HOME ニュース 【9/21更新】印南敦史の名盤はハイレゾで聴く 2023/09/21 月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。 あがた森魚『乙女の儚夢』大正浪漫的世界観は、ロックのレコードが2万枚もある高円寺のエスニック料理店にもフィット 中央線の高円寺に、「バーミィー」というエスニック料理店があります。数々の伝説を生んだことで知られるライブハウス「荻窪ロフト」のスタッフだったイサさんが、同店閉店後にできた「HEAVEN」というロック飲み屋を経て、1987年の高円寺に開いた店。そんな経緯があるので、ここはエスニック料理店なのに、ロックを中心としたレコードが2万枚以上ストックされているのです。開店以来お世話になっているのですが、いまだに不思議でならないのは、なにをリクエストしたとしても、たいていのレコードは出てくること。リントン・クェシ・ジョンソンの『Bass Culture』を、椅子(にしか見えなかった箱)のなかから出してきたときにはたまげたなあ。だから楽しくて、つい「次はこれ」「その次はこれ」ってな感じでいろいろかけてもらってしまうんですよねー。先週伺ったときも同じで、ホルガー・シューカイの『Movies』から井上陽水『陽水ライヴ もどり道』まで、いろんなものをリクエストしてしまったのでした。「どれだけ節操のないセレクトだよ?」と自分にツッコミを入れたくもなりますが、それでもちゃんと出してきてくれる。しかもレコードを探したりかけたりしながら、おいしいエスニック料理をつくってくれる。そのため、ついつい長居をしてしまうのです。この日も、帰るころにはかなり酔っていたような……。だから記憶が定かでない部分もあるのですけれど、たしか『陽水ライヴ もどり道』のあと、あがた森魚さんの『乙女の儚夢』もかけてもらったんじゃなかったかな。あがたさんが『蓄音盤』という自主制作盤(のちにリイシュー)をリリースしたのは、1970年の夏だったそうです。「だったそうです」などと書いたのは、当時の僕は小学2年生であり、リアルタイムで体験したわけではないから。と書いて思い出しましたが、前々回にご紹介したB.B.キングの『Live in Cook Country Jail』がシカゴの刑務所でレコーディングされたのも、同じ1970年でしたね。そのころ日本のアンダーグラウンド・シーンでは、こういう作品が生み出されていたわけです。なお、『Live in Cook Country Jail』がリリースされたのは収録の1年後にあたる1972年ですが、同じ72年の12月、あがたさんはシングル「赤色エレジー」をリリース。これが大ヒットし、72年の秋には同曲を収録したメジャー・デビュー作『乙女の儚夢』を発表したのでした。とはいえ僕が実際にリアルタイムで入手したあがた作品は、1986年の『永遠の遠国の歌』。つまり相当な後追いなのですが、子どもから大人になるまでの過程で、あがた森魚という名がいつしか脳裏に貼りついてしまっていたのも事実。そのため、前年に自主制作盤として出された『永遠の遠国』のダイジェスト版としてこのアルバムがCD化されたことを知ったときには、購入を迷うはずなどなかったのです。だから、ヤマハ銀座店で買ったことまで覚えているよ。ともあれ同作冒頭の「いとしの第六惑星」を聴いたとき、「赤色エレジー」から延々と続いてきた“あがた森魚像”が、自分のなかでつながったような気がしたのでした。「いとしの第六惑星」は阿蘇の情景を描いたノスタルジックな楽曲で、「赤色エレジー」のような大正浪漫的な作風とはまったく異なります。それどころか、以後はヴァージンVSというニュー・ウェイヴ・バンドをやってみたり、そののちにはタンゴに傾倒したりと、あがたさんの音楽性は時代の流れのなかで大きく変化していくことになるのです。しかし、どれだけ音楽性が違っていたとしても、それらすべては“あがた森魚というハブ”によってつながっている。僕は、そう思わずにいられないんですよね。そんなこともあってか、あとから『乙女の儚夢』をきちんと聴き込んだときにも、まったく違和感はありませんでした。それどころか、50年以上前の作品なのに古さを感じさせない。大正浪漫がコンセプトとなっているのですから当然かもしれませんけれど、むしろ新しい。しかも驚かされるのは、この時点で彼が確固たる世界観を築き上げていたこと。「赤色エレジー」やオープニングのタイトル・トラックに明らかなとおり、あがたさんはその声と歌唱表現自体が個性的です。だから歌詞は無理なく耳に入り込んでくるし、立体的な情景が頭のなかに浮かび上がったりもする。根底には寂しさのようなニュアンスがあるのだけれど、それでいて、懐かしいなにかと再会したような安心感も意識させるのです。なお、先ほど後年のあがたさんがタンゴに傾倒していったことに触れましたが、「清怨夜曲」を耳にすれば、その嗜好性は突然変異的なものではなく、この当時の端を発するものであったことがわかるはず。さらに、大正時の空気を連想させる大道芸の呼び込みからはじまる「大道芸人」などでは、バックを固めるはちみつぱいの演奏能力の高さも実感できます。参考までに書き添えておくと、はちみつぱいは鈴木慶一(G・Vo・P)、本田信介(G・Mnd)、渡辺 勝(P・Org・Acc)、和田博巳(B)ら錚々たるメンツからなる重要なバンド。そのため本作を聴いていると、自分がまだ小学生だった時代の日本のロックのクオリティの高さを追体験できたりもするのです。あがたさんは昨年、『愛は愛とて何になる』(小学館)という書籍を上梓されました。自身のバックグラウンドや、数々の作品についてのエピソードなどを、聞き手である文筆家の今村守之氏がまとめたもの。非常に感銘を受けたため「サライ.jp」に書評を寄せたのですが、ありがたいことに後日、あがたさんからメッセージをいただいたのでした。面識はないものの、以後はSNSベースでゆる〜く交流させていただいたりもしています。なんだか不思議なのですけれど。ところで冒頭で触れた高円寺「バーミィー」は、イサさんと、彼のパートナーであるルミさんという女性のふたりが切り盛りしています。イサさんが選曲と料理担当で、ルミさんが配膳とトーク担当。で、ルミさんの“トーク”が非常におもしろくて……というより、彼女はミュージシャンを中心とした方々とのコネクションがとても広いのです。『乙女の儚夢』を流してもらったときも、「あがたくんがさあ〜」などと“くんづけ”で話していたしなあ。だからまたもや、「どれだけ広い人脈だよ?」と驚かされてしまったのでした。 『乙女の儚夢』あがた森魚『陽水ライヴ・もどり道[Remastered 2018]』井上陽水 この連載が本になりました。 この連載が本になりました。厳選した30本の原稿を大幅に加筆修正し、さらに書き下ろしも加えた一冊。表紙は、漫画家/イラストレーターの江口寿史先生です。ぜひお読みください! 音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話印南敦史 著自由国民社¥1,540■購入はこちらから⇒ ◆バックナンバー【9/14更新】マーヴィン・ゲイ『Here, My Dear』ただでさえ誤解されやすい作品なのに、『離婚伝説』というセンスのない邦題がついちゃったものだから……【9/7更新】B.B.キング『Live In Cook County Jail』ブルースに詳しい先輩方の押しつけがましい自論を、B.B.キングはスルッと覆してくれた【8/24更新】トーキング・ヘッズ『Stop Making 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