【7/30更新】 印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/07/30

印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。

面食いを自認していた作曲家がいる

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン



以前、数人の知り合いとの飲み会の席で、「どういう理由で妻を選んだか」という非常にくだらない話題が持ち上がりました。既婚者、とくにおっさんたちの会ではありがちな展開ですよね。

とはいえ、基本的には意味のない話ではあります。したがって、「俺はこうだった」「いや、俺はこうだ」というように白熱しまくる……なーんてことにはならなかったのです。けれど、ひとつだけとても印象的だったことがあったのでした。

Yさんという方が、こんなことをいい出したのです。

「(妻を選んだ理由は)顔に決まってるじゃないですか。そりゃ顔ですよ。顔以外になにがあるんですか?」

はっきり記憶に残っているのは、そのことばがとても潔かったから。嫌な感じはまったくなくて、それどころか面食いであることを躊躇なく肯定できることに痛快さを感じずにはいられなかったわけです。

ちなみに家族が並んだ年賀状の写真を拝見する限り、奥様はたしかに美しい方でした。

もちろん、顔のよさだけですべてが決まるものではないかもしれません。けれど、顔には人間性が表れるものでもあります。そういう意味では、顔のよさを最大の基準にするという価値観も、ある意味では理にかなっているのかもしれませんね。

さて、クラシックの世界で面食いといえば、1.2秒ぐらいで思い出すのは誰あろうベートーヴェンです。

彼は57歳で世を去るまで独身を貫きましたが、だからといって女性に関心がなかったわけではありません。それどころか20〜30代のころは、実に多くの恋愛を経験してきたようです。

調べれば調べるほどさまざまな女性の名前が出てくるので、ちょっと混乱してしまったりもするのですが、いずれにせよ女性に対する想いはかなり強かったのだろうなと推測できるわけです。

それはかまわないんですけど、ただしちょっと気になるのは、彼がかなりの面食いだったらしいということ。

たとえば『ベートーヴェンは怒っている! 闘う音楽家の言葉』(野口剛夫 著、アルファベータブックス)では、ベートーヴェン(当時39歳)が友人の法律家、イグナーツ・フォン・グライヒェンシュタイン男爵へ宛てた手紙の一節が紹介されているのですが、これがなかなか。


さて僕の伴侶探しを手伝ってくれませんか。僕の音楽に心酔してくれるような美人を。……美人でないといけない。
美しくないものは愛することができないのです。
――さもなければ、僕は自分自身を愛するよりほかなくなるでしょう。(74ページより)



ベートーヴェン自身は、小柄で外見も非常にやぼったく、身なりにも無頓着だったことで知られています。そればかりか、社交性にも欠けていたといいますよね。

端的にいえば、モテるタイプではなさそうだったと推測できるわけです。推測ですけど。

にもかかわらず、相手の女性だけには多くを求めるという姿勢は、はたしていかがなものか?

求めるのは本人の勝手なんですが、外見への執着心をここまであからさまに表現されたのでは、どれだけ心の広い女性でも「引くわー」となってしまうような気がします。

ただ、それはベートーヴェンの生真面目さからくるものなのだろうなとも思うのです。本書を読むと、それがよくわかります。生真面目で、そして不器用だからこそ、恋愛対象に対してもこういうストレートな表現しかできなかったのではないかということ。

ちなみに根っからの生真面目さは、同書で紹介されている1815年の日記にも明らか。


毎日五時半から朝食まで勉強すること!

運命が迫ってきた。
だが、なすすべなく不名誉なまま生を終えるつもりはない。
偉大な業を成し遂げて、未来に私の名は残るのだ。(124ページより)



著者によれば1815年は、ベートーヴェンの創作活動の沈滞と苦悩がさらに深まった年だそう。名声は絶頂に達していたものの、さらに自らの創作意欲を駆り立てていかなければならなかったというのです。

まさに楽聖ならではの苦悩ですね。でも、その苦悩に寄り添うことのできる美人となると、やはりそう簡単には見つからなさそうな気もします。




『ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》、《エグモント序曲》、大フーガ』
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


◆バックナンバー
【6/25更新】『ワーグナー:舞台祝典劇《ニーベルングの指輪》』ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ヘルベルト・フォン・カラヤン
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【4/26更新】『ブルックナー:交響曲 第8番 (ハース版) 』朝比奈隆, 大阪フィルハーモニー交響楽団
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【3/28更新】『Satie: Vexations (840 Times)』Alessandro Deljavan
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【3/12更新】『リスト:《巡礼の年》全曲』ラザール・ベルマン
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【3/5更新】『Rossini:Overtures/ロッシーニ序曲集』アントニオ・パッパーノ指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団
誰よりも早く「働き方改革」を実践した作曲家がいる→ロッシーニ

【2/26更新】 『Kagel: Chorbuch - Les inventions d'Adolphe sax』マウリシオ・カーゲル指揮、オランダ室内合唱団、ラシェール・サクソフォン・カルテット
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【2/19更新】『Haydn: The Creation』ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、フリッツ・ヴンダーリヒ
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【2/12更新】『Cage: Works for 2 Keyboards, Vol. 2』Xenia Pestova, Pascal Meyer, Remy Franck, Jarek Frankowski, Bastien Gilson
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【2/5更新】『ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(弦楽合奏版)&序曲集』ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, レナード・バーンスタイン
コーヒーに異常な執着を見せた作曲家がいる→ベートーヴェン

【1/29更新】『プッチーニ:歌劇『トゥーランドット』(演奏会形式)』アンドレア・バッティストーニ, 東京フィルハーモニー交響楽団
たばこ好きが高じて犯罪の域に足を踏み入れた作曲家がいる→プッチーニ

【1/22更新】『ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》 【ORT】』ヴァーツラフ・ノイマン指揮, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
「鉄オタ」だった作曲家がいる→ドヴォルザーク

【1/16更新】『モリエールのオペラ~ジャン=バティスト・リュリの劇場音楽』ジェローム・コレア&レ・パラダン
床を足で叩いて命を落とした作曲家がいる→リュリ

【1/9更新】『モーツァルト:レクイエム』ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ヘルベルト・フォン・カラヤン
お尻をなめることを要求した作曲家がいる→モーツァルト

【新連載】『エリック・サティ:新・ピアノ作品集』高橋悠治
ふざけた曲名の楽曲をたくさん残した作曲家がいる→エリック・サティ




印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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