【4/30更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/04/30

印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。

「純粋にもほどがあらぁ!」と突っ込みたくなる作曲家がいる

アントン・ブルックナー


「最近、○○○○さんっていうアイドル歌手を応援してるんだ。おもしろい感性を持ってるし、がんばってるなぁと思って。手紙を書いたら返事をくれたんで、それからやりとりしてるんだよね」
「え、なにそれ? ものすげー歳下じゃん」
「いや、別につきあいたいとかじゃなくて、純粋に応援したいんだよ」

何度か著作にも書いたことがあるM岸という友人が、受話器越しにそんなことを語り始めたのは、僕が結婚して間もなかったころ。だから、30歳になるかならないかの時期だったと思います。

時代的には1990年あたりですから、現在のようにアイドルがブームになっていた時代ではありません。ましてや、インターネットもなかったし。

当時どこかの女子大の准教授になっていたM岸は、見た目もよく洗練された印象の男です。ところが、いかにもモテそうなのに女っ気は皆無。かなり変わった男ではあるので、そのせいだったのかもしれません。

だから僕は、いつか、その“変わっている”ところを理解してくれる女性と出会えればいいなと思っていました。でも、まさか10歳くらい歳下のアイドルに興味を持つことになるとは。

古い友人である僕にはわかるのですが、M岸は恋愛感情や下心があるわけではなく、本当にその子に関心を持っていただけなのです。つまり、そのくらい純粋な男なのです。

わかりにくいなぁとは思いますけど、それが個性なのだから仕方がないですよね。

いずれにしても、そんな男が身近にいたからこそ、ブルックナーという作曲家の“誤解されやすさ”が、僕にはなんとなくわかるのです。

幼少期から音楽の才能が豊かだった彼は、12歳で父親を亡くし、17歳のときボヘミアに近い小さな村の補助教員に。田舎での生活には辟易していたようですが、そののちオーストリア・リンツ大聖堂のオルガニストに就任します。

そして32歳から作曲家を目指しはじめ、39歳で書いた習作『交響曲へ短調』を経て、42歳にしてようやく『交響曲第1番』を完成させたのでした。翌年にはウィーン国立音楽院の教授にもなりましたが、ともあれ以前にも書いたとおり遅咲きだったわけです。

しかも、マーラーなど多くの優秀な弟子たちに恵まれたにもかかわらず、コミュニケーション能力は持ち合わせていなかった様子。

たとえばワーグナーを批判したことでも知られる評論家のエドゥアルト・ハンスリックから作品を酷評された際には、「ハンスリックさんが私のことをディスるのを禁止してくれませんか?」とオーストリア公邸に泣きついたりしています。

そんなん無理に決まってるやん。

そして、そんな“コミュ障”っぷりが炸裂したのが「恋愛」でした。たとえば27歳のときには、16歳の女の子に一目惚れして断られています。
 
それだけではありません。

42歳のときには17歳の子に、45歳のときにも17歳に……という調子で、自分の娘くらいの年齢の子を好きになっては、恋愛のステップを平気で飛び越え“いきなり求婚”し、当然のことながら断られるという失敗を繰り返すのです。

そういった、不器用にもほどがある失恋は計9回。なんてことまでが“歴史”として残ってしまうことはちょっと気の毒だなとも思いますけれど、9人目の16歳の女の子を好きになったのは68歳のときだったというのですから、それはもはやお爺ちゃんと孫の領域です。

ともあれ、そんなことばかりを繰り返してきたから、ロリコン説が囁かれたりするのでしょうね。

ただ、若い子ばかりを好きになったことは事実だったとしても、必ずしもロリコンだったとは決めつけられないと僕は考えています。というよりも、そういう短絡的なことではなかったように思うのです。

つまり、コミュ障で自己表現も下手くそだったブルックナーは、ただただ“純粋”だったのではないかということ。

・純粋だからこそ、作品をディスられて過剰に反応してしまった。
・純粋だからこそ、好きになったら一途になってしまった。
・そして純粋だからこそ、(やたらと長かったり、反復が多かったり、起承転結がなかったり)旧来の“常識”から逸脱した楽曲をつくってしまった。

このように“純粋”という単語を絡めると、普通の感覚では疑問を感じずにはいられないようなことがらも説明することができるわけです。

そして、そこには歳下のアイドルを応援していたM岸と共通したものを感じるので(ブルックナーのほうが極端ではありますが)、なおさら憎めないのです。

ちなみに、いつかM岸にそれを伝えたいと思っているのですが、残念ながらもう20年以上音信不通なんですよね。

会いたいなぁ。


ブルックナー:交響曲全集
韓国交響楽団イム・ホンジョン




◆バックナンバー
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当初、タイトルがものすごく長かった名曲がある→ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン『交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」』

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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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