【1/29更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2021/01/29
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
多才なのにイマイチ評価が低い作曲家がいる

カミーユ・サン=サーンス


学生時代、「これは天才と呼ぶしかないだろうな」と思わざるを得ないような同級生っていませんでした? 成績優秀でスポーツ万能、おまけに性格もいいもんだから誰からも好かれるというような。

中学3年のとき、同じクラスにいたKくんがまさにそういうタイプでした。いうまでもなく文武両道であり、そこそこイケメンで性格も温厚。たしか学級委員もやってたんじゃなかったかな?

同窓会にも出てこないので、いまだ再会できてはいないのですが、噂によれば大手銀行のニューヨーク支店に勤めたりもしていたのだとか。それを誰かから聞いたときには、さすがだなぁと感心したものです。

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」などという失礼なことわざもありますけれど、やはり才能がある人は、大人になってからも高く評価されるものなのかもしれませんね。

とはいえ例外もあるわけで、クラシックの世界にも「天才」と呼ばれながら、決して評価が高かったとはいえない人がいます。評価とは主観的なものなので、どうでもいいといえばそれまでの話。とはいえ、「それにしても、もうちょっと認められてもいいんじゃないの?」と、個人的には感じてしまうのです。

誰のことかって、サン=サーンスですよ。

なにしろ幼いころから、“モーツァルトの再来”とまでいわれた人物です。ピアノを弾き始めたのが2歳6カ月のときで、その1年後、3歳6カ月で初作曲。さらに7歳から本格的に音楽を学びはじめ、11歳でベートーヴェン、モーツァルトなどのピアノ協奏曲を披露する演奏会を開催。その2年後の13歳のときにはパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを習得。16歳で最初の交響曲を書き、22歳から42歳までの期間は、パリ・マドレーヌ教会のオルガニストを務めたという実績の持ち主。

作曲に関しては、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、オペラ、声楽曲と、多彩なスタイルを横断しつつ170曲もの作品を残すことに。しかも9冊の音楽書籍をはじめ、詩集、戯曲も出版しているんだそうです。

それだけでもすごいのに、語学、数学、哲学、考古学、美術、天文学にも詳しかったのだとか。ちなみに天文学に関しては、天体観測をするべく望遠鏡を設計したなどという逸話も残っているようです。

早い話がなんでもできて、天才と呼ぶにふさわしい人だったわけです。

にもかかわらず、サン=サーンスの作品を手放しで評価する人って、意外なくらいに少ない気がするんですよね。

そのことが以前から気になっていたので、関連書籍をあたってみたりもしたのです。ところが他の大作曲家と呼ばれる人たちとは対照的に、サン=サーンスの功績に焦点を当てた書籍もあまり見当たらないのです。

性格に関してはただの“いい人”ではなかったらしく、辛口の意見を平気で口にしたりもしていたようですが、だからといって嫌われていたわけでもなさそう。事実、1921年に86歳で生涯を終えたときには、国葬も行われています。しかし、それでもやはり“過小評価感”は否定できないように思えてならないのです。

ただ、その反面、(あくまで僕の主観でしかありませんし、矛盾するようでもあるのですが)「ちょっとわかる」気がするのも事実。

サン=サーンスの曲って、絶対的に一流なのです。それは間違いのないことです。けれど、意地悪くいえば「そつがない」。そこそこいいんだけど、ある意味で完璧すぎて、ガツンと心の訴えかけてくるような部分が少ないようにも思えるわけです。

ものごと、とくに芸術作品って、必ずしも完璧であればいいというわけではないじゃないですか。逆にいえば、「あらが多いしツッコミどころ満載でいびつだけど、その不器用さが心を打つ」というようなことも往々にしてあるわけです。しかし、サン=サーンスの場合は逆で、いろいろと完璧すぎる気がするのです。

いろいろ考えてみて、そんな結論に行き着いたんですよね。

とはいえ、決してサン=サーンスはつまらない作曲家ではないと思います。たとえば、いろんな動物が登場する『動物の謝肉祭』は、何度聴いても楽しいですしね。他の作曲家の作品をパロっているあたりも皮肉たっぷりだし、いい意味で毒のある作品だと思います。

ただ、個人的には、サン=サーンス自身も「自分のすべてを注ぎ込んだ」と認めている『交響曲第3番』がいちばん好きかもしれません。「オルガンつき」と呼ばれていることからもわかるように、オルガンが使われた珍しい交響曲。

しかも、オルガンのその“使われ方”が強い説得力を感じさせるため、彼の他の楽曲とはちょっと違って「ガツンと響く」わけです。少なくとも、僕はそう感じています。

だから、たとえサン=サーンスに対する世間的な評価が低かったとしても、この曲が演奏され続ける限り、僕は彼のことを自分なりに評価したいのです。

今年はサン=サーンス没後100年のメモリアル・イヤー。この機会に、改めてその作品に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?



『サン=サーンス:交響曲第3番《オルガン》、死の舞踏、バッカナール、他』
シカゴ交響楽団, パリ管弦楽団, ダニエル・バレンボイム




◆バックナンバー
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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」
 

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