ったのですが、特に第3楽章については、「言われてみれば、なるほどなぁ」と感じます。言われないとわからない話でもあるのですが、一度知ってしまうと、もう第3楽章と第4楽章は「シュッポッポ、シュッポッポ」としか聞こえません。

困っちゃうよなー。とはいえ、そんなことを知ったうえで再確認してみると、聴き慣れた曲がさらに楽しくなったりするのも事実です。


◆今週のおすすめ


『ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》 【ORT】』
ヴァーツラフ・ノイマン指揮, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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