鈴木祥子さんのスタジオ・ライヴ・シリーズに新たな作品が加わりました。『歌う、聴こえる~そして10のメモワール』は、2023年2月5日にビクター・スタジオの302スタで行われたスタジオ・ライヴの第2部を収録したもので、セット・リストは1989年から1993年にリリースされた5枚のアルバムからの11曲。エピック・ソニー時代の楽曲が、スタジオ・ライヴの可能性を突き詰めたサウンドで甦っています。実に興味深いこのスタイルは音楽のレコーディングにどんな作用を及ぼすのか。お話しいただいたのは鈴木祥子さん、ビクター・スタジオのチーフ・エンジニア中山佳敬さんのお二人。e-onkyo music恒例のロング・インタビューでお届けします。スタジオ・ライヴ当日の写真とともにお楽しみください!
文・取材・写真◎山本 昇
『歌う、聴こえる〜そして10のメモワール”Chante,entendre et 10Memoires”』
鈴木祥子
後日、インタビューに応えてくれた鈴木祥子さんと中山佳敬さん
■その場で音楽ができる瞬間を目撃した観客
――鈴木祥子さんのスタジオ・ライヴと言えば、2016年7月に音響ハウスで行われた『しょうことスタインウェイの午後』に始まり、2017年1月の『しょうことスタインウェイのお正月』はe-onkyo musicでもレポートしました。今回はビクター・スタジオでの開催となりましたが、このスタイルもいよいよ板に付いてきましたね。
鈴木:そうですね。実は2021年の2月23日にビクター・スタジオで最初のスタジオ・ライヴをやろうという計画があったのですが、そのときは残念ながらコロナの影響で実施できませんでした。でも、心の中ではいつかビクター・スタジオでライヴを行い、中山さんに録っていただきたいという想いをずっと温めていたんです。そして2022年の4月、状況が少し落ち着き、ようやく実現することができました。
中山:去年の4月のスタジオ・ライヴはまだソーシャル・ディスタンスなどを考慮する必要がありましたので、お客さんの人数は少なめに30人くらいにして二回ししました。
鈴木:そして今回、2023年の2月5日にはいっぺんに60人の方にお集まりいただいて。そのような段階を経て、ビクター・スタジオでやらせていただいたことは本当に光栄でした。
中山:去年の試みは、ライヴと言うよりも、コロナ禍で声も出せない状況を逆手にとって、じっくりレコーディングを見ていただこうという趣旨でした。リズム録り→ダビング→仮歌録りという一連の流れをお客さんの前でやってみたのです。

2023年2月5日、ビクター・スタジオ302スタで行われたスタジオ・ライヴ
――制作過程をそこまで見せるというのも、考えてみればものすごく実験的な試みですよね。
鈴木:デビューした頃から、ライヴのパフォーマンスに関しては自分の中で葛藤があったんです。お化粧をして着飾って、きらびやかな姿でお客さんの前に立つ。そういうライヴの在り方は、エンターテインメントとして素晴らしいものだとは思うのですが、私には合わないんじゃないかと感じていたんです。けっこう地味な性格で、「私を見て!」というのがどちらかというと苦手なのにそう演じなければならないのがプレッシャーで……。でも、ライヴで音楽を演奏することは好きなので、何か私に合ったやり方があるのではないかと以前から模索していました。そこで注目したのがレコーディング・スタジオでのライヴだったんです。
音響ハウスのときはまさにレコーディングとライヴの中間という位置づけで、それが楽しかったのですが、中山さんと臨んだビクター・スタジオではもっと突き詰めて、より新しい見せ方があるんじゃないか、お客様と演者の関係が身近になれるやり方を模索できるんじゃないかと思ったんです。近すぎず、遠すぎず、心地よい距離感を保ちつつ観ていただくことができればいいなと考えて行き着いたのが今回のライヴ・レコーディングなんです。
中山:ポール・マッカートニーも『Live at Abbey Road』でスタジオにお客さんを招いてレコーディングの様子を見せたりしていましたよね。そんな感じで、レコーディングを見せるパフォーマンスをやってみたいなという気持ちは僕も以前から持っていたんです。
鈴木:その場で音楽ができるのを見てもらう感じですね。
中山:そう。ライヴ・パフォーマンスではあるんだけど普通のライヴではない。最近よく使っているアナログ・テープレコーダーが回っているのを見てもらうとか、レコーディング・スタジオならではのアプローチができたら面白いんじゃないかと思いました。

スタジオ・フロア(写真上)とコントロール・ルームを合わせ60名のオーディエンスが見守った
――コントロール・ルームのお客さんは、アナログ・マルチが回るときの風圧を感じたかも(笑)。それは貴重な体験になったでしょうね。
中山:コントロール・ルームにもたくさん入っていただいて、最後に追加した卓のすぐ前は特等席になりました(笑)。
鈴木:一方、フロアにお集まりの皆さんはヘッドフォンでの試聴。かつて大瀧詠一さんが行ったヘッドフォン・コンサートにインスパイアされたところもあって、こういうスタイルのコンサートに憧れがありました。
アナログ・マルチはSTUDER A827
フロアの観客が試聴したビクターのスタジオモニター。写真はHA-MX100V
■素晴らしいパフォーマンスを披露した二人の共演者
――今回は、キーボーディストの高野勲さんとギタリストの設楽博臣さんとの共演となりました。この編成になった理由は?
鈴木:きっかけは、オアシスが1994年にMTVで行ったスタジオ・ライヴの映像を偶然観たことだったんです。エレピとアコースティック・ギターにヴォーカルというトリオ編成で「Live Forever」や「Whatever」などをやっていまして。リアム・ギャラガーは曲によってタンバリンを持ちながら歌っていたのですが、「この編成はいいな」と思ったんです。私の昔のオリジナルも、こういうアコースティック・トリオでやったら、いい感じで甦るんじゃないか、自分も新鮮な気持ちで歌えるんじゃないかと、中山さんにご相談したら、「それは面白いね!」と言ってくださって。そこで来ていただいたのが、最近のレコーディング・セッションでよくご一緒しているギタリストの設楽博臣さん、そしてキーボーディストの高野勲さんのお二人。高野さんはやはり中山さんのご紹介で、今回初めてお会いした方です。
中山:高野さんとはお互いに若い頃からの知り合いで、ここ数年はまたお会いする機会が増えていました。いいキーボードをたくさん持っていて、祥子さんが去年録音した「わがままな彼氏」でSolina(ソリーナ)というストリングス・シンセを入れたくなったときに、「そう言えば高野さんが持っていたはず」と思い出して。そのときはお借りしたのを祥子さんが弾いたのですが、今回はご本人に来ていただこうと。アレンジの面でも中心的な役割を担ってくれて、すごく助かりました。
鈴木:最初は「怖い人だったらどうしよう」って緊張したんですが(笑)、すごく優しくて穏やかな方でした。とにかく音色が本当に素晴らしくて。今回、ピアノは生ではなくデジタル・ピアノを使っていただいたのですが、デジタルほど音色のセンスが問われるものなんです。一歩間違えると“よくある音”になりがちなところを、すごく個性的な音で弾いてくださって。また、初めてお会いしたのに曲をすごく理解してくれて、歌詞の世界を広げるような音を作ってくださったと思います。
中山:ピアノとエレピの使い分けも、こちらから特に指定したわけではなく、高野さんがリハーサルでなんとなくつけてくれたものが良かったので、自然とそれに乗っかることができました。ピアノの音色もさることながら、パッドの音色の選び方も曲に合っていてすごくいいなと思いました。音選びのセンスが素晴らしいんですよ。曲によってシンセ・ベースも弾いてくれたり、ボトムをしっかり支えてくれた感じがします。ドラムもいないのに、設楽さんがあそこまでぶれずに引き倒していたのもすごかったですね。
鈴木祥子さん(Vo, Tamb)
設楽博臣さん(E.Gt, A.Gt)
高野勲さん(Key)
――設楽さんのギター・プレイの魅力についてはいかがでしょう。
鈴木:設楽さんはワイルドな感覚と繊細なテクニックを併せ持つ本当に素晴らしいギタリストです。そして、ご本人は謙遜されていますが、素敵な曲を書くソングライターでもあります。どこか“ギターを抱えた一匹狼”みたいなところがあって、そこがまた格好いいんですよね。
中山:祥子さんにお薦めした設楽さんは、僕が尊敬するギタリストのお一人で、シングル「GOD Can Crush Me.」からずっとプレイしてもらっています。今回も予想を遥かに超えた素晴らしいプレイでライヴの世界観を作ってくれました。アコースティック・ギターでは絶妙なノリと艶のある音色で、ときに切なく、ときに熱のこもった演奏。一方、エレキ・ギターでは空間系のエフェクトを駆使した特徴的なサウンドでグイグイ引っ張ってくれました。
そして、今回の目玉の一つは「とどくかしら」の即興的なセッションです。祥子さん、高野さん、そして設楽さんが即座に反応していく様子は大きな聴きどころでしょう。僕のほうはフェーダーを握りながら、音やフレーズ、ダイナミクスの息の合ったところに必死について行きました。設楽さんも高野さんも、そういうアンテナから受けたものを即座に音にする素晴らしいミュージシャンなんですね。だからこそ、祥子さんの歌もとても伸びやかに聴こえます。
鈴木:歌のバッキングにとどまらず、3者のインタープレイというか、駆け引きのようなものもお聴かせできたのは、やはりお二人の力量があったからこそだと思います。
■レコーディング・スタジオ独特のプレッシャー?
――マイキングについて教えていただけますか。
中山:祥子さんの歌は、第1部のレコーディングではいつも使っているBRAUNER MICROPHONESのVM1を立てました。第2部のライヴ・レコーディングではハンド・マイクで歌ってもらえるよう、SHURE BETA57Aを用意しました。

BRAUNER MICROPHONES VM1(第1部)

SHURE BETA57A(第2部)
――3人がそれぞれのブースで録音した第1部に続き、第2部ではブースを出て広いフロアでの歌唱・演奏となりましたから、目の前のオーディエンスを意識せざるを得ませんね。そもそもスタジオとライヴでは、気分の高まり方も違ってくるものなのでしょうか。
鈴木:先ほど私、ライヴ・パフォーマンスが苦手とお話ししましたが、じゃあレコーディングは得意なのかと言われるとそうでもなくて……やはりスタジオならではの圧を感じてしまうんです。マイクロフォンの前で自由になる、自分を解放するのはすごく大変なこと。日本でそれが本当にできるのは、美空ひばりさんとか戸川純さんとか、ごく少数なのではないでしょうか。
一同:ほー!
鈴木:戸川純さんはヴォーカリストとして本当にすごいと思っているんですよ。マイクの前で自分を解放するのは本当に難しいもの。自分も含めて、いろんな作品を聴いていると演出された歌だと感じることがあります。ピッチやリズムなどいろんなことを気にしながら歌っているのと、本当に自由な状態で思わず出てきた歌って、やっぱり全然違うと思うんですよね。自由な状態で思わず出てしまった表情や声って、再現できないものかもしれません。スタジオでそこまで高められるのは、何年かに1度あるかないかくらいのことだという気がしていて、そんな難しさを私は“スタジオの圧”と呼んでいるんです。「今日はスタジオの圧に負けた」とか。
中山:「時間内に終わらせなきゃ」とかね。
鈴木:そうそう。でも、中山さんとご一緒したスタジオでは、その圧を感じませんでした。これは私にとってすごくインパクトのある出来事で、「初めてスタジオの圧から解き放たれた!」と(笑)。自由に歌えたのがすごく嬉しかったんです。その意味でも、私にとって中山さんとのレコーディングは特別なものとなっています。


第1部ではそれぞれのブースに別れて「夏はどこへ行った」を録音(写真はリハーサルから)
――ヴォーカルの録音は特に、周りのスタッフにも繊細さが求められる工程という気がします。
鈴木:歌って、基本的に恥ずかしいものだったりしますから、ライヴでもあとで落ち込んだり……。
中山:ああ、それはよく言ってますよね。「晴れやかに終わったことはほとんどない」って。
鈴木:そう。いつも落ち込んでいます。でも、中山さんは気持ちを上手く持ち上げてくれるので安心して歌うことができるんですよ。包容力があって、もちろん音も素晴らしいのですべてを任せられるんですね。
――最近はそうでもないようですけど、エンジニアさんと言うと昔は怖そうな方もいらっしゃって……。
鈴木:私が生意気な発言をして怒らせてしまったり……そうすると余計に圧が高くなって(笑)。
――そのあたり、中山さんが心掛けていることは?
中山:そんなに大したことをしているわけではありませんが、例えばテープを回すときの間の取り方にしても、疲れていそうなときはちょっと待ってみようとか、そういう部分は大事だと思っています。そして、そういうペースの取り方はアーティストによって様々です。例えば歌なら、とりあえず1本録ってそれを細かく直していく人、とにかくテイクをたくさん録っていく人。あるいは、2~3回歌ってピークがくる人がいれば、歌えば歌うほど元気になっていく人もいる。アーティストに合わせていこうという気持ちは、いつも持っています。
鈴木:中山さんはまた、ディレクションの判断がすごく迅速なんです。「もう1回録ってみましょう」とか「あ、今のいですね。その感じでもう1回ください」とか、そういう判断が速くて正確なので助かっています。
素晴らしいライヴ・ミックスも披露した中山佳敬さん。
コンソールはSSL SL6072 G(VU)[72 mono input with Total Recall]
■画期的なスタジオ・ライヴの面白さ
――なるほど。そう伺うと、お二人のリレーションの良さはそのまま音にも表れているように思います。あらためて、こうしたスタジオ・ライヴというスタイルの面白さとは何でしょう。
鈴木:よりクリエイティヴになれるのが大きいのではないでしょうか。最近のライヴ・パフォーマンスでは、スタジオで作ったものをいかに正確に再現できるかに比重が置かれているように思います。それはそれで完成されたエンターテインメントとして素晴らしいものですが、その場で何が生まれるのかという視点ではちょっと物足りないと言いますか……。スタジオ・ライヴは、音や音楽を作り出す場にお客さんがいて、ある種の緊張感もある。そういう意味では、自分の能力をすべて使わないとできないことかもしれません。本能的なものと構築されたものの中に自分をどう出していくかのバランスを考えつつ、何かの拍子にそんなことから離れて自分を解放したりもする。スタジオの圧に負けず、ワイルドになれる部分を全部均等に使えるというか。その様子を人に見て聴いていただくことで、自分の中にやり甲斐やモチベーションも生まれる。そんな喜びがあったなと思います。
――それはすごいですね。音楽が生まれる瞬間に、スタジオのスタッフだけでなくファンの方たちも一緒に立ち会うという、実に画期的な試みです。集まったお客さんにとっても、非常に貴重な経験になったはずです。
鈴木:私なりの能力を満遍なく使って、何かを伝えるというか、相互にエネルギーの交歓みたいなところまで持って行けたらと、そんな目標を持てるようになったことも良かったなと思っています。
中山:自分をさらけ出すようなすごさは、祥子さんならではでしょう。今回のMCで、「どうなるか分からないって、いいことですよね」と言っていましたが、祥子さんはまさにそういう感覚を発揮できるアーティストです。まぁ、通常の制作物だと本質を見失ってしまう可能性があるけれど(笑)、こういう試みでその場で感じた何かにエネルギーを集中できる人ってそうはいません。今回の最後のトラックも事前の打ち合わせでは、設楽さんと高野さんがはけたあと、祥子さんがギターを弾いたり、キーボードを弾いたりして歌おうと言っていたのですが、実際にはその場のノリで全編ア・カペラになり、タンバリンを振りながら去って行くという(笑)。でも、最後にあれがあってお客さんも盛り上がれて良かったと思うし、素晴らしいパフォーマンスでした。あれはたぶん、考えたというより、思ったままにやったものでしょうし、それがまたいいほうに転んでいく。どうなるか分からないけどすごい何かに、周りをグイグイ引っ張っていく力を感じるんですよ。
鈴木:ただ、そういうものだけだと無軌道というか、ノリ一発みたいなことになってしまいますよね(笑)。感情だけで押し切ると、お留守になってしまうものもある。そこを中山さんが構成を考えて補ってくれるおかげでバランスよく進められたと思います。
最後は「どこにもかえらない」をア・カペラで
■ヘッドフォンで聴くライヴの可能性
――録る側として今回の試みで新たな発見はありましたか。
中山:そうですね。ヘッドフォンを使ったライヴには表現の幅があるなと感じました。スピーカーによるPAがないので、いろんな制約から解放されて、例えばこちらで部分的にエコーを増やしたり、フェーダーを突いたりして、いわゆる没入感に引き込んでいける。もちろん、PAの方もいろいろ工夫していると思いますが、通常のライヴではなかなか難しいこともレコーディング・スタジオのシステムなら可能で、例えば演者に返すのと同じようなモニター・バランスをお客さんのヘッドフォンに送ることもできるなど、自由度が高いんです。
――スタジオのフロアでは演者とお客さんが同じ音を共有し得たというのは興味深い状況ですね。
中山:例えば3人が演奏した最後の曲「風の扉」では、盛り上がっているところで僕はけっこうフェーダーを突いている。つまり意図的にダイナミクスを付けたりしているんですね。設楽さんがソロを引き倒したのは、それに反応してくれたからなのかもしれません。リハではあそこまで弾いていませんでしたから。
鈴木:確かに。3人と言うより、中山さんを含めた4人でパフォーマンスしている感じでしたね。
中山:音楽の世界観というか、サウンド・イメージを広げたり狭めたりすることで得られる表現の可能性というのはあるのかなと思いました。普通のライヴハウスのように箱の鳴りを気にすることもなく、エコーを利かせれば違う世界に飛んでいくこともでる。そういうことがお客さんとも共用できるというのは新たな発見でした。


■ヒストリーを掘り下げていくような選曲
――選曲は1989年の『水の冠』から1993年の『Radio Genic』まで5つのアルバムからの11曲となりました。『Radio Genic』は中山さんがアシスタントを務めていたアルバムですね。この時期にリリースされたこれらの楽曲をあらためて聴くと、ポップスとしての良心のようなものを感じます。
鈴木:今年はデビュー35周年の節目ということで、自分のヒストリー的なものを掘り下げていくような選曲にしたいと思い、中山さんとも相談してこのようなラインアップにしました。これらエピック・ソニー時代の曲は、リスナーの皆さんにとってもいちばん思い出深いというか、青春時代を思い出すというか……私もリスナーの方も若かった(笑)。そんな当時を懐かしむという意味と、いま歌っても新鮮に感じられるものという二つの基準で選んでみました。例えば、「風の扉」は初めて自分で歌詞を書いた曲ですが、いまでも私自身へのメッセージになっているもので、歌うとちょっと元気になるんです。
中山:すごく良かったですよね。
鈴木:中山さんが先ほど、ヘッドフォンの中でいろんな世界観が作れると言っていましたが、まさに別世界が浮かび上がる感じで、その意味でもこの選曲は良かったかなと。エピック時代は、どちらかというとファンタジーと現実の中間をいくような曲も多かったので、ヘッドフォンの中の別世界とマッチしていたかもしれませんね。
――今回カヴァーされた1990年前後の楽曲はオリジナル・ヴァージョンも素晴らしく、それ以降の主要なサウンドがどう流れていったかを考えると、どこか感慨深いものがあるような……。
鈴木:この頃はまだグランジ・ロック以前。ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』は1991年に出ていますが、日本のシーンではグランジの影響がまだそれほど大きくはない状況だったと思います。ニルヴァーナはいまでも好きだし、カート・コバーンは歴史に残る素晴らしいソングライターだと心から思います。ただ、いわゆる“グランジ・ブーム”が音楽そのものに与えた影響を考えると、あまり肯定的にはなれません。世界観が暗くなってしまったというか、“命”や“生きること”に対して否定的な世界観が音楽に混入してきてしまった。私もその影響下で作品を作ったことはありましたが、音楽は否定的なものじゃない、命や光に向かうもの、生を肯定するものであるべきじゃないか、というのがいまの考えです。今回取り上げた曲には否定的な世界観は入っていないので、自分で言うのも変ですけど、共感できるものがあります(笑)。
――オリジナルが持っていた良さは、いまも色褪せていません。
鈴木:ファンタジックで夢見るようなもの、スイートなものってやっぱりいいんですよね。青いとか、いまの時代にはそぐわないとか言われたこともありましたけど、ドリーミーで朗らかな音楽には普遍的な魅力があるとあらためて感じています。
中山:どの曲も華やかですよね。同じ祥子さんの作品でも2000年以降には真逆な感じになったこともあり、それはそれで時代を反映したもので素晴らしいのですが、今回ラインアップされた曲は、90年代に差し掛かっているとは言え、僕が青春時代だった80年代の華やかさも感じられて、なんか幸せな気持ちになれるんですよね。メロディも世界観もいい。メロディに誘われて歌詞を聴いて「ああ、なるほど」と思える。そういう聴き方ができる時代の曲なんですよね。そんな曲が最近はあまりないような気がしていて……。
――若いリスナーにはぜひオリジナルも聴いてほしいですね。
鈴木:最近ちらほらとそんな方たちが、サブスクリプションなどで遡って聴いてくれているそうなので、嬉しいことだと思っています。サブスクには課題もありますが、過去のものもいまのものも、すべてを見渡してピックアップできるのはいい面かもしれませんね。
■音作りとミックスのコンセプト
――ヴォーカルとタンバリン、ギター、キーボードというミニマルな編成からか、音楽のエッセンスが凝縮されながら、サウンドとしてはそれぞれの音源が広い空間で響き合うような楽しさも感じました。ミックスの狙いはとのようなものでしたか。
中山:スタジオ音源ではあるものの、作品としてはライヴ盤ということになるので、“ライヴ感”は大事にしようと思ってミックスしました。アンビエンス・マイクを立てたのもそのためです。本来なら、3人ともブースに入ってもらって録ることもできたわけですが、エレキ・ギターとキーボードのアンプを入れた二つブースの扉を少し開けて、アンビエンス・マイクにも若干被るようにして、302スタらしい部分も聴いてもらえるようにしました。
――ステレオ・イメージの広がりや奥行きはどのように?
中山:曲によって、もう少しアンビエンス感がほしいときはアンビエンス・マイクの音を上げていって、それでも足りなければキーボードやギターに短いルーム・エコーを加えたりしています。また、場合によって曲を演出する意味で長いリヴァーブを付けたり。でも、基本的にはライヴ感を意識しているので、302スタの空間の音が鳴るようにミックスしています。
鈴木:ライヴとレコーディング、どちらも併せ持ったミックスになっているのはさすがだと思いました。そもそも私が中山さんの音に惹かれたのは、相反するものが同時に存在するところなんです。美しさとワイルドさとか、構築されたものと自由なものとか、中山さんの音の中にそういう要素がすでに入っている。どちらでもなく、どちらでもあるというか。そんなところがすごいなと思っています。
――確かに、ヴォーカルには適度な歪み感もあって……。
中山:あれはもう、祥子さんが感情のままにいっちゃった結果としての歪みです(笑)。
鈴木:ハハハハ。あと、今回はピッチもほとんど直してくれませんでしたね。「大丈夫だから」って。
中山:今回、当日のパフォーマンスがとにかくすごかったんですよ。マルチでレコーディングしながら、その場で行ったライヴ・ミックスも2chで録っていたんです。あとでこの2ミックスを聴くと、いい意味で粗くてライヴ感がありながら独特の空気感も感じられて、これがまたいいんですよね。もうこのまま出してもいいかなと思うほどだったんですが、祥子さんのハンド・マイクの"吹かれ”や設楽さんのフット・エフェクターが踏まれる音などノイズもけっこう目立っていたので、やはりマルチ音源からミックスし直すことにしました。でも、真っ当なやり方で進めていったラフ・ミックスを聴いたら今一つ面白くない。当日のライヴ・ミックスを超えられなかったんです。なので、当日の2ミックスを再現する方向に切り替えて、コンプも新たに整音のためにかけたものは外して、かけ録りしたものだけにしました。結局、一筆書きと言いますが、ライヴ・ミックスのようにリアルタイムにフェーダーを上げ下げしたものとなっています。
鈴木:そこは面白いですね。
中山:スタジオの考え方でやってしまうと、中途半端なスタジオ作品になってしまうんですね。だから、一気にやったほうがいいかなと。

■NEVEやSTUDERのアナログ回路を通ったサウンド
――リアルタイムに操作して2ミックスに落とすというのは、最近ではあまり見られないことですよね。
中山:そうですね。ただ、僕はサザンオールスターズのテレビ番組や配信向けの生中継を15年ほど担当させてもらったおかげで、リアルタイムにミックスする度胸はあるんですよ。そんな経験は活かされているかもしれません。
鈴木:中山さんはけっこうワイルドなところもあるから(笑)。
中山:「オレも一緒にやるぞ!」みたいなノリで。今回は、それを再現したミックスとなっていますね。
鈴木:むしろ、そのリアルタイム・ミキシングを今回の売りにしようと(笑)。
――それはなんか新しいですね。今回の録りやミックスで、重用したエフェクターはありましたか?
中山:302スタにはオールドNEVEのヘッドアンプがたくさんあるので、録りの段階でそれをほとんどのチャンネルに挿すという贅沢なセッティングとなっています。あと、第1部はアナログ・マルチを回して録って、第2部はPro Toolsでの録音ですが、第2部もアナログ・マルチのオペアンプを通しています。デジタル録音ではありますが、NEVEヘッドアンプとSTUDERレコーダーのアナログ回路を通じて倍音や歪みが付加されていますから、ちょっと聴きやすい音になっていると思います。
302スタのアウトボードの一部
■ビクター302スタの響きとは?
――祥子さんは302スタの響きにどんな印象を持っていますか。
鈴木:ビクター・スタジオの302スタというと、小泉今日子さんに書かせていただいた「優しい雨」をレコーディングしたり、やはり曲を提供させていただいた坂本真綾さんの録音でもピアノを弾いたり、個人的にも思い出深いスタジオです。でも、自分のレコーディングではあまり来たことがなく、思い出の場所であり、憧れでもあるという感じでした。その響きは一言で言ってナチュラル。とてもしっくりくる音なんです。生理的に気持ちが良くて、無理がない感じの音なんですよ。

中山:302の残響は木の響きなんですよね。スタジオにも残響は必要なのですが、ホールほど長くならないように設計されています。コントロールしやすいよう、今どきのスタジオは残響がいきなりスコンと落ちて伸びないところが多いんです。そんな中、302はどちらかというと響きの大きなスタジオで、自然にスーッときれいに伸びる。密度が濃くて、アンビエンスの音がけっこう特徴的なんです。だから、CDとかを聴いていて「あ、これは302だ」って分かったりします。ビクター・スタジオの中でも302に人気がある理由はそこにあります。ドラムやピアノの録りには特にいいですからね。
フロアの中心に向けられたアンビエンス・マイクはSANKEN CO-100K
鈴木:家具とかいろんなものについて私が好きだなと感じる要素は、変な主張がないのにしっかりとした存在感があることなんです。302スタの音にもそんな感じがするんです。
中山:ああ、すごくよく分かります。自然なんですよね。
鈴木:そうですね。クリスチャンとして言わせていただくと、自分の主張よりも、神の意志のような大きなものと溶け合ったときに、自分を超えた何かが生まれる、表現できると思うんです。クリスチャンでなくても、大きな存在に委ねたときに何かと一体になれる感覚はあるのではないでしょうか。ちょっと大袈裟かもしれませんが、302の音ってそんな感じがあるんです。
中山:なんでもそうですが、使っていくうちに馴染んでいくというのはありますよね。ホールもそうですが、スタジオも段々音が馴染んでいく。最初はとんがってザラザラしていたのが馴染んでくると一体感が生まれてくるんです。ランダムな響きが最終的にはきちんとまとまってくれる。最近のスタジオって、妙に明るい音になるところが多いのですが、302はどことなくダークな印象で、落ち着いた感じ。それが実はどんなサウンドにも合うんですよ。
――コントロール・ルームの上部にあたる空間には残響を調整する機構が設えてあり、当日はより響く設定になっていましたね。
中山:はい。あれは残響時間を調整するもので、木の面を前にすると残響時間が長くなります。先人たちの素晴らしいアイデアの賜物ですね。
響きを調整できる独特の機構。回転板の木の面を表側にすると残響時間が長くなる
■若手エンジニアたちに伝えたいこと
――当日は中山さんが若手スタッフとコミュニケーションする姿も印象的でした。彼ら彼女らに伝えたかったことは何ですか?
中山:現場に来ていた若手の2人は東放学園音響専門学校の学生なんです。この学校ではここ数年、僕は特別講座を担当していまして、それを受講していた生徒です。こういうレコーディングはそうそうあるものではないし、実際にアナログ・テープが回っているのを見るいい機会でもあるので、学校側に働きかけたんです。お手伝いもしてもらうけど、滅多にないものを目の前で見られるいい機会だからと。そこで学校が送り込んできた精鋭があの2人でした(笑)。
鈴木:私は若い頃に一風堂のドラマーだった藤井章司さんのローディをしていたことがあって、1984年に藤井さんが笹路正徳さんや土方隆行さん、坂井紀雄と活動していたバンドNAZCA(ナスカ)のレコーディングをかぶりつきで見ることができましたが、いま思うとすごくいい勉強になりました。
中山:そうですよね。実際のレコーディングを生で見るのは貴重な体験になります。専門学校で、初めてコンソールを見たときにも「おー!」と思ったでしょうけれど、実際のレコーディングではまた違ったものが得られるはずですから。
鈴木:この歳になると、若い世代に伝えたいという気持ちも出てきます。
中山:僕が今回、若い世代に見てほしかったことの一つは、プロのミュージシャンが出す音のすごさ。設楽さんや高野さんのような実力あるミュージシャンがギターやピアノ1音出しただけで、アマチュアとは全然違うものが感じられるはずなんです。Pro Toolsには強力な修正機能が備わっていますが、そもそも直さなくてもいい人たちの演奏を聴くことも大事です。学校で上手く録れなかったのは、もしかしたら自分のせいじゃないかもしれない。本当に上手い人が叩いたドラムは、余計なことをしなくてもいい音になるんです。それを感じるには、こういうところに来ないと分からない。若い人にも、この感動を味わってほしいんです。現場のすごさを知り、そのうえで、自分が作りたい音を掴んでいってほしいですね。
中山さんの作業を見学する専門学校生。プロの技を学ぶ貴重な機会に
■デビュー35周年を迎えて
――このスタジオ・ライヴ作品はデビュー35周年記念企画の第一弾ということですが、デビューからこれまでを振り返ってみると、どんな感慨がありますか。
鈴木:先ほどもお話ししましたように、グランジ以降、私もダークな世界観の影響を受けて作っていたこともありました。そういう時期を経たうえで、いまは生きることとか命とか、肯定感に向かいたいと100%思えています。聖書に絡めてお話しすれば、“創世記”には神様が世界と人間をどのように創ったかについて、けっこう事細かに書かれています。そこには、神様は生きるために良いものとして、素晴らしいものとして人間を創られたという価値観が記されています。つまり、自分はもっと素晴らしいことを誇っていいし、もっと堂々と生きていい。神様が自らの命を分け与えてくれた存在なんだということを自覚して生きていこう。牧師さんにはお説教でもそういったお話を聞くのですが、私はお祈りをしているとまさにそういう感覚が生じるんです。肯定的な想いがどんどん出てきて、生きてるってすごい嬉しいことだなとか。
そして、自分が音に関わっていることも神様に与えられた使命なのかなと。自分がどうこうではなく、神様にすごくいいものとして創ってもらって、神様が喜ぶことを私はしている。すると、誇りのようなものも芽生えてくる。だから、音楽も否定とか闇に向かうものではなく、命や光に向かって歌ったり演奏するほうにシフトしてきました。こう考えるようになったのはクリスチャンになったことが大きいと思います。その過程で、中山さんのような方と出会えたことで、そうした想いがより強固なものになりました。
――そうして辿り着いたのが「ニュー・クリスチャン・ロック」の境地なのですね。
鈴木:すごく正直にお話ししますと、私がメジャーレーベルで作品を出すことができたのはすごく恵まれたことだったと思いますが、その裏では「売れ続けなきゃいけない」とか「このくらいの枚数は達成しなければならない」など、プレッシャーもすごいものがありました。「鈴木祥子って、音楽はいいけどマイナーなイメージ」と言われ続け、気がつくと自分で自分を否定するほうに引きずられてしまった時期もありました。でも、やっぱり音楽は好きだし、自分にすごく向いているとも思う。世間の声とか現実のほうを優先してしまって押し潰されそうになることもあったけれど、それでもやり続けているのはなぜなのか。クリスチャンになって、「それは自分の使命だから」とシンプルに思えるようになったんです。この否定的な世の中にあっても、愛のオーラというか、命のエネルギーを分かち合って一緒に光のほうに向かいたい。それがいちばんの動機になっています。そこに迷いはありません。

――ありがとうございます。では最後に、本作をハイレゾで楽しむリスナーへの伝言がありましたらぜひお願いします。
鈴木:曲がりなりにも35年やってきた結論として言えるのは、やはり音楽は人に勇気や元気を与えることのできる素晴らしいものだということ。そして、いろんな関わり方がある中で、音楽を実作することを選んだのも何か意味があると思っています。これからも音楽の作り手として、音楽の素晴らしさや音楽の持つ力というものを自分自身も忘れずに、聴いてくださる方たちへ向けてガンガンに伝えていけたらいいなと思っています。
中山:今回のアルバムは、ライヴ盤でありながらスタジオ作品という、ありそうでないような絶妙な肌触りの音になっています。ライヴ感もありながら、音そのものに特化したレコーディング・スタジオらしい響きもあるのが今作の大きなポイントです。そんな音のディテールを含めた空間表現にも注目してみると、より楽しんでいただけると思います。ライヴ作品ではあるけど、スタジオ作品として聴きくこともできる――そんなふうに作ってみましたので、この作品でビクター・スタジオの302スタの響きがどんなものかを感じていただけると嬉しいですね。

――そして、待望のオリジナル・アルバムも制作中だとか。
鈴木:オリジナル・アルバムとしては15年ぶりということもあり、私も非常にワクワクしています。一作前の『Sweet Serenity』(2008年)は録音とミックスをすべてDAWのPro Toolsで行ったのですが、中山さんとの出会いによってあきらめかけていたアナログ・レコーディングに戻ることができ、より理想の音、夢の音に近づいている気がしています。50代だから到達出来る夢……なんて素敵じゃないですか?(笑)。そんな夢を叶える過程を支えてくれる最高のエンジニアとスタジオに巡り会えて、とても幸せに感じています。人間って、年齢に関係なく自分の経験や技術や感覚といったものすべてを出し切れることが、いちばん幸せなんじゃないでしょうか。
●
実は第2部のライヴ・パフォーマンスは当初、作品化することは考えていなかったらしいが、「あとで聴いてもすごくいいので、これは出したほうがいい」(中山さん)と、急きょリリースが決まったという。スタジオ・クオリティの音とライヴ感を両立させるこの試みが成功したことは、当日詰め掛けたオーディオンスの反応を見ても明らかだ。終演後、筆者が感想を求めたところ、フロアでヘッドフォンを聴いていた方は「祥子さんの通常のライヴにはよく通っていますが、こういうスタイルは初めて。やはり臨場感がすごくて、音に浸れる感じがよかったです」と語り、また、コントロール・ルームのスピーカーに耳を傾けていた方は「第1部ではレコーディングでは曲ができていくのを間近で見られて面白かったです。第2部では祥子さんがだんだんノってくるのが分かって楽しかったですね。そして、中山さんが作り出していく音も聴いていて気持ちよかったです」と語ってくれた。この優れた空間表現をぜひとも、リスナーそれぞれの環境でじっくりと堪能してほしい。
貴重な音楽体験に、惜しみない拍手を贈った観客の皆さん

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