【6/26更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2020/06/26
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
午前中しか働かなかった作曲家がいる

モートン・フェルドマン


新型コロナの影響でリモートワークが浸透し、働き方が大きく変わったという方の声をよく聞きます。

僕の場合は、あんまり関係ないんですけどね。なにしろもう20年以上、ずーっと家で仕事をしているので。

だから、なんにも変わらないんですよ。

しかし僕のことはともかくも、多くのビジネスパーソンにとってリモートワークは衝撃的な変化であったようです。で、そういう生活をするようになると、それ以前には当然のこととしてあった“無駄”に気づくことにもなるのではないでしょうか?

通勤時間が最たる例ですが、他にも、省ける時間が意外に多かったということを身をもって感じるのではないかということ。事実、「仕事の効率は上がったのに、実質的な労働時間は減った」と実感している方も少なくないみたいで、それはとてもいいことだと思います。

過去には会社に泊まることが美徳だったような時代もありましたが(僕も泊まったっけなー)、そもそも、それはおかしな話です。長く働けばいいというものではなく、効率的に無駄なく働くことこそが理想なのですからね。

ちなみに、“家仕事”に慣れている僕が無駄な時間を省けているかといえば、残念ながらNOとしか答えようがありません。起きた瞬間から仕事ができてしまう環境だし、もともとワーカホリックだし、気が小さいから、なにかやってないと落ち着かないんですよね。

だから通勤時間がないとはいえ、あまり休むことはできない(しない)のです。ニントモカントモ。

ところでクラシックの世界には、大胆かつ効率的な時間の使い方をしていた人がいました。それはアメリカの作曲家、モートン・フェルドマン。ジョン・ケージらとも交流の深かった彼は、いわずと知れた現代音楽の重鎮ですね。

フェルドマンは1971年に行われたインタビューで、「朝6時に起きて、11時まで作曲、それで一日の仕事は終わりだ」と答えているのです。だとすれば、働くのは午前中だけだということになります。

では、そのあとはどうするのかといえば、「元気に何時間も歩く」のだそうです(なんとなくかわいい)。しかもジョン・ケージのみならず、画家のマックス・エルンストなどの友人も近くで暮らしていたというので、環境的にも申し分なかったのでしょう。

このインタビューが行われた時点で、彼はそんな「時間のある生活」に満足していたということです。が、そうはいっても決して最初から時間に恵まれていたわけではなさそうです。

両親が事業をしており、フェルドマン自身も親の心配事や生活に関わっていたため、以前は慌ただしく仕事に追われながら作曲するしかなかったというのです。つまり以後は、そこで失った時間を取り戻そうとしたのかもしれません。

なお結婚も、彼に余裕のある時間をもたらしてくれた要因のひとつでした。奥さんが仕事で一日中外に出ていたので、時間を有効に使うことができたのです。

朝6時に起き、買い物をしたり、ごはんをつくったり、家事をしたりして過ごし、夜になればたくさんの友人が来訪したのだとか。早い話が、非常に自由度の高い「主夫」だったということですね。

ところが、そんな生活を続けていた年の暮れに「今年はひとつも曲をつくっていない」と気づいたというのですから、なんとも呑気な話です。

ちなみに作曲のための時間が充分に確保できたとき、フェルドマンはジョン・ケージに教わった作曲法を取り入れたのだそうです。それは、少し書くたびに中断して、書いたものをもう一度書き写すという方法。

書き写している間はその曲のことを考えているので、おのずと新しいアイデアが浮かんでくるというのです。彼は「いままで人から教わったなかで、最高の助言だった」と感想を述べていますが、これは作曲以外のさまざまな作業にも応用できそうではありますね。

また、よい筆記用具や椅子など、周囲の環境の重要性も説いています。仕事をしやすくするためにはどうすればいいか、具体的に考えることに夢中になってしまうというのです。

そればかりか「すわり心地のいい椅子さえ見つかれば、モーツァルトにも匹敵する音楽家になれるのに」とすら言っていたそうですが、椅子を見つけたくらいで天才になれるのなら苦労はしませんね。

というのは冗談ですが、すわり心地のいい椅子がない状態で作曲されたのだとしても、フェルドマンの精緻で緊張感に満ちた音楽性は、それだけで充分に魅力的だと思います。



『Rothko Chapel - Morton Feldman / Erik Satie / John Cage』
キム・カシュカシャン, Sarah Rothenberg, Steven Schick, Houston Chamber Choir, Robert Simpson




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

 

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