【マイスター・ミュージック新作】 重鎮、秋山和慶の指揮による「ブラームス:交響曲第1番」

2022/11/25

超広帯域の録音を可能にした「ゲアール・マイク」を用いたワンポイント録音で、楽器の直接音、そして録音会場のホールトーンを絶妙なバランスで捉えることで知られるマイスター・ミュージック。その最新作は、秋山和慶と日本センチュリー交響楽団による「ブラームス:交響曲第1番」


★本邦音楽界の文字どおり重鎮にあたる秋山和慶と
関西の昇り龍と呼ぶにふさわしいオーケストラによるブラームス
J. ブラームス:交響曲第1番ハ短調
秋山和慶日本センチュリー交響楽団


◆ 我が国音楽界の重鎮、秋山和慶の指揮による「ブラームス:交響曲第1番」。ミュージックアドバイザーを務める日本センチュリー交響楽団との阿吽の呼吸も見事に、重厚なブラームスを練り上げて行きます。

◆「 この指揮者らしく端正に整った合奏のもと、中低音域の楽器が先導するリズム的な骨格と(ベースラインやティンパニ・パートの掘り下げ方も奏功)、懇切丁寧な表情付けを伴う旋律声部のおりなす構図が意味深く耳をとらえる。それがたとえば第1楽章では、ウィーン古典派の交響楽の命脈に、恩師にあたるシューマンの世代が掲げたドイツ・ロマン派音楽の理念を融合させるというブラームスの意図が、試行錯誤の過程まで含めて鮮やかに像を結ぶような思いを抱かせる。
(木幡一誠ライナーノーツより)」




アルバムについて <木幡 一誠>


 本邦音楽界の文字どおり重鎮にあたる秋山和慶と、関西の昇り龍と呼ぶにふさわしいオーケストラによるブラームス。この指揮者らしく端正に整った合奏のもと、中低音域の楽器が先導するリズム的な骨格と(ベースラインやティンパニ・パートの掘り下げ方も奏功)、懇切丁寧な表情付けを伴う旋律声部のおりなす構図が意味深く耳をとらえる。それがたとえば第1楽章では、ウィーン古典派の交響楽の命脈に、恩師にあたるシューマンの世代が掲げたドイツ・ロマン派音楽の理念を融合させるというブラームスの意図が、試行錯誤の過程まで含めて鮮やかに像を結ぶような思いを抱かせる。続く楽章でも、室内楽的な対話の機微が際立つ弦楽器セクションと管楽器の関係性を円満に保ちつつ、そこに瑞々しい感情表現まで託されていく。終楽章が描く起承転結の流れの素晴らしい実体感。スコアの細部に慣習的な変更を施されることが(特にこの楽章に関して)多い場面でも、楽譜に手を加えぬまま響きのバランスを獲得していくアプローチは潔いばかり。アンコール・ピースとして収められたシューベルトともども、円熟境の棒さばきと、それに応える楽団の充実ぶりを堪能してみたい。

ヨハネス・ブラームス (1833-1897)
交響曲 第1番 ハ短調 作品68

 持ち前の慎重癖や自作への批判的態度の高さが原因となり、交響曲の分野におけるブラームスは遅咲きの大家としてデビューを果たすこととなった。1870年代初頭、既に「第1番」の筆を進めていた彼が、友人の指揮者ヘルマン・レヴィに、「ベートーヴェンの足音を背中で聞く我々のような人間に、とても交響曲など書けたものではない」と口にしていた逸話はよく知られている。
 シューマンの「マンフレッド」序曲に感銘を受けて、ブラームスが交響曲の創作を思い立ったのは1855年、彼が22歳のときである。しかし、そこでスケッチされた素材が他の作品に転用されるなどの紆余曲折を経て、本格的な着手は遅れてしまう。1862年の夏には現在の第1楽章の主部が形をなすものの、さらに中断期間が挟まれた後、最終的に全曲が完成したのは1876年の秋。同年11月4日にオットー・デッソフの指揮でカールスルーエ宮廷楽団が果たした初演は大成功を収めたが、それでもなお試行錯誤は続く。ブラームス自身の指揮による5回の再演を経た上で第2楽章に大幅な改稿の手が加えられ、他にも細部の加筆訂正を施した末に、1877年10月に出版へと至った。

第1楽章 ウン・ポコ・ソステヌート ─ アレグロ
 壮大な構えで幕を開ける序奏部では、半音階で上昇する音型(やはり半音階で下降する音型も併置される)や六度の跳躍など、楽章全体の重要な構成要素が提示される。ソナタ形式の主部で描かれるのは運命との闘争、そしてしばしの憩いのひととき。展開部の中盤では、序奏部の素材から導き出された新たな旋律が、不屈の精神を象徴するがごとくコラール風に歌い継がれる。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート
 憂愁と憧憬の念を交錯させた旋律線がたゆたうように歩を進める形で開始され、その過程には第1楽章のコーダの余韻よろしく、半音階上昇&下降楽句に由来するパッセージも彩りを添える。やがてオーボエが提示するテーマに備わる品位の高さも印象深い。切迫感も帯びた情調のもとに木管楽器のソロが活躍する中間部を経て主部が回帰すると、テーマを敷衍する形で独奏ヴァイオリンがしばし主導権を握り、音楽に艶と華やぎを添えていく。

第3楽章 ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ
 スケルツォに相当する楽章だが、クラリネットの牧歌的な旋律に始まる主部はブラームス好みともいえる間奏曲風の装い。トリオは第1楽章とも関連する同音連打の動機に始まり、次第に感情のうねりを高める。主部が再現してまもなく、終楽章の第1主題を暗示する動機がヴァイオリンによって奏でられるが、これは初演の直前に加筆された“ストーリー上の伏線”さながらの挿入句。

第4楽章 アダージョ ─ ピウ・アンダンテ ─
アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ
 序奏部の前半は葛藤性をはらむ雰囲気の中、主部で活用される様々な動機素材が姿を見せた後、劇的な高揚を演じる。続く場面でホルンが朗々と吹く旋律は、ブラームスがクララ・シューマンの誕生日に送った手紙で「高い山と深い谷から、貴女へ何千回も挨拶を送ります」という言葉と共に書き添えたことで知られる。主部は再現部が展開部を兼ねた役割を果たす、変則的なソナタ形式。その第1主題から派生した音形で盛り上がるコーダは、序奏部に登場したコラール動機の再現を経て、たたみかけるような終結部に至る。

フランツ・シューベルト (1797-1828)
劇音楽「ロザムンデ」より  間奏曲 第3番

 1823年の秋、ドイツの劇作家ヘルミーネ・フォン・シェジーの戯曲「キプロスの女王ロザムンデ」のための劇音楽の依頼を受けたシューベルトは、10月から12月にかけての短期間で、間奏曲やバレエ音楽など9つのナンバーからなる楽曲を完成させた。しかし序曲にまでは手がまわらず、テアター・アン・デア・ウィーンを舞台とする12月23日の上演では、前年に書き上げていた歌劇「アルフォンソとエストレッラ」の序曲を転用している。そして肝心の戯曲は芳しい評価を得られず、翌日の上演を最後に打ち切りとなったが、シューベルトの劇音楽自体は好意的に迎えられた。彼の没後に出版された際には(1855年にパート譜、1867年にスコアが刊行)、1820年の劇音楽「秘密の竪琴」の序曲が上記の9曲と一緒に「ロザムンデ序曲」として収められている。
 その序曲と並んで、オリジナルの劇音楽の中で最もポピュラーな存在が、第3幕と第4幕を結ぶ「間奏曲」。“アンダンティーノ”のテンポで始まる主題は1824年に書かれた「弦楽四重奏曲 第13番」の緩徐楽章にも転用されており、典雅な物腰の中にも深い感傷性を漂わす。この主部に対して、それぞれ短調に転じた第1トリオと第2トリオがいかにもシューベルト的な逍遥感と共にコントラストをおりなしていく。木管楽器のソロがふりまく香り高いニュアンスや、ときに立ち込めるハンガリー風の空気も彼らしい筆使いだ。




プロフィール


秋山和慶(あきやま・かずよし)
 1941年生まれ。トロント響副指揮者、アメリカ響音楽監督、バンクーバー響音楽監督(現在桂冠指揮者)、シラキュース響音楽監督を歴任。サントリー音楽賞、芸術選奨文部大臣賞、川崎市文化賞をはじめ、東響とともに毎日芸術賞などを受賞。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2014年文化功労者に選出。同年中国文化賞(広島)、徳島県表彰特別功労賞を受賞、2015年渡邉暁雄音楽基金特別賞を受賞。現在、中部フィル芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー交響楽団ミュージックアドバイザー、岡山フィルミュージックアドバイザー、東響桂冠指揮者、広響終身名誉指揮者、九響桂冠指揮者、洗足学園音大芸術監督・特別教授、京都市芸大客員教授など多くの任を務めている。


日本センチュリー交響楽団 
 日本センチュリー交響楽団は1989年に活動を開始し、2019年に楽団創立30周年を迎えた。現在、飯森範親が首席指揮者、秋山和慶がミュージックアドバイザーを務め、2021年4月より久石譲が首席客演指揮者に就任。ザ・シンフォニーホールで開催するシンフォニー定期演奏会、ハイドンの交響曲全曲演奏・録音プロジェクト「ハイドンマラソン」に加えて、豊中市立文化芸術センターでの名曲シリーズを展開する。オーケストラ体感コンサート「タッチ・ジ・オーケストラ」をはじめ教育プログラムや地域連携事業にも力を入れている。


 

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