【2/26更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/02/26
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
ものすごく劇的な死に方をした作曲家がいる

エンリケ・グラナドス


若いころは世間知らずで(そして恥知らずで)“無駄に”尖っていたせいか、「君は畳の上では死ねないね」と、いろんな人からいわれていた気がします。

なぜ、みんな判で押したように、そんな古くさい表現を用いるのか? そもそも、それはどういう意味か?

やはり“無駄に”生真面目だったこともあって、そんなことを真剣に考えすぎたりもしていたのでした。

で、ある人にその意味を問うたところ、返ってきたのは「ロクな死に方をしないってことだよ」などという、これまた失礼な答え。

とはいえ納得せざるを得ない部分はあったので、「そうかもしれないなあ、もう、それは覚悟するしかないのだろうなぁ」と他人事のように思ってもいたのです。

いくら若気の至りだとはいえ、あのころのことを思い起こせば恥ずかしさの極み。そもそも(多少は)大人になったので、いまはむしろ「畳の上で死にたい」ですしねえ。

いや、畳じゃなくてもいいけれど、せめて死に際くらいは穏やかにいきたいじゃないですか。あと、できれば痛くない死に方がいいし(って、注文が多いな)。

さて、“死に方”というと、思い出さずにはいられない人がいます。スペイン・カタルーニャ地方・レリダ出身の作曲家、ピアニストであるエンリケ・グラナドスがその人。

ファリャ、アルベニスと並び、スペイン近代三大音楽家のひとりと称される人物ですが、彼はドラマか映画のような、そして不謹慎ながら「これは避けたいな」と思わざるを得ない、劇的な死に方をした人でもあるのです。

なお誕生日が1867年7月27日で、1916年3月24日に亡くなっているので、その生涯は48年だったことになります。

幼いころから才能を発揮し、16歳でバルセロナ音楽院の主席をえたグラナドスは、そののちパリ音楽院で学ぶためにパリへ。チフスにかかってしまったため入学は断念したものの、以後2年にわたり、ピアノと作曲のプライベート・レッスンを受けることになりました。

そして22歳でバルセロナに戻り、ピアニストとしてデビュー。25歳だった1892年に着手し、1900年に完成させた『スペイン舞曲集』によって高い評価を受けることになったのです。

ちなみにこの曲を生んだ翌年には「アカデミア・グラナドス」という音楽学校を設立し、若手の育成にも尽力。多くの弟子を残していることからも、音楽に対する真摯な姿勢が伺えます。

そんなグラナドスの代表作といえば、1911年のピアノ組曲『ゴイェスカス』ということになるでしょう。この曲にも顕著なスペインの民族的なメロディやリズムこそが、彼の作品の持ち味だといえます。

聴きやすく、しかし緻密に練り込まれており、ゆったりとした質感を伴いながら、ときに情熱的――。そういう意味で、まさに彼らしい作品なのです。

1913年にはオペラに改作してパリで初演しようと試みたのですが、第一次世界大戦が勃発したために断念しています。

「同作を初演したい」との依頼が米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場から届いたのは、そんなときのことでした。

グラナドスは船旅が苦手だったものの、この話は受諾したそうです。そして妻のアンパロとともにニューヨークを訪れ、1916年1月に初演を大成功させたのです。

その結果、トーマス・F・ウィルソン大統領の招きを受け、ホワイトハウスで演奏会を開催することにもなりました。

そのため予定を変更してアメリカ滞在期間を延長したのですが、この決断が悲劇につながることになったのですから運命とは残酷なもの。

演奏会を終え、ロンドン経由でイギリス海峡を渡航していた3月24日、グラナドス夫妻はUボート(ドイツの潜水艦)による魚雷攻撃の犠牲となってしまったのです。

しかも救命ボートに引き上げられていたグラナドスは、波にさらわれようとしているアンパロを助けるためにふたたび海に飛び込み、妻とともに帰らぬ人となってしまったのだとか。

アメリカ滞在を伸ばさずスペインに戻っていたとしたら回避できたであろうと考えられるだけに、不運と呼ぶしかない話です。

だから『ゴイェスカス』を聴くたびに、「もしも自分だったらどうしていただろう?」とか、つい、いろいろなことを考えてしまうのです。



『グラナドス:ピアノ組曲「ゴイェスカス」-恋するマホたち-&「スペイン舞曲集」より』
アブデル=ラーマン・エル=バシャ




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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