【マイスター・ミュージック新作】バッハからエレクトリカルパレードまで白石光隆の変幻自在なピアノを愉しむ

2023/01/25

超広帯域の録音を可能にした「ゲアール・マイク」を用いたワンポイント録音で、楽器の直接音、そして録音会場のホールトーンを絶妙なバランスで捉えることで知られるマイスター・ミュージック。その最新作は白石 光隆による変幻自在なピアノ作品。


★バッハからエレクトリカルパレードまで
変幻自在なピアノを愉しむ

アパッショナータ
白石光隆


しっとりと歌い上げるバッハ、高い技巧で疾走するベートーヴェン、そして名ピアニスト、ワイセンベルグ編の優雅で演奏希な歌曲が続く。やがて、肩肘張らない小品に進み、バロック・ホウダウン(エレクトリカルパレードのテーマ曲)まで現れる。なんとも変幻自在なピアノが愉しい、スタイリッシュなアルバム。

白石光隆は東京藝術大学及び同大学院を修了後、ジュリアード音楽院に留学。1991年学内におけるコンチェルト・コンペティションで優勝し、リンカーンセンターでジュリアード・オーケストラと協演。ソロ、室内楽、協奏曲と多方面で活躍し、リサイタルではヴァリエーションに富んだ作品の数々を披露する屈指の名手。




演奏曲の背景について


J.S. バッハ (C. サン=サーンス 編):ラルゴ
 バッハは1750年の没後ほとんど忘れ去られていたが、約1世紀近くを経て“バッハ・ルネサンス”が興る。きっかけを作ったのは一人の女性であった。彼女は孫のメンデルスゾーンが14歳(1823年)のクリスマスに、バッハ自筆譜の写本「マタイ受難曲」を贈る。そして1829年、メンデルスゾーン指揮によって復活上演されるや大反響を呼び、バッハは再評価の機会を得たのである。後世の作曲家たちは触発され、それぞれの視点からバッハの真髄に迫ろうとする作品が誕生した。このラルゴは「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005」第3楽章をピアノ独奏用に編曲し、1873年に出版された作品。さわやかな旋律を柔らかで品の良い響きで包む、サン=サーンスの過不足ない美学が冴えている。

J.S. バッハ:協奏曲 ニ短調 マルチェロのオーボエ協奏曲による BWV 974
 原曲はイタリアの作曲家アレッサンドロ・マルチェッロによる代表作「オーボエと弦楽合奏のための協奏曲」。バッハは意外にも編曲作品を多数残しており、そのほとんどが鍵盤楽器の独奏用である。当時、文化芸術を牽引していたイタリアの様式を学ぶため、流行していた他の作曲家の協奏曲を題材にしてはチェンバロやオルガン独奏用へと編曲、研究を重ねていた。その軌跡はやがて、バッハの代表作「イタリア協奏曲 BWV971」へと結実していく。

L.V. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 へ短調 作品57 「熱情」
 ヨーロッパがフランス革命を経て、市民が文化的・経済的に台頭する時代、青年ベートーヴェンも貴族のお抱えではなく、自立した音楽家として歩き出した。正に新しい様式に身を置き、新しい価値観を生み出そうとしていたのである。悪化していく難聴に絶望し自殺を考えるも、使命を自覚する仕事に思い留まり、再生して傑作の数々を生み出していった。元来、情熱的で活発な人物であり、全てを受け止めてポジティブに目的へと進む姿勢は、生命力とユーモアとなってこのソナタに溢れている。また幸運なことに、ベートーヴェンの創作の歩みはピアノ製造技術の歴史と重なっている。1806年頃の熱情ソナタ作曲時には、音域が拡大された新しいピアノを手に入れている。湧き上がる芸術への情熱、使命を果たすまで苦難に負けないよう自らへの鼓舞でもあるその音楽にピアノは応え、彼のたくましい創作の世界を助けた。「熱情」は中期ピアノ・ソナタの傑作で、第8番「悲愴」、第14番「月光」と共に「三大ピアノ・ソナタ」として名高い。

C.トレネ (A. ワイセンベルク 編):6つの歌曲より
 6つの歌曲は、フランスの歌手で作詞・作曲家シャルル・トレネ(1913-2001)によるシャンソン。編曲は世界的ピアニスト、アレクシス・ワイセンベルク(1929-2012)によるものだが、完全な楽譜には残していなかったようで、本人の了承を得てピアニストのマルク=アンドレ・アムラン(1961-)がワイセンベルクの過去の録音から採譜している。20世紀のクラシック音楽ではジャズやロック等との融合が盛んになり、シャンソンもその対象であった。エスプリに富んだトレネの世界を華麗なフィギュレーションで彩る音楽は、ワイセンベルクの知られざる豊かな世界をも教えてくれる。

R.シュトラウス(O. ジンガー編):歌劇「サロメ」より 7つのヴェールの踊り
 リヒャルト・シュトラウスの功績は、なんと言っても大編成のオーケストラによる交響詩やオペラにある。交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」に代表される革新的でドラマティックな発想は数々の歌曲にも反映され、その個性たるや他の追従を許さないほどである。歌曲や室内楽で共演していると、ピアノ・パートは盛り沢山で楽器の性能以上を要求されていると実感する。シュトラウスの創作比重がピアノに傾いていたら、その色彩の展開やダイナミズムでどんな作品を生み出していただろうか。歌劇「サロメ」は、オスカー・ワイルドの同名の戯曲を基に作曲され、「7つの~」はヒロインの古代エルサレムの姫・サロメが義父ヘロデ王に請われて踊り始める場面。孤独、エゴイズム、狂気が次々と巡る中に、何かが起こる(褒美として予言者ヨハネの首を願い出る)前の緊張感、その先の思いもよらない結果(サロメ自身の死)まで暗示するかのような不穏な空気を内包して大胆な響きで迫る。

L. ゴドフスキー:旧きウイーン
 1870年ポーランドに生まれたゴドフスキーは名ピアニストで作曲家、また熱心なピアノ教育者であった。音楽の才能に恵まれ、ほぼ師につかずして研学し、10代半ばからヨーロッパとアメリカを行き来して活躍した。オリジナル作品のほかに、他の作曲家のピアノ作品を展開したパラフレーズが有名で、ショパンの練習曲を基にしたそれは難曲と知られ、様々な手法とヴィルトゥオーゾな要素が多分に盛り込まれている。「旧きウイーン」は、ピアノ組曲「トリアコンタメロン、3拍子による30の雰囲気と光景」の第11曲。超絶技巧の言葉ばかりが先行してしまう彼の、内なる本質を物語るような、シンプルさ、穏やかさを垣間見せてくれる。

J.J. ペリー & G. キングスレー:バロック・ホウダウン
 ホウダウン(hoedown:鍬おろし)とは、アメリカ南部農村で農作業が終わった後に催される宴会のことで、そこで踊られる陽気なフォークダンスやスクエアダンスも意味するようになった。キングスレー(1922-2019)はドイツ生まれ。第2次大戦中をパレスチナで過ごし、独学でピアノを学んでいる。戦後すぐに渡米し音大を卒業、1955年からニューヨークで指揮や作曲、アレンジをしてキャリアを積み、ブロードウェイ、オフブロードウェイで活躍。一方、ペリー(1929-2016)はフランスに生まれ、オンディオリン(初期の電子鍵盤)の奏者としてヨーロッパ中を渡って活動していた。先出のシャルル・トレネが、シャンソンのオンディオリン伴奏にペリーを起用していたという。30歳の時にニューヨークに移住、1966年二人は出会う。当時、アメリカの電子工学博士ロバート・モーグによってシンセサイザーが開発されたばかりで、このモーグ・シンセサイザーやオンディオリンを使用して多重録音し電子音楽を創作、「Perrey & Kingsley」のユニットでアルバムを発表していく。
 バロック・ホウダウンはアルバム「Kaleidoscopic Vibration」(1967)に収録されている。1970年代から世界のディズニー・テーマパークで演奏され、今やエレクトリカル・パレードの代名詞ともいえる音楽となって多くの人々を魅了している。

A. ローゼンブラット:ドリーミング
 1956年生まれのロシアの作曲家。チャイコフスキー、ラフマニノフといった故郷を代表する巨匠に深い敬意を示すと同時に、伝統的ロシア音楽とジャズ、ロック、ラテン等のエッセンスを融合させたクロスオーバーな作風で知られている。曲名Dreamingには、“シューマンのトロイメライにならって”と添えられている。以下、楽譜の序文より―「作曲にあたって、不変の美しいテーマと柔らかで気の利いたジャズの和声を合わせようとした。私の音楽や教授法が常にそうであるように、クラシックとジャズの要素をできるだけ自然に結合させようとしていたのである。原曲を汚すようなこともしたくなかった。演奏者、聴衆双方にとって、魅力的で心優しいアンコールになることを願って。」


<白石 光隆>




プロフィール


白石 光隆 ピアノ
 東京藝術大学・同大学院を修了後、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。修了時には学内のコンチェルト・コンペティションで優勝し、1991年リンカーン・センターでの卒業記念コンサートでソリストを務めた。1994年日本音楽コンクール声楽部門木下賞(共演)受賞。ソリストとしては元よりアンサンブルの名手としても国内外の演奏家が厚い信頼を寄せる。子供たちのためのプログラムや公共ホール音楽活性化支援事業、コンクールの審査員で全国を巡る。渡米前から始まったソロ・リサイタルは、東京で毎年開催されている。ソロ・アルバム「組曲 展覧会の絵」「サティ作品集Ⅰ&Ⅱ」「ニーノ・ロータと久石譲 ピアノ作品集」など多数リリース。現在、東京藝術大学、お茶の水女子大学非常勤講師。


 

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