【4/1更新】 印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2022/04/01

印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。

ヒルに血を吸わせた作曲家がいる

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト



20歳を過ぎたばかりのころでしょうか、複数の方々からよく、「君は畳の上では死ねないだろうね」といわれたものです。あまりにもいろんな人から同じことをいわれるので辟易し、「いや、ベッドで寝てるんで」などと屁理屈にすらならない超屁理屈で応戦していたのですが、振り返ってみれば、彼らがそういいたくなる理由もわからなくはないのです。

なぜって、若かった(というか甘っちょろかった)あのころは非常識な世間知らずで、しかも必要以上に攻撃的でしたからねえ。

まったく恥ずかしい限りで、いま目の前に当時の自分が現れたとしたら、大急ぎで内藤哲也を連れてきて、「こいつに一発よろしく!」とデスティーノをカマしてもらうことをお願いしたくなるくらい。

ところがそんなガキンチョも、驚くべきことに還暦間近なんですわ(笑える)。しかも、いつしか無意識のうちに「やがて訪れる最期は静かに、穏やかに……」などと考えるようになっていたのですから、まるっきり冗談みたいな話です。

とはいってもまじめな話、できれば波風を立てることなく、“畳の上で”死にたいものですよね。いくら才能に恵まれたとしても、モーツァルトのような最期を迎えなくてはならないのだとしたら、それはあまりにつらいですから。

1756年1月27日にオーストリア・ザルツブルクで生を受けたモーツァルトは、幼少時から「神童」と呼ばれて活躍したことで有名。しかし、一時期は贅沢な暮らしをしていたものの、20代のころには収入の少なさに困りはてていたようです。少年時代に浪費癖を身につけてしまったことが、結果的にはあだになったのかもしれませんが。

いずれにせよ、25歳でウィーンに移るも仕事に恵まれず、宮廷の舞踏会向けに舞踏曲を書いて糊口をしのいでいたのだといいます。本当はソナタや交響曲を書きたかったものの、そういう音楽では派手な暮らしぶりを支えることは困難。そこで、練りなおしや修正を一切することなく、すさまじい速さで作曲したのです。

そののち、音楽一家の出だったコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚して6人の子どもを授かりますが(成人したのは2人のみ)、暮らし向きは苦しくなるばかり。そして最終的には、食べるものにもこと欠くようになってしまいます。

しかも悪いことに、そんなころからのどが痛み始め、肩や腰、膝や指の関節も腫れて痛むようになり、体が動かせなくなってしまうのです。しかし、どこが悪いのか誰にもわからなかったため、ちょっと驚くような療法も試されたようです。



ヒルを使って関節から血を吸わせる治療も試した。当時は、体に悪い血が溜まると病気になると信じられていたからである。痛む関節の毛を剃って、そこを針で突く。それからカップに入れておいたヒルを出し、膝やひじに取りつかせて血を吸わせる。何時間かたって十分に血を吸うと、ヒルは自分で皮膚から落ちる。(『偉人たちのあんまりな死に方』ジョージア・ブラッグ 著、梶山あゆみ 訳、河出文庫 より)



読んでいるだけで無性に痒くなってきちゃいますけれど、それはともかく同じころ、見知らぬ使者から『レクイエム(死者のための鎮魂歌)』の作曲を依頼されます。報酬がよかったため依頼を受けますが、作曲に取り組みながらも体は弱っていくばかり。まるで自分のためにレクイエムを書いているかのような、不気味な感覚にとらわれたそうです。



モーツァルトの両手は腫れあがる。美しい音楽をつむいでいた指は、一〇本の太すぎるソーセージに変わった。モーツァルトは寝ついた。
しばらくすると嘔吐を始め、熱がはね上がって発疹がひどくなる。全身が風船のようにふくれて、体を起こしていることができない。ベッドの背に苦しげにもたれかかる。指も腫れているので、ペンをもつのもままならない。それでもレクイエムのメロディを口ずさみ、手でリズムを刻んで、それを助手が五線譜に書きうつした。(『偉人たちのあんまりな死に方』ジョージア・ブラッグ 著、梶山あゆみ 訳、河出文庫 より)



しかし残念なことにモーツァルトは、病に臥してからわずか15日で世を去ってしまいます。皮肉にも自身の予感どおり、最期まで自分のためのレクイエムを書いていたことになったわけです。

彼の命を奪った病気は、まず連鎖球菌によるのどの感染症から始まったとみられているそう。やがて菌が血液や関節にも入り込み、最終的には腎不全につながったということ。

最後のレクイエムは未完のまま終わり、最終的には弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーが補筆して完成させたのです。



連鎖球菌によるのどの感染症は、今なら抗生物質で治る。不幸にも、モーツァルトが死んだのは抗生物質が発見される一四〇年近く前だった。(『偉人たちのあんまりな死に方』ジョージア・ブラッグ 著、梶山あゆみ 訳、河出文庫 より)



なんとも悲しい結末……。だからこそ、そんな最期の光景を思い浮かべながら『レクイエム』を聴いていると、「いつまで生きられるかはわからないけれど、生きていられるうちは誠実に毎日を過ごさなければ……」などと、ガラにもないことを考えてしまったりもするのです。




『モーツァルト:レクイエム』
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ヘルベルト・フォン・カラヤン




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
作家、書評家。
1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。「1ページ5分」の超・遅読家だったにもかかわらず、ビジネスパーソンに人気のウェブ媒体「ライフハッカー[日本版]」で書評を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。その後、ほかのウェブサイト「ニューズウィーク日本版」「東洋経済オンライン」「サライ.jp」「マイナビニュース」などでも書評欄を担当することになり、年間700冊以上という驚異的な読書量を誇る。
著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(PHP文庫)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書する家族のつくりかた』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)など。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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