T.E.N.Tレーベルを中心とした80年代の重要作品が一挙ハイレゾ化! リマスタリングを担当したオノ セイゲンさんにインタビュー

2016/04/21
高橋幸宏、ムーンライダーズ、そしてTHE BEATNIKS……。日本の音楽シーンを牽引してきたアーティストが、1980年代を鮮やかに彩ったT.E.N.Tレーベルに残したアルバムとその関連作品がハイレゾで登場! 3アーティストによる作品の配信が一挙にスタートしました。ここでは、今回のリマスタリングを手掛けたエンジニア、オノ セイゲンさんへのインタビューをお届けします。当時のスタジオの様子から現在のマスタリング事情など、多岐に渡る話題についてたっぷりと語っていただきました。

インタビュー・文・撮影◎山本 昇

『EXITENTIALIST A GO GO -ビートで行こう-』
THE BEATNIKS

『M.R.I. Musical Resonance Imaging』
THE BEATNIKS

『EXITENTIALISM 出口主義』
THE BEATNIKS

『ANIMAL INDEX』
ムーンライダーズ

『THE WORST OF MOONRIDERS』
ムーンライダーズ

『DON'T TRUST OVER THIRTY』
ムーンライダーズ

『ONCE A FOOL,...』
高橋幸宏

『...ONLY WHEN I LAUGH』
高橋幸宏

『STAY CLOSE』
YukiHiro Takahashi&Steve Jansen

『La pensee』
高橋幸宏&山本耀司


 この度の驚くべきハイレゾ化。そのラインアップには、“T.E.N.Tレーベル30th Anniversary”として企画された3つのボックス・セット(『YUKIHIRO TAKAHASHI in T.E.N.T YEARS 19851987』、『moonriders in T.E.N.T YEARS 19851986』、『THE BEATNIKS 19812001』)から、映像部分を除いたアルバムがすべて網羅されている。しかも、ボーナス・トラックがそのまま収録されているのもポイントで、例えば高橋幸宏の『ONCE A FOOL,...』には1985年の未発表ライブ音源が追加されているが、その中には未発表曲「MAJI」も含まれているのだ。また、THE BEATNIKSはT.E.N.Tに残された作品に加え、1981年のファースト・アルバム『EXITENTIALISM 出口主義』(Vap)、2001年の『M.R.I』(Con-Sipio)と、レーベルを超えたリイシューとなっているのも嬉しいところ(編注:『EXITENTIALISM 出口主義』は近日配信予定)。
 これはもう、今年のハイレゾ・シーン上半期の一大トピックと言うべき快挙だが、もう一つの朗報は、今回のリマスタリングをオノ セイゲンさんが手掛けていることだ。意外にも、今回のアルバム制作には関わっていないというセイゲンさんだが、これらのアーティストやエンジニアたちとは当時から近いところに存在していた人であり、リマスタリグの担い手としてこれ以上の名前はないだろう。1985年、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に創立された、あの魅力的な音楽レーベル“T.E.N.T”の主要作品を中心とするこれらのアルバムから今、そのハイレゾ化によって何が見えてくるのか−−−。早速、セイゲンさんの「Saidera Mastering」スタジオにお邪魔して、お話しを伺ってみよう。

〈Saidera Masteringの2ch用モニターはPMCのMB1〉

■ 担当エンジニア諸氏による渾身のミックス

−− 今回のリマスタリングで、最も印象深いことは何でしたか。

 リリースされるタイトルの中で、特にムーンライダーズのアルバムは非常に実験的ですよね。考える限りの挑戦的なことをやっている。そのムーンライダーズを多く手掛けていたのが、ベテランの名エンジニア、田中信一さんです。ムーンライダーズは当時から職人集団であり作家集団でもあり、TVCFの音楽の仕事なども個々のメンバーがたくさんこなしていたのです。そんなCM録音のセッションでもよく指名されるのが、田中さんと僕だったんです。ムーンライダーズのメンバーとはスタジオでいつも顔を合わせていたこともあり、音を聴けば、誰がどう作ったかをすぐ思い出しました。

−− 彼らはセイゲンさんたちに、どんなことを期待していたのでしょう。

 TVCFは映像も音も、常に時代の最先端の表現を求められます。80年代初期であれば、ヒップホップやサンプリングなどが入ってきた頃です。僕が(白井)良明さんにエンジニアとして指名される場合は、おかしな話ですが、ふつうの録音ではない、何かアヴァンギャルドなことを期待されていました。ヘンなやり方を考えるのが役目なんです(笑)。それに良明さんが反応してまた新しいフレーズを発見したり、ミュージシャンとエンジニアの境目がなく、みんなでスタジオをエレクトリック楽器のように使っていました。

−− その普通じゃないレコーディングには、どのような背景が?

 僕は80年代初頭、マライアという清水靖晃さんや笹路正徳さんらが結成したバンドのスタジオ録音とライブを平均でも週に100時間くらい−−−今思えば無謀なことですが−−−すべてが実験室のような録音を行っていました。最近リイシューされた『うたかたの日々』(マライア)や『案山子』(清水靖晃)なんか、現在のDAW(Digital Audio Workstation)を中心とした制作では発想も音作りもできないアルバムです。こうした作品は日本を代表する変態レコーディングと言われていましてね(笑)。当時、ニューウェーブやヒップホップの動きがある中で、レコードやディレイ・マシン、テープ・レコーダーでさえ、サンプラーのように使用しましたが、特にテープは切り貼り、逆回転、速度調整だけでなく、レコードのスクラッチのようなこともできました。ニューヨークではビル・ラズウェルがハービー・ハンコックの「Rockit」を出してきたのが1983年、ロンドンでトレヴァー・ホーンがアート・オブ・ノイズを出してきたのも同じく1983年頃ですね。そうした現象が背景にあり、東京でやっていたのが我々だったんだと思います。

−− 海外のスタジオとも呼応し合っていたわけですね。

 そう。今では大問題ですが、アルバム素材をサンプリングし合ったりね。当時はニューヨークとロンドン、そして東京は近い関係でした。ドラムにリバーブを深くかけた「ドーン」という音を、Kepex(キーペックス)などゲートと呼ばれる機材で短く「ダッ」とか切って迫力ある音にする “ゲート・エコー”とか“ゲーテッド・リバーブ”などと呼ばれた手法が流行りました。XTC、ポリス、U2なんかの音、ドラムの録音自体もそれまでのデッドなスタジオから、反射のある場所で録音するのが流行っていったのもこの時期です。スティーヴ・リリーホワイトやヒュー・パジャム、そしてスティーヴ・ナイといったプロデューサー/エンジニアたちが石の部屋の響きで個性的なサウンドを競っていましたが、僕も彼らの音はよく研究しました。田中信一さんは、僕から見ればまさしく日本のスティーヴ・ナイ(笑)。クリーンなんだけど、バシッと録れてる。そこが坂本龍一さんや高橋幸宏さんにも評価されていたんだと思います。
 で、ムーンライダーズはそれよりもっとおかしなことをやっている。今回のムーンライダーズ、高橋幸宏、BEATNIKSという3つのアーティストの作品には、1982年くらいまでの海外のニューウェーブやロックの音作りをいったん消化して、次にどういう表現がカッティングエッジでかつポップなのかというものが、きっちりと入っています。

−− 具体的には、どのようなところに魅力を感じますか。

 当時のMTRはアナログの24chが主流になったところです。今のDAWのように無制限にトラックを使えるわけではありません。だから、ドラムは録る段階で、響きや音色をちゃんと決めてあります。それでもトラックが足りない場合は、複数のトラックをステレオやモノにミックスしてバウンス−−−つまり違うトラックにまとめて次に録音するトラックを空けるんです。元に戻すことができない作業ですが、とても手際よく行われています。田中信一さんはさすがベテランで、そのあたりの上手さは際立っていますね。他にエンジニアとしてクレジットされている飯尾芳史君や河野英之君は僕と同年代で、この頃の作品にはそんな手作り感が満載なんですよ(編注:担当エンジニアを含むクレジットは、各アルバムのInfo欄をご覧ください)。
 特に飯尾君のミックスはすごく細かい!今回のマスター・テープを預かるまで聴いたことがなかったのですが、すごくよくできているんです。例えばちょっとしたディレイのかけ方とか、非常に凝っているのが分かります。こういうミックスを聴くと、最近のエンジニアも「もっと攻めてもいいんじゃないの?」って思いますね。当時はスタジオ代も高かったうえに時間をかけて作っていたわけですが、そういう部分にもとても聴き応えがあります。今回のマスタリングでは、すごく細かいところまであらためて聴き込んでしまいました。

〈今回のアーティストは当時から近くにいた人たちだけど、ちゃんと聴く機会がなかったアルバムもあり、とても新鮮でした〉

−− 当時のミックスは、アナログ・マルチと大型コンソールにフィジカルなアウトボードを駆使して行っていたわけで、現在のようにデスクトップで行われるミックスとは作業のやり方も音も大いに異なりますね。

 ここ10年20年の間にマンションの1室にプライベート・スタジオがたくさんできました。逆に大きな商業用スタジオは、マンション用地に転売されたりして多くが閉鎖に追い込まれました。誰でもスタジオを持てるようになり、サンプラーなんてスマホにも付いていますし、音楽の作り方は大きく変わってきています。
 小さなプライベート・スタジオでデスクトップというのは音楽制作環境としては、時間もスタジオ代も気にせず、納得いくまで好きなだけ使えるという点で素晴らしいと思いますが、致命的な欠陥が二つあります。一つ目は、モニター環境です。狭い空間では、とくに低音は正確に再現できません。大きなスピーカーを入れればいいのではなく、部屋の容積と形状によって限界があり、小さな空間、モニター環境で行ったミックスは低音が出すぎていたり、逆に足りなくてスカスカだったりというのはよくあります。ホールや大きなスタジオで録ってきたアコースティックの音であれば、よほど変なEQなどをしない限り、ベテランであれば間違いませんが、モニター環境はそのままミキシングの仕上がりに反映されます。 今回のタイトルは当然のことながら、そんな問題はまったくありません。例えばムーンライダーズはあれほど実験的なことをやっているのに、田中信一さんのようなベテラン・エンジニアの手にかかれば、再生に困るような音には絶対になりませんね。僕も今やベテランの部類に入ってきましたが、常にそういったことは注意して作業しています。
 二つ目の問題は、人生の時間は限られているということです。スタジオ代が高いと、必然的に、クオリティに妥協なく短時間で集中して仕上げることになります。録音やミキシングの時のミュージシャン、エンジニアの“一発”にかける集中力は50年代〜60年代のマイルスのセッションが最高だとすると、マルチ・トラックになってより時間がかかるようになり、デスクトップのDAW以降は、UNDOで簡単にやり直せるし、テイクは満足いくまで無限に録れる。また選択肢も無限に残せるわけで、決断が先送りというか……。もちろん、そういう作り方もいいんですが、僕には真似できません。
 良いとこどりをするとしたら、納得いくまでプライベート・スタジオで仕上げて、最終仕上げのミックス確認とマスタリングを並行し、例えばサイデラ・マスタリングのように正確なモニター環境で仕上げるという、そんなハイブリッドな制作スタイルです。ここでは実際に、マスタリングのお客さんだけでなく、ミキシングの確認をしながらマスタリングを仕上げるプロジェクトもあります。
 話は逸れましたが、とにかく今回のタイトルはどれも、曲作りや録音が凝っているだけでなく、ミックスも細部にわたっているところがすごいんですよ。 CDよりハイレゾで聴くと手に取るように分かります。そこがいちばんの聴きどころですね。

■ ミックスの良さを生かしたマスタリング

−− では、今回のリマスターについて教えてください。マスタリングでいちばん重視していることは何ですか。

 今回のリマスターで重視したことは……そうですね、何曲かを除いては何もしないこと、でしょうか。もちろんDAコンバーターの選択から、ケーブルなども決めていくんですが、イコライジングやレベル・アップについては、必要と感じなければ何もしないことです。今回のタイトルは田中さんも飯尾君も、ミックスの完成度がすごく高いし、本来、録音とミックスが良ければ、マスタリングで何かを変えてはいけないんです。それがいちばん生かされる方法を考えます。もちろん、ほんの一工夫は加えるんですが。

−− その「ほんの一工夫」とは具体的にはどんな作業なのでしょう。

 例えばEQやコンプも、フラットなままでもバッファー・アンプですから、それを通すだけで質感ができます。他にもテープ・レコーダーやDAコンバーターなども、その機能をオンにしなくても、機器を通すことによって、音色が変わりますから、それぞれの作品にどれが合うかを考えて選んでいます。これが実は大事なことで、今回もそういう要素が多くありました。

−− 2chマスターについて伺います。今回のハイレゾは、THE BEATNIKSのファースト・アルバム『EXITENTIALISM出口主義』とムーンライダーズのライブ・アルバム『THE WORST OF MOONRIDERS』(編注:ボーナス・トラックを除く)は1/4インチのアナログ・テープから、それ以外は音質的に良好な24bit/192kHzのアーカイブ・データからマスタリング作業を行ったそうですね(編注:『EXITENTIALISM出口主義』のCD用のマスタリングはアーカイブ・データを使用)。

 状態のいいものが残っている場合はアナログ・テープをリクエストしますが、アナログ・テープは経年劣化や倉庫代の問題などからデジタルでのアーカイブ化が進められています。今回、24bit/192kHzのデータ化がなされていたのは幸いで、これは決して悪くありません。アナログ・テープはいつまでもいい状態で再生できるわけではありませんから、その時代の最高のレゾリューションでのデジタルによるアーカイブが必要となるわけですが、その場合いちばんいいのは今の時代であればDSDで残すことです。PCMの24bit/192kHzは、その次にいい状態と言えます。
 そして24bit /96KHzは、リスナーが楽しむ再生フォーマットとしては、−−−今やどんなパソコンで聴いても特別に外部のDAコンバーターなどをつながなくても−−−CDより格段に解像度が上がります。リスナーのために24bit /96KHzのマスターを作るには、編集やアルバム編成の時にフェードをかけたり、レベルを0.1dBでもいじる必要がある場合は、それよりもっと大きなデータから信号処理なりアナログ経由なりをしないと、音質はそこで見事に劣化します。何か変えなければならない場合は、アップ・コンバートやDAコンバーター、信号処理をどうするかなど、気を付けることはいくつもあります。

−− マスタリングでは、どのような機材を使用したのでしょうか。

 まず、今回のマスターである24bit/192kHzのwavを、アルバムによって最適と思われるDAWで再生します。DAWは主にSequoia(セコイア)とPro Tools、Cubaseがあり、それぞれのバージョンにも選択肢があります。DAコンバーターはこのスタジオにもたくさんあります。Lavry Engineering DA-N5、RME UFX、RME UCX、Prism Sound ADA-8、EMM Labs DAC8 Mk Ⅳ、この中から、今回はLavry Engineering DA-N5を、それで固くなりすぎる場合はRME UFXを使用しました。そして、アナログ機材では真空管のコンプレッサーを通したりしていますが、先ほども言いましたように曲によってはコンプレッションをせず、単にバッファー・アンプとしてレベル調整に留めた場合がほとんどです。あとは曲によってシェルビングのイコライザーを0.5dB~1dBくらいの範囲でかけています。やはりアナログ・アンプは、どれを通すかによって音のキャラクターが変わりますから、そこが決まればだいたいアルバムごとに同じ組み合わせでいけるんですね。ただ、ボーナス・トラックがある場合はそこだけミックスの時期や質感が異なることもあり、違う組み合わせもありました。

〈ラックにはマスタリングで使用するEQやコンプレッサー、DAコンバーターなどが収まる〉

−− 今回はBEATNIKSの『M.R.I』(2001年)を除いて、ほとんどが80年代の半ば頃の作品ですから、元の2chマスターはアナログ・テープだと考えられますね。

 そうですね。アナログ・テープはこの頃は1/4インチかハーフ・インチで、テープ・スピードは15ips(38cm/s)か30ips(76cm/s)のどちらか。そして、ノイズ・リダクションはDolbyのAかSRをかけたり、かけなかったりでしょう。

−− アナログ・テープは、ハーフ・インチでテープ・スピードの速いほうが音はいいと単純に思いがちですが、実はそうでもないようですね。

 それぞれにいいところがあるから、どういう音に仕上げたいかによります。アナログっぽいというか、ダイナミック・レンジは広くないけれど、適度にテープ・コンプレッションがかかっているのを良しとするなら、僕は個人的には1/4インチの15ipsでDolby SRが好きですね。もっと言うと、テープヒスは増えますが、Dolbyはかけないほうがアナログのよさがストレートに入ります。ダイナミック・レンジが必要なら、ハーフ・インチの15ipsもいいですし、30ipsなら“サー”というノイズ成分が少なくなって高域が伸びるからいいのですけれど、逆に低域は少し甘くなります。そして、30ipsはテープ代が2倍かかります(笑)。
 かつては1インチ・テープで2chというモンスター・レコーダーもありました。ちなみにDSDの11.2MHzは、そのモンスター・レコーダーを抜いたと言われています。

−− レコーダーのヘッドとテープが接触する面積が広くて速いほうが、音の情報量は断然多くなるわけだから文句なしに良さそうなものですが、そうとも言い切れないのが面白いところですね。

 そう。情報量だけを言えば幅が広くて、速度が速い方が当然に有利です。でも低音が落ちたり、アナログっぽさが損なわれたりするものですからね。まぁ、幅が太くて速いテープを選ぶのは、アナログっぽさよりもS/Nが良くて、再生音をできる限り録音する前の音に近づけたい場合だと思います。
 実はテープ・レコーダーというのは、録音する前の音と、それを再生した音は同じではないのです。これはPCMのレコーダーでも同じことです。レコーディングやミキシング・エンジニアは、再生される音を計算して、録音する音を作ります。

−− セイゲンさんはDSD録音を推進していることでも知られていますが、私たちはPCMとの違いをどう捉えればいいでしょうか。

 唯一、DSDレコーダーだけがレコーダーに入る音と再生した音の違いが区別できないところまできています。PCMとどちらがいいかという議論はありますが、PCMはどうしてもデシメーションなど信号処理が必要なので、CPUに負荷がかかります。つまりアプリケーションによって音が違いますから、そこに音の特徴付けが起こります。PCMのDAコンバーターが、作るメーカーによってそれぞれ音色が違うのは、各社でこだわっている音のデザインが異なるからです。DSDもDAコンバーターは色々ありますが、アナログ部分による変化を除くと振れ幅はほとんどありません。だから、録りと再生だけであれば、音色がいちばん変わらないのがDSDなんです。もちろん、DSDのDAコンバーターもアナログ段によって変わる要素はいくつもありますが、1bitデジタルの領域だけを見れば個性が付きにくい。
 今回のハイレゾ・マスタリングもそうですが、アナログ段によって納得のいくキャラクターを打ち出せたら、その音色を固定するにも音色のブレ幅が少ないDSDはいい働きをします。DSDの5.6MHzと2.8MHz、そしてPCMは24bit/192kHzと24bit/96kHzを用意しましたが、僕がこのスタジオで作業したのはDSDの5.6MHzです。そこからダウン・コンバートしたPCMのデータにも、音のキャラクターはもちろん入っていますから、こちらも楽しんでもらえると思います。

〈今回使用したDSDレコーダーはTASCAMのDA-3000〉

■ ハイレゾ化で明らかになったものとは?

−− では、今回のハイレゾのいちばんの聴きどころは何でしょう。

 何と言っても、ミキシングの細かい部分が聞こえてくるところが楽しいです。聴いていて盛り上がります。楽しむためにはボリュームは自分の好きなように調整してください。また、今回の3アーティストの各アルバムは、ミュージシャンやエンジニア、さらに制作された時期もけっこう重複していますから、そういうマトリクスを思い描いて聴けば、80年代を駆け抜けた日本の音響のプロによる迷いのない仕事ぶりが俯瞰できます。僕にはその音作りが手に取るように分かります。田中さんのミックスはすごいし、飯尾君の細かなミックスもいい。さらに、先ほどお話ししたような時代背景や、当時の彼らが海外から受けた影響をどう消化したかを考えながら聴くとより楽しめると思います。この頃は僕もそうでしたけど、やっていたのは音作りと言うより、音楽作りなんです。

−− この頃の楽曲では、今やビンテージとなったアナログとデジタルのシンセサイザーによる豊かな音色も聴けますね。ハイレゾではそのあたりの感触も楽しめそうです。

 アナログ・シンセはアナログですからレンジも広いしレゾリューションは無限大ですからね。それを厚くするために、僕がマスタリングで中域や低域を上げたりしているわけではなくて、ミックスを忠実に再現しているだけなんです。アナログ・シンセでは、例えばProphet-5はハイレゾだと「あの感じがよく出る」という印象を持つ人が多いようですね。

−− 今回のハイレゾ化、セイゲンさんご自身はどうお聴きになりましたか。

 やはり、それぞれのエンジニア、それぞれのミックスのいいところがすごくよく現れていると。アルバムごとに、曲ごとに、その違い、コンセプトが出ているのも面白い。「いいねぇ、この曲。ミックスはだれだっけ?」と、クレジットを夢中で探しながら聴きました(笑)。それぞれのスタジオと名エンジニアたちの組み合わせも聴きどころの一つですね。

−− 3アーティストの音の印象はいかがですか。

 僕は音楽評論家ではないので、僭越ながら一人のリスナーとして個人的な印象を言うなら……高橋幸宏さんは、ソングライターとして超ポップだし、メロディ・メイカーとしてもすごい。
 ムーンライダーズのスタジオ・アルバムは、とにかく実験的な要素が多い。僕もエンジニアとして、それぞれのメンバーとはプロデュースものやTVCFの音楽録音などで仕事を一緒にしたことが思い出されます。そして、慶一さん、かしぶちさん、良明さんがそうした職人の現場で練っていた手の内にある音作りが、これらのアルバムに凝縮されていて、しかもそれがマトリクスのようになって入っている。もう、これでもかというくらい、いろんなアイデアが詰め込まれていますね。だから、ムーンライダーズのアルバムは、ソングライティングやプロデュース、アレンジ、ミックスを志す人にとっては宝の山と言えるでしょう。
 BEATNIKSはイギリスっぽいというか、クールですね。幸宏さんのソロよりもエッジが立っている感じでしょうか。ファースト・アルバムはUK盤が発売されたのも頷けますね。

−− ムーンライダーズは、田中信一さんがミックスを手掛けているライブ盤『THE WORST OF MOONRIDERS』もありますから、DSDでは臨場感の良い音場が期待できそうですね。

 田中さんはライブでの空間のとらえ方も間違いないですから。ミックスも素早く行われたと思います。田中さんはスタジオ作業も速い人でしたから。僕も速いほうだけど、田中さんはもっと速いし、迷いがない。

−− では、最後にハイレゾのリスナーに向けてのコメントをいただけますか。

 今回のアルバムはどれも、最もヒップでクリエイティブな時代のアーティストとしての仕事が結集されています。このマトリクスを聴いたら、今度はそこから飛び出して、彼らが当時手掛けていたプロデュース作品なども聴いてみることをお薦めします。そうすることで、これらの作品がバイブルというか……集約された音づくりの秘密が理解できます。

−− 録音やミックスの細かな部分から全体的なステレオ・イメージまで、ハイレゾ化によってようやくその全貌が明らかになったとも言えそうです。

 例えばクラシックのファンからは、DSDによって楽器の細かい音色や歌い手のブレス、アーティキュレーション、そして空間の様子まで分かるようになって嬉しいという声をよく耳にするんです。同じように、音楽スタジオでの録音の様子やミックスの詳細が見えてきます。そういうところに面白さを感じる人にとって、ハイレゾはたまらないんです(笑)。単に歌と伴奏が聞こえればいい、という人も多いでしょうが、「この音楽はどうやって作っているんだろう」と思う人は、ハイレゾを聴けばそれが手に取るように分かると思います。

〈ハイレゾもCDも、いい音で楽しむための鉄則は自分の好きなボリュームに調整すること。その曲のダイナミック・レンジがしっかりと聴けるようになります〉

 | 

 |   |