山之内正が選ぶ 小澤征爾の功績をハイレゾで聴く

2024/05/08

 2024年2月に逝去した指揮者・小澤征爾氏。
 1959年、スクーターにギターを携えてフランスへと武者修行に旅立った小澤氏は、見事にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。その後世界で活躍する指揮者として躍進し、2020年代に至るまでその功績を示す数多くの演奏・録音を遺した。
 今回e-onkyo musicでは、山之内正氏をセレクターに迎え、小澤氏の足跡を録音で辿る11作品をご紹介する。山之内氏による解説とともに、指揮者の偉業を振り返りながらその録音をハイレゾで聴き直すことで、感動がよみがえるのではないだろうか。



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●音楽が体に染み込んでくる 長く聴き継がれるであろう名盤

 音楽体験を通じて時代を共有した指揮者として思い浮かぶのは、クラウディオ・アバド、ズービン・メータ、小澤征爾ら1930年代生まれの世代である。レコードでカラヤンやバーンスタインの演奏を聴いていた頃、期待の若手という触れ込みでアバドや小澤の新録音が話題になり始めたのが1970年前後のことだから、半世紀以上前のことだが、当時から距離感の近さを感じてきたように思う。
 その頃から今日まで、時代を共有する感覚で聴き続けてこられたのは、最初に出会った演奏が等身大で親しみやすく、わかりやすかったからかもしれない。少し前の巨匠たちの演奏は近寄りがたい威厳や強烈な個性があり、聴き手が構えたり、力んでしまう雰囲気があった。一方、20世紀後半に活躍し始めた指揮者たちはそこまで圧が強くなく、身近に感じることができたのだ。
 なかでも小澤の演奏は身近に感じることが多く、音楽がスーッと身体のなかに染み込んでいくような、自然な気持ちで演奏に接していたように思う。テンポを大きく揺らしたり、過度な表情を加えることは滅多になく、作品本来の姿をとらえやすいという良さもあった。当時はもっと強い個性で人気を呼んだ指揮者も多かったので、小澤の演奏が注目を集める頻度はそれほど高くなかったものの、曲によっては一番しっくりくると感じたことをいまもよく憶えている。
 だが、いまもう一度聴き直してみると、余分な加飾や強すぎる個性を感じさせない小澤の演奏はむしろ現代的に聴こえる。見通しが利くので各パートの動きが細部までよく分かるし、弦楽器と管楽器のバランスが自然なので旋律、伴奏、リズムの関係を把握しやすい。特に、その作品を初めて聴くときにはとてもわかりやすいと思う。
 そんな演奏の特長に気付くことができるのも、当時の録音が良い状態のまま今日まで保存されているおかげだ。レコードやCDなど物理メディアには寿命があるが、デジタル化した音源は再生手段さえあればオリジナルそのままの状態で永久に残る。優れた演奏はおそらく100年単位で聴き継がれていくだろう。小澤征爾の録音もそのなかに含まれ、何世代にもわたってファンが増え続けるはずだ。複数のレーベルを横断して多くの録音を遺してくれたことを感謝したい。


山之内正





ベートーヴェン:交響曲 第3番《英雄》
サンフランシスコ交響楽団小澤征爾


 性急さのない落ち着いたテンポの演奏だが、実は着実な推進力があり、第2楽章も旋律をていねいに歌わせることで息の長い音楽を作り上げている。精緻な構成力が伝わる第3楽章に続き、終楽章でも各セクションの間のバランスを丹念にコントロールしており、作品の立体的な構造が浮かび上がってくる。スコアが目に浮かぶような緻密な演奏は、この時期の小澤の演奏に共通する特長の一つなのだ。重心の低い安定した響きと弦楽器の瑞々しい音色に、当時のフィリップスレーベルの録音の特長がうかがえる。1975年5月サンフランシスコで録音。FLAC 192kHz/24bit。





『チャイコフスキー:《くるみ割り人形》組曲、《眠りの森の美女》組曲』
小澤征爾パリ管弦楽団


 北米でボストン交響楽団とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を兼任しつつ、ヨーロッパのオーケストラへの客演と録音も精力的にこなしていた1970年代前半を代表する名録音の一つだ。小澤はパリ管弦楽団の多彩な音色を引き出す才能がひときわ高く、チャイコフスキーのおなじみのバレエ組曲から色彩感豊かな音を引き出している。ワルツのリズムの軽快な動きなど、他の指揮者がなかなか真似のできない洗練された感覚もそなわる。潤い豊かな弦楽器や浮遊感のある木管楽器など、録音の質感の高さにも注目したい。1974年2月パリ、サル・ワグラムで録音。DSD64。





ガーシュウィン:パリのアメリカ人 ルッソ:ストリート・ミュージック/3つの小品
サンフランシスコ交響楽団シーゲル=シュウォール・バンドコーキー・シーゲル小澤征爾


 1970年代前半はサンフランシスコ交響楽団とボストン交響楽団の音楽監督を兼任していた時期があり、ドイツ・グラモフォンやフィリップスへの録音も増えて活躍の場が急速に広がった。ガーシュウィンとルッソを組み合わせたこのアルバムもその時期を代表する録音の一つで、アメリカのルーツ・ミュージックとオーケストラが自然に溶け合う演奏は優れたリズム感を持つ小澤征爾ならではの楽しさにあふれている。ハーモニカやエレキギター、エレキベースを含むブルース・バンドの音もクリアな音で収めており、音響的な聴きどころがたくさんある。1972年&1976年カリフォルニアで録音。FLAC 192kHz/24bit。





マーラー:交響曲第1番
小澤征爾ボストン交響楽団


 マーラーの交響曲は小澤のレパートリーのなかで重要な位置を占めている。第2番《復活》にも優れた録音があるが、ここではボストン交響楽団を振った第1番《巨人》を推薦。透明感が高く自然に音楽が流れる第1楽章に続いて、後年に収録した《花の章》の柔らかい弦楽器とトランペットの美しい響きが聴きどころだ。最終楽章は重心の低いバランスを支えにオーケストラのポテンシャルが一気に解放されるが、混濁や飽和とは対極の澄んだ響きを保っていることに小澤の耳の良さが読み取れる。1977年4月ボストン、シンフォニーホールで録音。FLAC 192kHz/24bit。





ストラヴィンスキー:バレエ《春の祭典》
小澤征爾ボストン交響楽団


 小澤のストラヴィンスキーはこの《春の祭典》のほか、《火の鳥》の演奏も現代に通用する名演を遺している。《春の祭典》では荒々しさを極端に前面に出すことはないが、各セクションの間での複雑なリズムの対比を明瞭に描き出し、音量バランスも一切の偏りがなく、その点では21世紀の最新録音と紹介しても疑う人は少ないのではないか。金管楽器も打楽器も限界近くまで楽器を鳴らし切っている。その強靭なエネルギーをあますところなくとらえた録音にも注目したい。1979年12月ボストン、シンフォニーホールで録音。DSD64。





レスピーギ:ローマ三部作
小澤征爾ボストン交響楽団


 レスピーギのローマ三部作は楽器間のバランスの適切なコントロールと音色の吟味が求められる作品の代表格だ。それこそ小澤が本領を発揮する領域の一つであり、この曲の数ある録音のなかでも筆頭に上がるほどの優れた演奏を聴かせている。弱音領域での精妙な音色と密度の高い表情、そして息の長いクレッシェンドで到達するクライマックスで聴き手を圧倒する破格の音響体験。フルに鳴り切ったボストン交響楽団のマッシブな音を見事にとらえている。1975年&1977年ボストンで録音。DSD64。





ニューイヤーコンサート2002
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団小澤征爾


 2002年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、ニューイヤーコンサートにも初登場を果たした。体調を崩したことでこのポストは途中で退くことになってしまったが、伝統あるオペラハウスの采配に関わったことは小澤にとって貴重な体験になった。ニューイヤーコンサートのワルツやポルカも軽く流すのではなく、実にきめ細かく表情を描き分ける繊細な演奏を聴かせ、小澤の要求に応えるオーケストラの反応の良さも注目に値する。柔らかく広がるムジークフェライン・ザールの余韻を忠実にとらえた素直な録音。FLAC 48kHz/24bit。





ブリテン:戦争レクイエム
アンソニー・ディーン・グリフィージェイムズ・ウェストマンクリスティン・ゴーキー東京オペラシンガーズ栗友会合唱団SKF松本合唱団SKF松本児童合唱団サイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾


 作品の深い理解に基づいて特殊な編成の「戦争レクイエム」の全体像を正確に把握し、作曲家が目指した響きを忠実に再現する。小澤のスコアを深く読み込む能力の高さをうかがわせる優れた録音の一つである。ニューヨーク公演(2010年)でのこの曲の録音も歴史に残る名演だが、松本で2009年に収録されたこちらの音源の方が、作曲家が目指した立体的で奥行きのある空間表現を忠実に再現しているように思える。児童合唱の距離感や打楽器群の地を揺るがすような大音響は他に例を見ない高水準。優れた再生システムで聴くことを強くお薦めする。2009年8月キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)でライブ録音。FLAC 192kHz/24bit。





奇蹟のニューヨーク・ライヴ ブラームス: 交響曲第1番
小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ


 「奇跡の復活」と賞賛を浴びた2010年12月のニューヨーク公演初日に演奏されたブラームスのライブ音源。小澤征爾がサイトウ・キネン・オーケストラでこの曲を振ると演奏家たちの集中力が頂点に達し、忘れがたい名演を生むことがしばしばだが、このカーネギーホールの公演はそのなかでも別格というべき名演だ。第1楽章からすべてのフレーズで熱量が増大し続け、第4楽章で頂点に達する。低弦や打楽器の瞬発力をとらえきった録音も秀逸。同時期の「幻想交響曲」、「戦争レクイエム」とともに推薦に値する。2010年12月カーネギーホールで録音。DSD64。





ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第1番&交響曲 第1番
マルタ・アルゲリッチ水戸室内管弦楽団小澤征爾


 交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番は別のコンサートでの演奏だが、いずれも水戸室内管弦楽団の定期演奏会を収録したもので、その場に居合わせたかのような臨場感が素晴らしい。どちらの曲も演奏にみなぎるエネルギーが強靭で、若いベートーヴェンの強い意気込みが乗り移ったかのようなテンションの高さが伝わる。アルゲリッチのオーラも健在。ステージ上の演奏者たちの息遣いまで感じられる高解像度で鮮度の高い録音だ。2017年1月(交響曲第1番)&5月(ピアノ協奏曲)水戸芸術館でライブ録音。FLAC 96kHz/24bit。





ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》
サイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾


 音楽監督をつとめたウィーン国立歌劇場をはじめ、国内外で数多くのオペラ公演や録音に意欲的に取り組み、大きな成果を上げた。なかでも《こどもと魔法》には特別な意味がある。この2013年のラヴェルの《こどもと魔法》は別格。この2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本での公演のライブ録音は決定版と呼ぶべき優れた演奏で、初のグラミー賞も受賞している。録音もきわめて高水準で、緊張をはらんだ声楽とオーケストラの関係を見通しの良い音でとらえた優秀録音である。まつもと市民芸術館で録音。2013年8月FLAC 48kHz/24bit




■小澤征爾 プロフィール




小澤征爾(おざわ せいじ)
1935年9月1日、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。
 1959年、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。当時ボストン響の音楽監督であり、このコンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッド音楽祭に招かれた。その後、カラヤン、バーンスタインに師事、ニューヨーク・フィル副指揮者、シカゴ響ラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント響音楽監督、サンフランシスコ響音楽監督を経て1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたって務めた。
 ボストン交響楽団の音楽監督としてオーケストラの評価を国際的にも高め、1976年のヨーロッパ公演および1978年3月の日本公演で多大の成果を挙げる。1981年3月には、楽団創立100周年を記念して、アメリカ14都市演奏旅行を果たし、同年秋には、日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界公演を実施。その後も1984年、1988年、1991年にヨーロッパ公演と1986年、1989年、1994年、1999年には日本公演を行い、いずれも絶賛を博す。1978年には、中国政府の公式招待により、中国中央楽団と1週間にわたって活動したのをはじめ、1年後の1979年3月にはアメリカのオーケストラとしては初めてボストン響を率いて再度訪中し、意義深い音楽・文化交流を果たした。それ以来、中国とは深い関係を築いている。他にも、1973年6月にはサンフランシスコ響を率いて、モスクワ(ソビエト連邦・当時)を訪れ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと共演している。
 2002年秋には、東洋人初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、2010年春まで務めた。
 欧米での評価と人気は絶大なものがあり、これまでにベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめとする多くのオーケストラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、フィレンツェ歌劇場、メトロポリタン・オペラなど主要オペラハウスに出演している。
 日本においては、恩師・齋藤秀雄を偲び、没後10年の1984年に、秋山和慶らの仲間に声を掛け、メモリアル・コンサートを東京と大阪で開催。それを母体としてサイトウ・キネン・オーケストラへと発展させ、1987年、1989年、1990年にはヨーロッパ公演を、1991年にはヨーロッパ、アメリカ公演を行い絶賛を博した。1992年からは、オーケストラと共に芸術的念願であった国際的音楽祭 “サイトウ・キネン・フェスティバル松本” を設立、総監督に就任(~継続中)。その後もサイトウ・キネン・オーケストラは、1994年、1997年、2001年、2004年、2010年、2011年に海外ツアーを実施。フェスティバルは、2015年より、“セイジ・オザワ 松本フェスティバル” として新たなステージに踏み出した。
 また、1996年にサイトウ・キネンの室内楽勉強会から始まった室内楽アカデミー奥志賀を、アジア圏の優秀な学生に門戸をひろげる小澤国際室内楽アカデミー奥志賀として2011年に NPO 法人化。一方で、実践を通して若い音楽家を育成するための “小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト”(2000年~)、および “小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクト”(2009年~)を公益財団法人ローム ミュージック ファンデーションの支援を受けて精力的に展開。2005年にはヨーロッパにおける音楽学生を対象にした Seiji Ozawa International Academy Switzerland をスイスに設立し、教育活動に力を注いでいる。その他、水戸室内管弦楽団とは1990年の創立時より親密な関係にあり、2013年からは同楽団の総監督を務めると共に水戸芸術館館長も務めている。さらに、新日本フィルハーモニー交響楽団とは創立に携わり、長期にわたり活動を続けた。
 これまでに国内外で受賞した賞には、朝日賞(1985)、米国ハーバード大学名誉博士号(2000)、オーストリア勲一等十字勲章(2002)、毎日芸術賞(2003)、サントリー音楽賞(2003)、フランス・ソルボンヌ大学名誉博士号(2004)、ウィーン国立歌劇場名誉会員(2007)、フランス・レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(2008)、フランス芸術アカデミー外国人会員(2008)、日本国文化勲章(2008)、イタリア・プレミオ・ガリレオ2000 財団・金百合賞(2008)、ウィーン・フィルより日本人として初めて「名誉団員」の称号(2010)、高松宮殿下記念世界文化賞(2011)、渡邉暁雄音楽基金特別賞(2011)、ケネディ・センター名誉賞(2015)などがある。2016年、サイトウ・キネン・フェスティバル松本2013で録音された小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによるラヴェル:歌劇「子どもと魔法」のアルバムが、第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞。同年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、東京都名誉都民の称号を贈られる。2022年3月、日本芸術院会員に選ばれた。




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■対象作品:こちらのページで紹介の11アイテム
■実施期間:~2024年6月2日(日)

※プライスオフ後の価格が各ページに表示されています。
※アルバム販売のみプライスオフが適用されます。




■筆者プロフィール




山之内 正(やまのうち ただし)
神奈川県横浜市出身。オーディオ専門誌編集を経て1990年以降オーディオ、AV、ホームシアター分野の専門誌を中心に執筆。大学在学中よりコントラバス演奏を始め、現在も演奏活動を継続。年に数回オペラやコンサート鑑賞のために欧州を訪れ、海外の見本市やオーディオショウの取材も積極的に行っている。近著:「ネットオーディオ入門」(講談社、ブルーバックス)、「目指せ!耳の達人」(音楽之友社、共著)など。

◾️PhileWeb連載:山之内正のデジタルオーディオ最前線



 

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