世界中の音楽ファン、オーディオファンに愛される藤田恵美さんのニューアルバム『ココロの時間』が発売に! 2008年にリリースされた『ココロの食卓』の流れをくむ邦楽カバーの第2弾は、男性ボーカリストによって歌われた10の名曲が揃いました。録音を手掛けたのはもちろん、長くそのサウンドを支えてきた「HD Impression」レーベルのエンジニア、阿部哲也さん。e-onkyo musicでは、藤田さんと阿部さんのお二人にオンラインでインタビュー。選曲に込めた想いやレコーディングの方向性など興味深い話題について詳しく語っていただきました。ますます磨き掛かった“カモミールボイス”をぜひハイレゾでお楽しみください。
取材・文◎山本 昇 写真提供◎HD Impression
■1970年代の男性ボーカル曲を中心としたセレクション
--藤田さんの新作というと、高音質を期待するファンも多いですよね。そのあたりは今回も意識されていましたか。
藤田 「カモミール」シリーズからずっとエンジニアの阿部さんとアルバムを作ってきましたから、おっしゃるとおりオーディオファンの方に注目していただくことも多いですね。高音質と言われる作品で女性ボーカルというと、ジャズ系のものが多いと感じていたんです。私もジャズは好きなんですけど、育った畑がもっと素朴なほうなので(笑)、そういうフォークとかカントリーの分野でも音がいいと言っていただけるものがあっていいんじゃないかと。そんなことを考えながら選曲し、音作りをしています。
--邦楽のカバーアルバムとしての第2弾となる本作『ココロの時間』は、男性ボーカリストの歌が10曲集まりました。どのような心持ちで選ばれたのでしょうか。
藤田 コンセプトといったことはあまり考えず、まずは自分で歌いたい曲をリストアップしました。すると、私自身がフォークやカントリー出身だったので、おのずとそういう曲が多くなりました。カバー曲として私たちなりにアレンジしたときに、例えばアコースティックギターなどがよく響くような楽曲が選ばれがちですね。結果的にフォークや歌謡曲を中心とした曲が並びました。
--今回選ばれたのは、藤田さんもまだ子供の頃、1970年代の曲が多いですね。
藤田 そうですね。でも、大人になってから知った曲もあります。例えば、「帰れない二人」はシングルだと「心もよう」のB面なんですよね。「心もよう」はよく知っていましたが、「帰れない二人」はあまり憶えていませんでした。
--では、子供の頃から慣れ親しんでいた曲は?
藤田 「白いブランコ」はテレビの歌番組でもよく流れていましたし、自然と耳にしていましたね。「君をのせて」も、昔からなんとなく耳にしていた記憶があります。
--沢田研二さんには他にも名曲がたくさんありますが、あえてこの曲を選ばれたのは?
藤田 何年か前に、テレビドラマで流れてきたのを聴いて、「ああ、そういえばこんないい曲があったな」と思い出して。メロディもすごくいいし、私も歌ってみたいなと思ったのがきっかけです。その後、何度かライブでは歌っているんですよ。実は今回の録音のリストには最初は入れていなかったんですが、周りから「あの曲は入れないの?」と言われまして。ライブでは沢田研二さんを知らない世代にも好評だったんです。名曲は時代を超えても聴く人の琴線に引っかかる何かがあるんだなと思いました。そういう曲をご紹介する意味でも取り上げさせていただきました。
--藤田さんはオリジナル曲も作られていますが、カバーアルバムを作ることの面白さとは何でしょうか。
藤田 カバーアルバムという看板を前面に打ち出すというよりも、オリジナルアルバムに近いような感覚で作っています。私がカバーすることで初めて聴いたという方も多いんです。その曲を知っている人も知らない人も、同じような感じで聴いて、いい曲だなと思っていただけると嬉しいですね。
--今回のような男性の歌手が主に歌ってきた曲を歌うとき、気持ちの入れ方など難しかった部分はありますか。
藤田 これまで特に難しいと感じたことはありません。選曲する段階で、あまりにも男臭さが強い曲や歌詞がすごく男性的すぎる曲は、いい曲であっても歌えないと思えば外しますからね。ただ、例えば「オレ」とか「酒」とか、私が普段はあまり使わない言葉でも、メロディに乗るとそんなに引っかからずに歌えたりするもので、そういう範囲で選ばせてもらっています。
--なるほど。でも、藤田さんがカバーする歌からは、男性/女性の区別なく、ユニバーサルなメッセージとして届くような気がします。
藤田 ああ、そうかもしれませんね。
--どれも思い通りに歌いこなせたという印象ですか。
藤田 そうですね。やれるだろうと思った10曲でしたが、いちばん馴染みがあって、サラっとできるかなと思っていた「白いブランコ」が、実はすごく難しかったんです。男性の曲はレンジも広いんですよね。ビリーバンバンの菅原進さん、ブレッド&バターの岩沢幸矢さんと私でLOVE×3(ラブスリー)というユニットを組んでいて、ライブではこの曲に私もコーラスを付けたりしてとても馴染んでいる曲だったのですが、あらためて自分でやってみて思ったのは、「進さんはすごい!」ということでした(笑)。進さんはいとも簡単に歌っているように見えますが、本当に難しいんですよ。
--収録曲の中で、最も新しいのはリリー・フランキーさんがボーカルを務めるTOKYO MOOD PUNKSの「水曜の薔薇」(2008年)です。
藤田 TOKYO MOOD PUNKSがリリースしたシングルのカップリング曲で、あまり知られていないかもしれませんが、リリーさんの歌詞がすごく良くて、なんて素敵な曲なんだろうと。いつか機会があれば歌ってみたいとずっと思っていたんです。皆さんも気に入っていただけたら嬉しいです。
■信頼のおけるアレンジャーやミュージシャンたち
--アレンジャーとして参加しているのは、西海孝さんと宇戸俊秀さん、そして小松原俊さんのお三方ですね。西海さんと小松原さんはギタリストとして、また、宇戸さんはピアニストとして素晴らしい演奏も聴かせてくれています。
藤田 曲調としてフォーク系のものが多いので、アコースティックな響きが重要になるわけですが、その意味でも彼らのアレンジは多彩だし音色もすごく美しいと感じます。西海君は互いに10代の頃からバンドを一緒にやっていた仲間ですが、森山直太朗さんや遊佐未森さん、太田裕美さんなどたくさんの方のサポートをしています。ギターだけじゃなく、弦楽器はなんでも弾ける人なんですが、このあたりのジャンルのツボを押さえたアレンジは素晴らしいですね。毎回、上がってきたものを聴いて、「うわっ、すごい!」って感動しています。私が考えていたアプローチとは違う方向で上がってくることもありますが、「ああ、これもいいよね」と感心させられます。
小松原さんにはデビューした頃からライブを含めてずっとお世話になっていますが、同じアコースティックギターでも、小松原さんの場合はソロギタリストですから、西海君とはまた違う世界観を持っています。今回の「水曜の薔薇」のように、歌とギターが1対1となるような構成の曲では、間合いや呼吸の合わせ方などが本当に上手いんです。私の音楽には欠かせない人ですね。
宇戸君も20代からずっと一緒にバンドをやってきた仲です。ピアノがメインですが、アコーディオンなども弾きこなす人で、アイリッシュ・ミュージックが好きだったり、私と音楽の好みも似ているんですね。私がイメージする世界観をよく分かってくれるし、歌に沿う演奏もしてくれるので、長いお付き合いになっています。
--ボトムを支えているのは、ベースの鹿島達也さんとドラムの高橋結子さん。共に素晴らしい演奏で藤田さんの歌を引き立てていますね。
藤田 鹿島さんとは、リリー・フランキーさんがプロデュースしてくれた『花束と猫』(2012年)など、すでに何枚もアルバムでご一緒させていただいていています。私の感覚にフィットする、すごく素敵なベースだなとずっと思っていて、今回もぜひお願いしたいと思いました。今回初めてご一緒させていただいた高橋さんは、西海君や宇戸君の共通のお知り合いでした。すごくしっかりとしたドラムだったと思います。
阿部 ベースはエレキとアコースティックが半々くらいでしたが、鹿島さんのベースはものすごく音がいいんですよ。出音がいいので、そのまま録ればいい音で収まってくれるんです。鹿島さんもこちらを信頼してくれていますので、いい仕事ができます。アレンジが決まったら、真っ先に彼のスケジュールを押さえました(笑)。
--ミュージシャンはさらに、ムーンライダーズの武川雅寛さん(バイオリン、トランペット)をはじめ、奥貫史子さん、須原杏さん(バイオリン)、林田順平さん(チェロ)、尾崎博志さん(ペダルスチール・ギター)、山崎ふみこさん(ビブラフォン)、園山光博さん(サックス)、そして松田幸一さん(バウロン)まで、多彩な面々がソロやバッキングで聴き応えある演奏を披露しています。私は1曲目の「セクシィ」での武川さんの浮遊感あるバイオリンが藤田さんのボーカルに見事に絡む様子に、いきなりノックアウトでした。
藤田 「セクシィ」は今回のアルバムにぜひ入れたかった曲の一つです。数年前に下田逸郎さんにすごくハマって、自分で歌えそうな曲としてこれを選んだのですが、同時に頭に浮かんだのが武川さんのバイオリンでした。この曲をやるなら、もう絶対に入ってもらおうと。実際の演奏を聴いて、本当に呼んで良かったと思いました。この世界観をまず聴いていただきたいと、「セクシィ」を1曲目にしようと決めました。
そして、下田さんのライブを観に行ったときに、たまたまサポートミュージシャンとして演奏していたのが、サックス奏者の園山光博さんでした。この方にもいつか参加してもらいたいなとずっと思っていて、今回の「あの頃のまま」で願いが叶いました。そのほか、たくさんの方々に加わっていただきましたが、思えばその一つひとつがすべて、温めていた願望を叶えていく作業と言えますね。
--直近のアルバムである2018年の『camomile colors』は洋楽曲のカバーでした。今回のような日本の歌詞を歌うとき、洋楽にはない面白さを感じることはありますか。
藤田 その曲の良さを歌詞から先に感じられるのは日本語の歌ならではですよね。英語の歌だと、まずはニュアンスやメロディ、アレンジといった全体像からいい曲だなと感じても、歌詞をよく読むとイメージと違っていたりして(笑)、自分が歌う内容ではないなと分かったりしますね。日本語の歌も、もちろんメロディからくるものもありますが、私は自分が歌う曲に関しては歌詞も併せて重視します。その歌詞に、「そうだよね」と共感できる曲を選んでいますね。例えば今回の「プレゼント」は、松井五郎さんの歌詞は私が歌を通じて皆さんに伝えたいメッセージがたくさん盛り込まれているように感じます。
■コロナ禍の影響もあった本作のレコーディング
--では、エンジニアの阿部さんにレコーディングについて伺います。今回は群馬県にあるTago Studioで藤田さんのボーカルやベーシックの演奏を録音したそうですね。
阿部 Tago Studioは3年ほど前から使っていますが、とてもいいスタジオです。機材もかなり充実していまして、高崎市が持っているスタジオなので財源があるからか、オールドの機材もたくさんあるんです。しかも、使う側が高崎市についてなにがしかPRすることで、非常にリーズナブルに利用できるんです。それだけに、先々までブッキングされてしまうので、今回のように余裕を持ってスケジュールできるプロダクトでの利用に限られます。
--すでに何度か利用されているのですね。
阿部 今回で5作目ですので、スタジオのどこでどう録ればいいかはよく分かっています。そして、このスタジオの売りの一つが、イタリアのFazioli(ファツィオリ)のピアノです。去年、『camomile colors』のライブを名古屋のブルーノートで行ったんですが、そこのピアノがFazioliだったんです。弾き方によって音が変わるピアノなのですが、宇戸さんが弾いたらものすごくいい音で。宇戸さんと相性がいいならやはりTago Studioで録りたいと思いました。

Tago Studioのコントロールルームにて
--そして、その他のダビングは神奈川県のサルビアホールやSound City Annexスタジオなどで行っているとか。
阿部 そうですね。ベーシック以外の楽器はすべて鶴見のサルビアホールで録る予定だったんです。でも、ちょうど新型コロナの影響で、3日間押さえていたうちの初日しか使えなくなってしまって……。公営施設なので仕方ありません。かろうじて、武川雅寛さんのバイオリン(「セクシィ」)とトランペット(「パレード」)、そして須原杏さんのバイオリンと林田順平さんのチェロ(「プレゼント」)はサルビアホールで録れました。その後のダビングに関しては、あのような状況下にも関わらず、ミュージシャンの皆さんが喜んで来てくださるということでしたので、都内の無観客のライブハウスやSound City Annexで行いました。
--そうだったんですか。でも、その3曲ではサルビアホールの音の存在感がしっかりと感じられますね。
阿部 ホールの録音は残響をそのまま乗せるだけで、何か伝わってくるものがあるんですよね。僕は元々、ホールで録るのが好きなんです。実は前回の『ココロの食卓』でも3曲で埼玉県の秩父ミューズパークのホールを使っています。やはり音の密度が違うと思うんですよ。今回はかろうじて1日だけでも録れて良かったです。

横浜市鶴見区にあるサルビアホールで行われたダビング録音のマイクセッティング
--マイキングはいつもどおりに?
阿部 恵美さんのボーカルマイクはNEUMANNのU-47 TUBEと決めています(笑)。NEUMANNならU-67もいい歌が録れるのですが、恵美さんのボーカルの素晴らしい低音感は、少し大きめのU-47じゃないとうまく拾えないんですよ。
--長く録ってこられて、藤田さんのボーカルで変わってきたと感じるところはありますか。
阿部 いまの恵美さんは、歌い始めて「いいなぁ」と思ったら、もう最後までいいんです。昔は僕が返すモニターの音が良くなかったこともあり、1曲の中での音量差が少しあったのですが、いまはそれもほとんどなく、ミックスでいじることもあまりありません。頭から最後まできれいに、恵美さんの気持ちがそのままストレートに流れていきます。うまく集中してもらえるようなモニターを返すことができているなら、こちらとしても安心です。返すモニターによって、歌や演奏は大きく変わるので、すごく気を遣うところです。
--あらためて感じる藤田さんのボーカルの魅力とは何でしょうか。
阿部 デモから録っていると、歌もどんどん変わっていくのに気付きます。その歌を恵美さんがどんどん噛みしめていって、また、バックの演奏に反応する部分もあるんですが、そうした駆け引きも含めて引き出しの多さを感じますね。ご本人としては、きっと心に感じたままを歌っているのだと思います。
藤田 自分ではあまりよく分からないんですけどね(笑)。私が素敵な声だなと感じる若手の女性ボーカリストもたくさんいますし、こっちはどんどん老いていくだけ(笑)。まぁ、自分の世界観でやっていくしかないなと思っています。それをサポートしてくれているのが阿部さんで、いつもきれいに録ってくれて本当にありがたいなと思っています。
阿部 僕はその歌を、とにかく壊さないようにと心がけています。
--ミックスやマスタリングで気を遣ったことはありましたか。
阿部 今回はあえて、オーディオ的な意味での“いい音”にはあまりこだわらず、音楽的によく聞こえることを意識して作りました。『ココロの食卓』もそうでしたが、日本語の歌の場合は音楽的な音作りがしやすいんです。前作の『camomile colors』は久々のカモミールシリーズというプレッシャーもあって(笑)、とにかく高音質にしようという意識が強かったんです。今回は高音質へのこだわりはそのままに、音楽そのものをいかに多くのリスナーに届けられるかという視点を大事にしています。ある意味、昔からずっとやってきたエンジニア的な考え方でもあり、これはこれで楽しかったですね。
--ノン・リミッターにもこだわらなかったと?
阿部 録りの段階では今回もEQやコンプは使っていません。ミックスの作業では、プラグインを一つ通すだけで音はどうしても変化してしまうので、オーディオ的な音の良さを最優先にするなら使わないようにして、他の部分で調整することになります。でも今回は、必要だと思えばプラグインも使用しています。昔のアナログコンソールでやっていたように、何かあればツマミを触って調整していく感じで、音をパズルのように組み合わせて作ってみました。
--出来上がったステレオミックスは音質を犠牲にすることなく、音楽そのもの良さがしっかりと伝わってくるようです。
阿部 最近、ミックスやマスタリングを行っているCAPA3 Studioという僕のプライベートスタジオのモニタースピーカーを、KRKのパワードモニターからB&W Nautilus 802に変えましてね。今まで以上にオーディオ的なものになりましたので、そこでバランスが取れればいいかなと。また、ヘッドフォンやPCオーディオなど、6種類くらいで音を確認しましたので、どんなスタイルで聴いても喜んでいただけると思います。『camomile colors』は、いいオーディオじゃないとよく鳴らない部分も少しありましたので、そうしたことを踏まえて、音楽的に無理のない範囲で作りました。

CAPA3 Studio。現在は、メインとサラウンドにB&W 802、センターにB&W 804を配置したマルチチャンネル仕様になっているそう
--それにしても、阿部さんが録る音、作るミックスにはいつもハッとさせられる何かがあります。『camomile colors』のリリース時のインタビューでは“音像と音場”について解説していただきましたが、やはり空間を意識した録音手法が利いているということなのでしょうか。
阿部 そうですね。楽器なら、そこから直接出てくるもの以外の音をいかに拾えるかは、音場を再現するにあたってとても大事です。
--それはデジタル録音でもあてはまると。
阿部 もちろんです。スペックの低いフォーマットでは難しいのですが、PCMならビット数やサンプリングレートが上がるほど、そういったものはどんどん出てきます。
■音楽的? オーディオ的?
--藤田さんは今回のミックスを聴いて、どのような印象でしたか。
藤田 阿部さんも言うように、『camomile colors』はオーディオ的な音を意識しすぎた部分もあって、究極に近いところまで行ってしまいました(笑)。この音楽的かオーディオ的かというテーマはいつも悩むところです。オーディオ的になりすぎると、一般的な音楽ファンからは「音楽的じゃないね」と言われることもあったりして。そのあたり、私自身はよく分からないんですけどね。ただ、オーディオ的にいいとされる音だけを突き詰めると、例えばアレンジャーが表現したい音楽の世界から離れていってしまうこともあるのかもしれません。特にポップスではね。わざと加工したりすることで表現できる世界観もあると思うんです。
--録音物としての音楽を作る立場からすれば、当然の発想ですね。
藤田 なので、今回はもう少し音楽の中に入り込めるような音作りに戻ってみようと、最初に阿部さんと話をして決めたんです。もちろん、オーディオ界を敵に回すわけではまったくなく、ちょっと揺り戻して作ってみようということです。私自身は音像や音の濁りなど細かいところはあまりよく分からないので、皆さんがどう聴いてくださるかは分かりませんが、最終的なミックスを聴くと、楽曲の世界にすんなりと入り込める音にしてもらえたなと思っています。特に私の歌についてはね。
--ありがとうございます。では最後に、e-onkyo musicのリスナーにメッセージをお願いします。
阿部 先ほどもお話ししましたが、ミックスでは音の一つひとつをパズルのように当てはめていくために、最終的には0.01dB単位での調整を行っています。そういう意味ではかなり究極的な作業ではありました。そこまで追い込んで、音を壊すことなく、音楽としても壊さないようにしました。触りすぎないことを心がけながら、必要な部分はやってみて、ダメだったら戻ればいい。そんなふうにとことん突き詰めてみたのが『ココロの時間』です。僕の中でも、仕上がりに対する達成感はものすごくあります。そして、この次はまたオーディオに振れるかもしれませんし、日本の歌のベストアルバムもいずれ作ってみたいなと思っています。
藤田 e-onkyo musicのリスナーの方には音楽を楽しむ方も、音を楽しむ方もいらっしゃることでしょう。音楽的か、オーディオ的かということでは、私たちはどちら側に迎合するわけでもなく、自分たちの作品としてどうしたいかを素直に考えてみたところ、コロナ禍に見舞われた2020年はこういう形になりました。また年が明ければ気持ちは変化するかもしれません。『ココロの時間』で取り上げさせていただいた曲は、必ずしも大ヒットしたものだけではありませんが、時を経ていぶし銀のような輝きを持つ名曲ばかりです。オリジナルを知っている方にも、初めて聴く方にも、「いい曲だな」と感じてもらえたら嬉しいです。ぜひ聴いてみてください。
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藤田恵美さんのアルバムを聴いていつも感じるのは、その歌や演奏に、押しつけがましいところがまったくないということ。だからこそ、聴き手の奥深くまで降りてゆくことができる音楽。本作は、そんな佇まいはそのままに、歌唱も演奏も、ますます磨き掛かっている印象を受けた。そして、阿部さんのレコーディングとミックスも相変わらず素晴らしい。『ココロの食卓』と同じくデジタル録音ながら、アコースティックとエレクトリックの各楽器がきれいに同居し、ボーカルを引き立てる。曲中のどこをとっても自然な音場が保たれるので、アルバム全体を一気に聴いても疲れることなく、むしろどんどん引き込まれていく。
ハイレゾで聴く『ココロの時間』は、「セクシィ」(下田逸郎)のサルビアホールで捉えた武川雅寛さんの歌うようなバイオリンソロ、アイリッシュテイストを利かせた「白いブランコ」(ビリーバンバン)の絶妙なアンサンブル、日産スカイラインのCMソングとして大ヒットした「ケンとメリー ~愛と風のように~」(Buzz)のアタックを押さえたエレキギターの浮遊感など聴きどころが多くて楽しい。
「最後はどうなることかと思いましたが……」---コロナ禍が世界を襲い始めた時期と重なりはしたものの、なんとか完成させることができたのは運が良かったと阿部さんは振り返る。確かに、全体の進行がもう半月でもずれていたら、作品の形や発売時期は違ったものになっていたかもしれない。インタビューの後、藤田さんは劇場やライブハウスが直面する苛烈な状況を憂えていた。聴き手としても、新作が世に出た幸運を噛みしめながら、ステージでその姿が観られる日を静かに待ち続けていよう。

西海孝さんのアコースティックギターで使用されたマイクはSCHOEPS 55U

日本のスタジオでは珍しいFazioliのピアノ。マイクはメインにNEUMANN U67を3本使用

高橋結子さんのドラムセットはワンタム仕様。NEUMANN U67をオーバートップに使用

ダブルベースの録音ブース。メインマイク(下)はNEUMANN 47fet

レコーディングで使用したヘッドアンプなど。藤田さんのボーカルとベースで使用したBRABEC(左上)は阿部さんが15年ほど使用している愛機。その下のFOCUSRITE ISA 828はアコースティックギターやピアノなど。ドラムにはNEVE 1073、GML8300を使用。コンプやEQも見られるが、本作の録りでは使用していない

本作の主なレコーディングが行われた群馬県高崎市のTago Studio。西海孝さん(左)、宇戸俊秀さんと
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