連載『辛口ハイレゾ・レビュー 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』第9回

2014/05/04
ますます増えつつあるハイレゾ音源から、選りすぐりをご紹介していく当連載。第9回となった今回は、上原ひろみの『MOVE』!特にベーシスト、アンソニー・ジャクソンに着目したレビューは西野氏ならではの着眼点です。それではいってみましょう!
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【バックナンバー】
<第1回>『メモリーズ・オブ・ビル・エヴァンス』 ~アナログマスターの音が、いよいよ我が家にやってきた!~
<第2回>『アイシテルの言葉/中嶋ユキノwith向谷倶楽部』 ~レコーディングの時間的制約がもたらした鮮度の高いサウンド~
<第3回>『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」(1986)』 NHK交響楽団, 朝比奈隆 ~ハイレゾのタイムマシーンに乗って、アナログマスターが記憶する音楽の旅へ~
<第4回>『<COLEZO!>麻丘 めぐみ』 麻丘 めぐみ ~2013年度 太鼓判ハイレゾ音源の大賞はこれだ!~
<第5回>『ハンガリアン・ラプソディー』 ガボール・ザボ ~CTIレーベルのハイレゾ音源は、宝の山~
<第6回> 『Crossover The World』神保 彰 ~44.1kHz/24bitもハイレゾだ!~
<第7回>『そして太陽の光を』 笹川美和 ~アナログ一発録音&海外マスタリングによる心地よい質感~  スペシャル・インタビュー前編
<第8回>『そして太陽の光を』 笹川美和 ~アナログ一発録音&海外マスタリングによる心地よい質感~  スペシャル・インタビュー後編
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    第9回 『MOVE』 上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト
~圧倒的ダイナミクスで記録された音楽エネルギー~

■ 世界的ベーシスト、アンソニー・ジャクソン氏に注目

私が太鼓判ハイレゾ音源をどのように選出しているかというと、それはもう“聴いて判断する”という一言に尽きます。本連載では参考画像として波形グラフを添付していますが、これは読み物として目に見えない音楽を目視して確認するという意味だけで、太鼓判を押すか否かという基準と波形グラフとは何ら関係はありません。私も執筆時にその曲の波形グラフを初めて見て、「へぇ~、こんな波形になっているんだ」と驚くくらいです。スペアナ表示で20kHz以上の高周波がどうなっているか?といった、音楽を解析するという他の手段も全く行っていません。測定せずに聴くだけで判断しているのは「単なる音の好みではないのか」、「手抜きではないのか」と感じる方もおられるでしょう。そうではなく、“音楽を聴いて判断する”ということが重要なのです。

もちろん各人それぞれ音の好みがあります。その歌や演奏、楽曲が素晴らしいかどうかは、じっくり聴いて自身の心の動きと対峙する必要があります。しかし、音質が一定の基準を超えているかどうかは、瞬時に判断ができるものです。太鼓判ハイレゾ音源かどうか、良い作品ならば30秒以内で決定することもあります。

こう書くと何やら怪しげな超能力のようですが、音楽制作現場では日常茶飯事の出来事です。ミュージシャンやエンジニア、プロデューサーは、OKテイクであるかどうかを瞬時にジャッジします。レコーディングの巨匠エンジニアは、マイクの設置位置を一発で見極めます。マスタリング・エンジニアが機材を駆使して音楽に磨きをかけていくとき、このジャッジメント能力をフル稼働させています。これは才能と経験と鍛錬からくる特別な能力には違いありませんが、怪しい超能力ではありません。とはいえ、トップ・エンジニアの常人を超える音楽キャッチ能力は、確かにある種の超能力と呼べるでしょう。こういった特殊能力は様々なプロフェッショナルの現場では珍しいことではなく、音楽以外の他の業種ならもっと身近かもしれません。料理人が魚の鮮度を目利きで見極めるのもそうですし、美容師が似合う髪形を瞬時にイメージできるのも同じ。皆さんも、自身が長く携わっている仕事ならば、初心者には負けない特殊能力を身に着けているのではないでしょうか。

インターネット時代になり、検索すればなんでも回答が簡単に得られるようになりました。実際に試して判断するという能力は、どんどん退化している印象があります。音楽をキャッチする心のアンテナは、いつもピカピカに磨いておきたいもの。実際に音楽を聴いて、その磨かれた心のアンテナに反応するような作品を、太鼓判ハイレゾ音源として私はご紹介したいのです。そんな判断基準を大切にして、これからもレビューを続けたいと思っています。

とはいえ、本日の太鼓判選出には少し特別な基準を用いました。単なる私の好みの音で選んでいるわけではないと証明すべく、他にはない私だけの根拠を提示したいと思います。

ご紹介するのは、世界的ベーシストであるアンソニー・ジャクソン氏です。未だバリバリの現役ベース奏者でありながら、すでにレジェンド・クラス。ベーシストに「最も尊敬しているのは?」と質問すると、アンソニー氏は必ず上位に挙げられるミュージシャンの一人だと思います。アンソニー氏の演奏を探すなら、70年代~80年代のジャズ・フュージョン名盤を無作為に検索すれば、すぐに見つかるでしょう。名曲からは、アンソニー氏のベースが必ず聴けたという時代がありました。

そんなアンソニー氏の過去の名演は既にハイレゾ化されているものがあり、本日ご紹介する作品以外に、私が見つけただけでも下記5作品でそのベース・プレイをハイレゾで聴くことができます。今後、これら5作品は本連載にも登場するかもしれないほど、どれも太鼓判級のサウンドでお薦めです。

『The Nightfly/Donald Fagen』
『ジェントル・ソウツ/Dave Grushin, リー・リトナー』
『ロック・キャンディ/ジョン・トロペイ・フィーチャング・スティーヴ・ガッド、アンソニー・ジャクソン』
『スタンダード・インフルエンス ジョン・トロペイ・フィーチャング・スティーヴ・ガッド、アンソニー・ジャクソン』
『ザ・フォックス/アービー・グリーン』

その世界最高峰ベーシストであるアンソニー・ジャクソン氏の楽器ケーブルを提供しているのは、アメリカの大手ケーブル会社ではなく、私を含むケーブル開発チーム。そう、実はアンソニー氏の楽器ケーブルは、メイド・イン・ジャパンなのです。「私の写真もコメントも使っていいから、今日のステージからすぐにケーブルを使わせてほしい!」と、アンソニー氏がこの楽器ケーブルの音に惚れ込んでくださった結果でした。2007年の出来事です。それからアンソニー氏は、参加アルバムのクレジットにケーブル名を必ず明記してくれるほど気に入ってくれています。

■ 楽器ケーブル開発者自らが語る、ハイレゾ版『MOVE』の魅力

アンソニー氏の近年のメイン・プロジェクトが、上原ひろみさんのトリオです。“上原ひろみザ・トリオ・プロジェクトfeat.アンソニー・ジャクソン&サイモン・フィリップス”として、『VOICE』、『MOVE』の2作品が発表されており、2014年5月には最新作『ALIVE』の発売が決定しています。そのうちハイレゾ音源で現在配信中なのが、トリオ第2弾の『MOVE』。本日ご紹介する太鼓判ハイレゾ音源です。

『MOVE』  (192kHz/24bit)
/上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト



2013年12月、アンソニー氏の使用楽器が新型に変更されるということで、ブルーノート東京で開催された“上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト” カウントダウン&ニューイヤーライヴへ私も行ってきました。新型ベースに合わせて開発した、新しい楽器ケーブルをアンソニー氏に渡すためです。1stステージと2ndステージの合間に楽屋を訪ねて新型ケーブルを届けたところ、なんと2ndステージから早速その新型ケーブルを使ってくれました。アンソニー氏からは「サウンドチェックをしないといけないから、ケーブルは明日からかな~」という話だったのですが、どうも私が楽屋を出た後の2ndステージ直前に新型ケーブルをステージ上で試し、そのまま本番に突入したようです。音に厳しく、慎重派のアンソニー氏にしては異例中の異例。ライブ後に再び楽屋を訪ねると、「新型ケーブルは、非常に力強いサウンドだ!」とアンソニー氏も大喜び。最新作『ALIVE』のレコーディング時期にもよりますが、新型の楽器&ケーブルで新しいアンソニー氏のベース・サウンドに出会えるかもしれません。


アンソニー氏の楽器は、本人は“コントラバス・ギター”と呼んでおり、いわゆる6弦ベースです。一般的な4弦ベースに加え、低い弦と高い弦がプラスされています。著書『音の名匠が愛するとっておきの名盤たち』でアンソニー氏と対談したときに、楽器の詳しい話を直接聞くことができました。6弦ベースを使う理由は、「オーケストラのプレイヤーと同じように、広いレンジで自由にプレイしたかった」ためとのこと。今でこそ6弦ベースは珍しくなくなりましたが、アンソニー氏はその草分け的存在であり、6弦ベースの歴史そのものと言っても過言ではありません。

『MOVE』で使われているコントラバス・ギターは1996年製。一方の楽器ケーブルは、2007年に第一世代を、2010年に第二世代をアンソニー氏に提供していますので、『VOICE』と『MOVE』は録音時期から第二世代の楽器ケーブルということになります。ちなみに最新作『ALIVE』は、2013年製コントラバス・ギターと第三世代楽器ケーブルの共演になる可能性大です。

私が『MOVE』のハイレゾ版でチェックしたのは、第二世代楽器ケーブルのサウンドです。楽器ケーブルの世代違いは微妙であり、開発した本人だから分かる音。第一世代の楽器ケーブルは“音楽エネルギーをいかにロスなく伝達させるか”を目標に開発しました。第二世代の楽器ケーブルは、アンソニー氏が楽器を1本しか使わないことに着目して、“1996年製コントラバス・ギターをアンソニー氏が弾く”ということにカスタマイズして開発しています。楽器とケーブル、そして演奏するアンソニー氏のギアがガッチリと噛み合ったような、音に芯があるベース・サウンドが聴けるかどうかがチェック・ポイントです。

CD盤『MOVE』も良い音でした。しかし、第二世代ケーブルのサウンドが100%再現できているかというと、私個人的には少々残念なポイントがあったのも事実です。録音やマスタリングの仕上がり具合というよりは、音楽エネルギーがCDという器に入りきっていないという印象。44.1kHz/16bit規格上の問題なのかもしれません。当時は、仕方がないと諦めていました。

そしてハイレゾ版『MOVE』の登場。初めて聴いたとき、本当に嬉しかったのを覚えています。自分たちが開発した楽器ケーブル、その第二世代ケーブルで狙ったポイントが見事に再現できたのです。ベースだけでなく、サイモン・フィリップス氏の豪快でワイルドなドラム、そして上原ひろみさんの輝くピアノ。あふれんばかりの音楽エネルギーが、スピーカーの枠を超えて目の前に立体映像を浮かび上がらせます。

CD盤を聴いているときは、良い意味で記録音源を楽しんでいるような印象でした。ハイレゾ版では、上原ひろみさんのライブ会場で感じた音の洪水を体感できます。この違いは無視できるものではありません。

ハイレゾ版『MOVE』は、どの曲も素晴らしいのでアルバム購入をお薦めしますが、各曲のバラ売りもありますので、1曲だけでもぜひ聴いてみてください。お薦めは、ベースが大活躍の8曲目「マルガリータ!」。この曲でCDとハイレゾの波形を比較してみましょう。


波形データから見ても確認できるように、ハイレゾ版『MOVE』は音量が非常に小さいです。「音圧が無くて、なんだか迫力がない。どこが太鼓判なんだ?」と早合点しないでください。ハイレゾ版『MOVE』は、他の一般的な楽曲と同じボリューム位置で聴いては本領を発揮できません。アンプのボリューム・ツマミをグイッと上げて聴いてみてください。私のアンプでは、CD盤『MOVE』からですとツマミを5クリックくらい回して音量を上げハイレゾ版を聴きます。

アンプのボリュームを上げて聴くと、音圧が無かったのではなく、激しいダイナミクスが記録されていることに気付くでしょう。これこそが、ライブ会場そのものに近いと感じるポイントです。音圧をアップさせると、音楽の抑揚が失われていきます。そのさじ加減が音楽制作時で難しいところなのです。それにしてもこのハイレゾ版『MOVE』は、極端にダイナミクス重視の仕上がりです。マスタリング時に、コンプレッサー等の音圧アップ処理をほとんど行っていない音に聴こえます。いや、そもそもマスタリングしてあるのでしょうか?ミックスダウン直後の音源のようにも思えます。少なくとも、マスタリングで積極的な音圧アップは行わず、ミックスダウン・マスターの良さをそのまま活かした仕上がりなのがハイレゾ版『MOVE』であることは間違いなしです。

その結果として、ハイレゾ版の8曲目「マルガリータ!」の前奏では、ベースの細かい表情まで確認できます。ドラムやピアノも、波のようにウネリを伴って押し寄せるサウンドです。シンバルの突き抜けるような輝きは、ハイレゾならではの鮮度を感じます。また、上原ひろみさんのプレイはピアノだけに留まらず、シンセによるソロも楽しめるのが「マルガリータ!」のポイント。ピアノ、シンセ、ドラム、ベースという、トリオ演奏でありながら4つの楽器を味わうことができるのです。

以前、オーディオ誌の企画で、「優秀録音のために必要なのは?」という座談会に参加したことがあります。オーディオライターさんとミュージシャン&プロデューサーさんと私という3人での座談会だったのですが、全員が優秀録音に最も必要なのは「上手いミュージシャン」と答えました。オーディオ誌としては、マイクや録音規格、ケーブルといった話へ発展してほしかったと思うので、なんとなく困らせてしまったような結果になり申し訳なかったです。しかし、ここは譲れません。優秀録音への最短コースは、上手いミュージシャンに限るのです。演奏家の発する音楽エネルギーが強ければ、マイクが少々離れていようが、ケーブルが長く引き回されていようが、音は飛び込んでくるもの。やはり音楽制作という伝言ゲームは、最初が肝心なのです。

上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクトを聴いていると、あの日の座談会を思い出します。これほど上手い3人が揃った時点で、優秀録音は約束されたようなもの。誰が聴いても、どんな装置で再生しても、この音楽エネルギーの強さは効果絶大です。巨大なダイナミクスが特長の上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト。その本領を更に発揮するためには、ハイレゾという大きな器が最適です。素晴らしいサウンドで鳴るハイレゾ音源ですから、ジャンル的に好みでない方も、ぜひ聴いてみてください。

アンソニー氏の話ばかり書きましたが、もちろん上原ひろみさんは素晴らしいプレーヤーです。平凡なミュージシャンなら、この世界チャンピオン級のリズム隊と一緒に演奏すれば、ドラムとベースに負けて音が埋もれてしまうもの。上原ひろみさんは、そうではありません。ライブで実際に見ても、アンソニー氏とサイモン・フィリップス氏を“率いて”演奏しているという印象。あくまで主役は上原さんでした。久しぶりの世界ランカー級ピアニストの登場ですから、新作『ALIVE』が本当に楽しみでなりません。ぜひ『ALIVE』もハイレゾで聴いてみたいものです!

アンソニー氏に提供した楽器ケーブルのサウンドがより正確に再現できるのは、間違いなくハイレゾ版『MOVE』です。ケーブルを作った本人が言うのですから、間違いなし。これ以上の太鼓判があるでしょうか!

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筆者プロフィール:

西野 正和(にしの まさかず)
3冊のオーディオ関連書籍『ミュージシャンも納得!リスニングオーディオ攻略本』、『音の名匠が愛するとっておきの名盤たち』、『すぐできる!新・最高音質セッティング術』(リットーミュージック刊)の著者。オーディオ・メーカー代表。音楽制作にも深く関わり、制作側と再生側の両面より最高の音楽再現を追及する。自身のハイレゾ音源作品に『低音 played by D&B feat.EV』がある。

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