【11/26更新】 印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/11/26

印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。

作曲家のユーモアが発揮された曲がある

ハイドン『驚愕』



かなり昔の話です。

その日は友だち数人と、車で日帰りの旅をしたのでした。行きも帰りも僕が運転したのですが、とても厄介だったのは、助手席にいたKという男が非常にうるさかったこと。自分は免許すら持っていないくせに、運転について、あるいは道のことについて、あれこれ口を出しやがるのです(いますよね、そういうタイプ)。

しかも帰りは、疲れを感じながら運転を続ける僕を尻目に、誰よりも早く寝息をたてはじめる始末。

「さすがに、これは懲らしめてやらなければなるまい」

そんな気持ちが芽生えたため、思いついたことを後ろの席に座るふたりの友人に伝えました。で、彼らが快く承諾してくれたこともあり、熟睡するKを横目に見ながらそれを実行に移したのでした。

なにをしたか?

Kが気持ちよさそうに寝息を立てていたとき、ナパーム・デスの“You Suffer”という曲を爆音で流したのです。クラシック・ファンの方はご存知ないかもしれませんが、ナパーム・デスはグラインド・コアというジャンルに区分けされる音楽をやっているバンド。

グラインド・コアとは、ハードコア・パンクとデス・メタルを足したような、非常に過激なロックです。その中核的存在であるナパーム・デスの音楽性といえば、超高速ドラムにヘビメタとハードコア・パンクをかけ合わせたようなギター、そして歌詞なんかまったく聞き取り不可能なヴォーカルをごちゃ混ぜにしたような感じ。

e-onkyoにも『THROES OF JOY IN THE JAWS OF DEFEATISM』という近作が入っているので、興味のある方はぜひ。

ちなみに、そのときかけた“You Suffer”は、世界でいちばん短い曲としてギネスに掲載されてもいる代表曲。どれだけ短いかといえば、1秒ちょっとしかないのです。つまり、そんな曲(といえるのかどうか)を爆音で流されたとしたら目を覚ます以外にないわけです。

はたしてKはビクッと飛び起き、僕を含む残り3人は大爆笑したのでした。Kの表情に殺意のようなものが表れていた気もしましたが、それは気にしないことにしました。だって冗談なんだから。

たしかに冗談としてのレベルは低いでしょうが、こちらが真面目にやっていればいるほど、態度の悪い人間にはイタズラをしかけたくなっちゃうものですよね。

そう思うからこそ、僕はハイドンの気持ちもなんとなく理解できるのです。なんのことかって、『交響曲第94番“驚愕”』の話。

とても有名なエピソードなので、ご存知の方も多いのではないかと思います。が、ナパーム・デスつながりということで(いや、つながらないから)ご紹介したいと思います。

1791年に作曲された『交響曲第94番“驚愕”』は、多作で知られるハイドンの作品中、おそらくもっとも有名な楽曲。その特徴は、第2楽章の冒頭部分にあります。それこそ眠気を誘うような弱音の心地よいメロディーが2度繰り返され、そのまま続いていくのだろうと思いきや、次の瞬間には合奏による「ジャン!」という大きな音で驚かせるという仕組みになっているのです。

しかし、そんな曲にしたことには理由があるようです。長らく仕えてきたニコラス・エステルハージ侯爵が世を去ったことがきっかけでフリーランス状態になったハイドンは、ヨハン・ペーター・ザーロモンという興行主に招かれてロンドンへ移り、12曲もの交響曲を書き上げます。

まさに絶頂期だったわけですが、この時期、演奏中に居眠りをする観客の姿を目の当たりにしたことから、彼らをこらしめてやろうとしたのです。しかも、あくまでユーモアとして。

つまりは、それが『交響曲第94番“驚愕”』だったということ。ハイドン、ユーモア発揮しまくりですね、シャレが効いてるわー。

ちなみに“驚愕”は正式な名称ではなく、ロンドンの新聞に掲載されたコンサート評から広まったものなのだとか。

ともあれ、結果的にはこれが大成功。初めてこれを聴いた観客は飛び上がるほど驚いたらしいので、「してやったり」という感じだったでしょうね。

でも現実問題として、当時だからうまくいったのだろうな、とも思います。さまざまな刺激に満ちた現代の感覚だと、飛び起きるほどのものではないので。少なくとも、ナパーム・デスとくらべれば非常に平和な世界です(くらべるなよ)。

当時のロンドン公演で、『驚愕』の第2楽章からナパーム・デスの“You Suffer”へと続く演奏が展開されたとしたら、卒倒する人が出たかもしれませんね。



『ハイドン交響曲集 I :交響曲 第 92番 「オックスフォード」、第 94番 「驚愕」&第 97番』
ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン, オランダ放送室内フィルハーモニー




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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