印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
クラブ・イヴェントの原点のような曲がある
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ヘンデル『水上の音楽』
少し前にとても暑い日があって、夏の到来を感じました。
そして強い日差しを浴びながら自転車を走らせていたら、なんの前触れもなくヘンデルの『水上の音楽』が頭のなかに流れ始めたのでした。
もしかしたら体が暑さを察知し、突貫工事的に“暑気払い効果”を狙ったのかもしれません(推測)。
そこで帰宅後、ひさしぶりにじっくりと聴いてみたのですけれど、いや~、やっぱり夏はこの曲だなー。改めて実感しましたわ。
あ、でも、その前に梅雨があるんだった……。
『水上の音楽』は、ヘンデルの代表曲のひとつである管弦楽曲。中学生のころ、原題が『Water Music』だと知ったときには「そのまんまやんけー!」とツッコミを入れたくなったものです。
そもそも「水上(船の上)で演奏されたことからその名がついた」という経緯があるので、ツッコミとかいう問題ではないんですけどね。
そう、これはイギリス王ジョージ1世の、テムズ川での船遊びのためにつくられた曲。演奏されたのは1717年、すなわち300年以上前のことです。でも当時からすれば、船の上での演奏はかなり斬新な試みだったのではないかと思います。
いまの時代であれば、船上での演奏はさほど珍しいものではないでしょう。事実、屋形船でのカラオケ大会とか、遊覧船でのDJパーティーなんかもありますしね。
でも、300年前なのです。300年前といえば、日本は江戸時代です。そんなころにヘンデルは、50人におよぶオーケストラを船に乗せて演奏させようと思い立ち、それを実現したのです。
そう考えるとヘンデルという人は、かなり発想がぶっ飛んでいたとしかいえませんね。かっこいいわ。
しかも、夜の8時に宮殿近くの桟橋から出発し、岸辺での深夜11時から翌2時までのディナーを挟んで、朝4時に宮殿に戻るという超強行スケジュール。というか、これはもう現代のクラブ・イヴェント(昨今はコロナの影響で行われていませんが)と大差ありませんね。
そういう意味で『水上の音楽』は、クラブ・イヴェントの原点のような楽曲だともいえそうです。どうあれ“遊び”にかける人間の熱量は、昔もいまも変わらないんだなぁと思わずにはいられません。
とはいえ現場で演奏する人々にとって、それは苦行でもあったでしょう。なにしろ、船が往復する間に3回も演奏させられたという話があるのですから。『水上の音楽』はだいたい1時間ぐらいなので、彼らオーケストラは少なくとも3時間は演奏し続けたということになります。
たまったもんじゃなかったでしょうね。
とはいえ冒頭にも書いたとおり、『水上の音楽』は涼しげでとても心地のよい曲。舟遊びのBGMとして繰り返し聞きたくなる気持ちも、わからないではありません。
なお余談ながら、『水上の音楽』をめぐっては、ヘンデルの名誉に関わるようなエピソードも残されていたりします。
彼は1710年にドイツのハノーバー候のもとで宮廷楽長を勤めていましたが、1712年以降は仕事を放棄してイギリスに渡り、ロンドンに定住していたというのです。つまりはハノーバー候を裏切ったようなもの。
しかし1914年にイギリスの女王が亡くなると、一大事が起こります。なんとハノーバー候が、新国王ジョージ1世として迎えられることになったのです。
そこでヘンデルは新国王との関係を修復させるべく、『水上の音楽』をプレゼントして丸く収めたのでした……というお話。
好き勝手やってたくせに調子がいいなあと思わずにはいられませんし、よくできたストーリーではあります。
が、実際にはこの話は事実ではないそうです。
それどころかヘンデルは、ハノーバー候がジョージ1世となるための情報収集をするため、先んじてロンドンに派遣されたという説もあるのだとか。もちろんそれだって“説”に過ぎないでしょうけれど、少なくとも好き放題やっちゃっていたわけではなさそうです。

『ヘンデル:組曲「水上の音楽」全曲』
ヘルムート・コッホ, ベルリン室内管弦楽団
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