【10/1更新】 印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/10/01

印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。

イメージと実際の人間性が違いすぎる作曲家がいる

ジャン・シベリウス



先日、映画を観ようと思ってネットフリックスを徘徊していたら行き詰まってしまったんですよ。その数日前に観た韓国ドラマシリーズ『イカゲーム』が強烈におもしろかったので、「あれを超えるものはすぐに思いつかないなあ」みたいな感じになっちゃって。

実際には、おもしろい作品なんで星の数ほどあるはずなのにね。しかも、気がついたら『男はつらいよ』の第1作を観ていたりしたので、我ながら芸がないなあと呆れてもしまったのでした。なにしろ1969年に公開されたこの映画を、僕は過去に何度も観ているのですから。

同じものばっかり観てどーすんだって感じですが、とはいえ『男はつらいよ』はやっぱり名作ですなあ。

寅さんってキャラクターがはっきりしていて、わかりやすい性格じゃないですか。やることなすことすべてがストレートだから、「ああ、こういう人なんだな」って誰にでもわかっちゃう。

僕も「わかりやすすぎるくらいわかりやすい」とよくいわれるタイプなので、なんとなく親近感があるし(あそこまで極端じゃないけど)。

でも厄介なのが、イメージと本当の人間性が乖離している人がたまにいること。たとえば、すごく清潔感があっておしゃれなのに、家がゴミ屋敷だったとか。お金に誠実そうなイメージがあるのに、実は金遣いが荒かったとか。

だとすると、こちらとしても戸惑ってしまいますよね。

この文章を書いているいま、目の前のスピーカーからクルト・ザンデルリンク指揮、ベルリン交響楽団によるシベリウス「交響曲第2番ニ長調 作品43」が流れています。

シベリウスは生まれ故郷である北欧フィンランドの自然豊かな情景を音楽に落とし込んだ人物として知られており、とくに交響詩『フィンランディア』が有名ですよね。僕も大好きですが、一方、第2番にもまた大きな魅力を感じます。

彼の楽曲は非常に映像的ですが、その点においても第2番は優れていると思いますしね。重厚で奥行きがあり、ただ聴き流しているだけでも (行ったことなんかない)フィンランドの森や湖が頭に浮かんでくるというか。

しかも、もうひとつの特徴である民族的な情緒もきわめて濃厚。すべてにおいて完成され、しかもバランスがとれている印象があるわけです。

とくに第4楽章を聴くたび、なぜこんなに美しいメロディを思いつくことができるのだろうかと感心し、そして深い感動をおぼえます。「これだけ緻密で深みを感じさせる曲を書ける人なのだから、さぞや繊細で神経質な人だったんだろうなあ」って。

ところが“現実”に目を向ければ、じつはそうともいい切れないというのがおもしろいところ。

非常にわかりすい寅さんとは対照的に、シベリウスという人は外側のイメージと実際の人間性との間に大きな隔たりがあったようなのです。

酒好きで浪費癖もひどく、早い話が“だらしのない人”だったということ。

「フィンランディア」が書かれたのは1899年(初演は1900年)ですが、同年には初の交響曲である『交響曲第1番』を完成させてもいます。充実した時期であったわけですが、その理由のひとつとして挙げられるのは経済面での安心感です。1897年にフィンランド政府が彼に終身年金を与えることを決定したため、年額3000マルクの援助を国家から受けていたのです。

その影響もあってか(しらんけど)暴飲暴食を繰り返し、湯水のようにお金を使っていたというのです。その結果、支出のほうが多くなって苦労したのだとか。

たとえばお金が底をついていた1903年には、最大の成功作である『悲しきワルツ』の版権を廉価で売り払ってしまうほどだったというのですから、なんとも残念な話。

ちなみにそんな性格は、どうやら血筋だったようです。彼は幼少期に父親を腸チフスで亡くしていますが、その父親も酒好きでお金にだらしがなかったというのです。血は争えないというべきでしょうか?

しかしその一方、作曲家としては1907年に『第3番』、1911年に『第4番』、1915年に『第5番』を、と順調に交響曲を発表してもいます。だらしなくても優秀な作品は書けることを証明してみせたわけで、そのあたりはさすが。

しかし、その筆も1924年の『第7番』を最後に止まってしまいます。交響詩『タピオラ』などを書きはしたものの、以後は1957年に91歳で世を去るまでは沈黙を維持することになったのです。

実は『第8番』が完成していたとの噂もありますが、いずれにしても謎の多い結末。何度か挑戦と失敗を繰り返したらしい禁酒は、最終的には成功したのでしょうか?



『シベリウス:交響曲第2番ニ長調 作品43/同:交響曲第7番ハ長調 作品105』
クルト・ザンデルリンク, ベルリン交響楽団




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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