セレクターズ・チョイス--クラシック10月新譜 by 原典子

2020/11/02

音楽のプロによるセレクトで、新譜を中心にご紹介するコーナー「セレクターズ・チョイス」。それぞれのジャンルに精通したセレクターの審美眼にかなった作品をご紹介いたします。ここでは、音楽之友社『レコード芸術』編集部、音楽出版社『CDジャーナル』副編集長を経て、現在はフリーランスとして幅広い執筆活動を続ける原典子氏がクラシック音楽をメインにご紹介いたします。



ベートーヴェンの生誕250周年を祝う今年、予定されていた多くのコンサートは中止となってしまったが、さまざまな録音を通してじっくりとこの作曲家に向き合うことができたという方も多いことだろう。眼光鋭く不屈の精神で高みを目指した芸術家という従来のイメージだけでなく、ときに友と冗談を言って笑い合い、ときに恋に身を焦がすといった人間らしい横顔を伝える曲も数多く録音され、筆者もベートーヴェンに愛着を持つようになった一年だった。


今月の新譜のなかでは、ベートーヴェン弾きとして名高いルドルフ・ブッフビンダーによる『ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番 他』に心癒された。作曲家として地歩を固めはじめた若きベートーヴェンの自信に満ちたハ長調の協奏曲を、ブッフビンダーは瑞々しく、豊かな歌で紡いでゆく。クリスティアン・ティーレマン指揮ベルリン・フィルとの、2016年12月のライヴ録音である。

Beethoven: Piano Concerto No. 1, Op. 15; 6 Piano Variations in F Major, Op. 34
Rudolf BuchbinderBerliner PhilharmonikerChristian Thielemann



一方、五嶋みどりによる『ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス』は、完璧そのものと言えるストイックな演奏に、ベートーヴェンの強靭な精神と偉大さをあらためて感じさせる一枚。コロナ禍の2020年3月にルツェルン祝祭弦楽合奏団と録音されたものだが、全人類が先の見えないウイルスとの闘いに立ち向かうことになった今年が、奇しくもベートーヴェンのアニヴァーサリー・イヤーであったことのめぐり合わせを考えずにはいられなかった。



ここ数年のクラシック界の傾向として、さまざまな時代や様式をまたいで曲を集め、演奏家が独自のセンスでプログラムを組むコンセプト・アルバムが数多くリリースされるようになった。モーツァルトとウクライナの現代作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフを並べたエレーヌ・グリモーの『メッセンジャー』、リスト、ヴィラ=ロボス、ラッヘンマン、ブライス・デスナーなど古今の子守歌を集めたベルトラン・シャマユの『グッド・ナイト!』、クープラン、スカルラッティ、バッハなどのバロックから、モリコーネ、ペルト、ゲンスブールなどの近現代作品、そしてケージの《4分33秒》までを並べたカティア・ブニアティシヴィリの『ラビリンス』と、今月はピアニストによるコンセプト・アルバムが出揃った。このようなアルバムの楽しみは、曲集などの従来の文脈から切り離してまったく別種の曲と並べることで、新たな側面が見えてくるところにある。また、アルバム単位ではなく、1曲単位で聴く現代の若いリスナーには、こういったスタイルが受けるのもうなずける。



ベートーヴェンと並び、バッハも毎月多くの新譜がリリースされるが、今月は神尾真由子による『J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ全曲』が注目を集めるだろう。6年ぶりのソロ・アルバムが自身初となるバッハの無伴奏だというのだから、満を持しての録音かと思うが、その演奏は決して眉間に皺を寄せたり、肩肘張ったものではない。「バッハを神格化せずに、バロックらしい軽い感じで弾きたい」という神尾の言葉どおり、一瞬一瞬の閃きが、煌めく音となってあふれ出る。そのさまを見事に捉えた録音は、ぜひDSDでお聴きいただきたい。

J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ全曲
神尾 真由子



同じくバッハの《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》を、みずからサクソフォンに編曲した須川展也の『バッハ・シークェンス』、《ゴルトベルク変奏曲》をソロ・ヴァイオリンと弦楽オーケストラのために編曲し、さらに現代の作曲家たちに委嘱した新しい変奏曲と組み合わせたニクラス・リーペらによる『ゴルドベルク・リフレクション』も、イマジネーションをかきたてる。



そのほか、モーツァルトが使用していたヴァイオリンで演奏したクリストフ・コンツの『モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集』、理屈抜きにオーケストラの楽しさを満喫できるアンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルによる『BEYOND THE STANDARD オーケストラ名曲集』など、ハイレゾで聴いてこそ! のアルバムが目白押しだ。











 



原典子(はら のりこ)

音楽に関する雑誌や本の編集者・ライター。鎌倉出身。上智大学文学部新聞学科卒業。音楽之友社『レコード芸術』編集部、音楽出版社『CDジャーナル』副編集長を経て、現在は子育てをしながらフリーランス。『intoxicate』『CDジャーナル』『Web音遊人』などの音楽雑誌・Webサイトへの執筆のほか、CDライナーノートの執筆や翻訳、演奏会プログラムやチラシの編集、プレイリスト制作、コンサートの企画運営などを行う。坂本龍一監修の音楽全集『commmons: schola』の編集を2018年まで担当。脱ジャンル型雑食性リスナー。あっちとこっちをつなげる仕事が好きです。








 | 

 |   |