月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
アメリカ『名前のない馬』
「名前のない馬」を耳にするとなぜもの悲しくなってしまうのか、改めて聴きながら考えてみた
子どものころの話。
母が音楽好きだったため、キッチンにはいつもラジオが流れていました。
もちろん当時それは日常でしかなかったので、聞こえてくる音楽が僕にとって特別なものだったわけではありません。
とはいえ振り返ってみれば、そのラジオの小さなスピーカーは、間接的な、しかし重要な情報源だったのかもしれないなと、いまさらながら感じたりもします。
そこで知った楽曲、そこで知ったアーティストも少なくなかったから。
たとえば強烈に覚えているのは、アメリカという名のイギリスのバンド(非常にややこしいですね)の「名前のない馬」についての印象です。
キッチンでその曲を初めて聴いたのは、たしか小学校5年生のとき。
アメリカがアルバム『America(邦題:名前のない馬)』でデビューしたのは1971年12月で、シングル・カットされた「名前のない馬」が全米チャート3週連続1位になったのは翌年の3月です。
つまりリアルタイムではなく、その数年後にこの曲を知ったわけです。けれども、それは衝撃と呼ぶにふさわしい体験でもあったのでした。
子どもでしたから音楽知識なんて皆無でしたけど、メロディーとハーモニーの美しさにとにかく圧倒されたのです。こんなにきれいな曲があったのか、と。
ただ、聴くたびに気持ちは、どうしようもなく切なく、そして絶望的な方向へと向かってもいくんですよね。
なぜそうなってしまうのか、ずっと不思議に感じていました。でも、あるとき記憶をたどっていったら、その理由がなんとなくわかった気がしたのでした。
この連載をまとめた新刊『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)にも書きましたが、僕は小学4年生になったばかりの時期に自転車事故で頭を打ち、脳挫傷のため生死の境をさまよったことがあります。
意識不明の状態が20日間も続き、入院生活は数ヶ月間におよびました。その間に夏休みになったこともあり、9月に学校に戻るまでには4カ月くらいかかったことになります。
主治医から「99%、命の保証はできません」と告げられていたほどなので、回復できたことは本当に幸運だったと思います。しかし、10歳になったばかりだった子どもにとって、本当にきつかったのはそれからでした。
もちろん、それ以前と変わらずに接してくれた人もたくさんいました。けれども同級生、その親、あるいは近所の大人たち、多くの人たちから「頭を打った(=終わった)子」として見られるようになったのです。
まぁ、そんなものだろうなと思ってはいましたけど。
なーんて書くと「子どもらしくない」と思われるかもしれませんが、子どもだって、その程度のことは考えられるものです。いや、子どもだからこそ考えられるというべきかな。
いずれにしても退院後は、目の前の空気が明らかに変わったのです。
たとえば怪我する前から、僕は近所の小さな男の子をかわいがっていて、よく家にお邪魔してはその子と一緒に遊んでいました。その子のお母さんも、やさしい笑顔で僕たちを見守ってくれていました。
ところが退院後、以前のように遊びに行ったら、そのお母さんの態度と口調が別人のようになったのでした。
「危ないから、もう遊ばないでくれる?」
冷たい表情でそんなことをいわれ、ちょっとしたショックを受けました。でも抵抗しなかったのは、「頭を怪我したんだから、そういうふうに思われるんだろうな。仕方がないな」と感じたからです。
それは一例に過ぎませんが、学校へ行っても近所を歩いていても、似たようなことは頻繁にあったのです。
しかも長い入院生活のなかでいろいろな経験をした僕は当時、自分はもうすぐ死ぬのだろうと確信を持っていました。
もちろん思い過ごしなのですけれど、しかしそんなこともあり、生きていることはどこか物悲しいものでもあったのです。
そんな精神状態はかなり長引きましたが、なかでもピークというべき時期が、小学校を卒業するまでの数年間、とくに5年生のときでした。
そして、そのころ「名前のない馬」を聴いたのでした。だから、いまだにこの曲を聴くとあのころの寂しさを思い出してしまうのです。
たぶん、ね。
先日、このアルバムを改めて聴きなおしてみました。「名前のない馬」という曲の印象があまりに強かったため、全体像を把握し切れていないような気がしたからです。
結論:とてもいいアルバムでした。
「名前のない馬」に続いてシングル・カットされた「アイ・ニード・ユー」、爽やかな雰囲気も心地よい「川のほとりで(Riverside)」や「3本のバラ(Three Roses)」、子どもに対する温かい視線をイメージさせる「チルドレン」、透明感に満ちた「ここに(Here)」、静かに盛り上がる(おかしな表現だけど)「ドンキー・ジョー」などなど、純粋に「いいな」と思える曲がぎっしり。アルバムとしてのトータルな完成度も際立っています。
全体を貫くアコースティック・サウンドも、ハイレゾだとことさら心地よく聴こえます。
つらかった経験をこうして語れるようになったいまだからこそ、予想以上にみずみずしく感じられたのかもしれないけれど。

『America』
America
この連載が本になりました。
この連載が本になりました。厳選した30本の原稿を大幅に加筆修正し、さらに書き下ろしも加えた一冊。表紙は、漫画家/イラストレーターの江口寿史先生です。
ぜひお読みください!

音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話
印南敦史 著
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