ECM ~静寂の次に美しい音~

2020/06/12

昨年設立50周年を迎えたレーベル「ECM」。キース・ジャレットやパット・メセニーをはじめとしたジャズ・レジェンドの作品をはじめ、クラシックや現代音楽までも取り込み「静寂の次に美しい音(The Most Beautiful Sound Next To Silence)」と称される独特のサウンドと世界観を築き上げてきた。1600タイトルを超える圧倒的カタログ数を誇りながらも、一聴して分かる個性的な響きで、多くのオーディオファンを虜にしてきたECMレーベル。ここでは、音楽ライターの原雅明氏の解説により、ECMの魅力を更に深掘りしてみたいと思います。




 1969年に旧西ドイツ時代のミュンヘンで設立されたECMは、世界で最も成功したインディペンデント・レーベルの一つである。これまでにリリースしたタイトルは1600を超えているが、現在もなお、月に数タイトルをコンスタントにリリースし続けている。「静寂の次に美しい音(The Most Beautiful Sound Next To Silence)」がレーベルのキャッチフレーズのように使われるが、ECMの活動は実にアグレッシヴそのものであり、e-onkyo musicで提供されているハイレゾ音源やサブスクリプション・サービスでのデジタル配信にも積極的で、音が想起させる静的なイメージとは対照的だ。

 ECMは、その記念すべきファースト・リリースとなったマル・ウォルドロン・トリオの『Free At Last』以来、いまもジャズを大切にリリースしている。それと同時に、クラシック、現代音楽、古楽、民俗音楽、映画音楽やエレクトロニック・ミュージックまで、多様なフィールド、世界のさまざまな地域から幅広くアーティストを選定し、作品を紹介してきた。ECM(Editions of Contemporary Music)の名の通り、ジャンルを跨いで、ECMという現代的なサウンド・デザインによって、統一した世界観を提示してきたと言える。それは音楽のみならず、アートワークにも顕れていた。そのレーベルのアイデンティティを築いてきたのが、設立者の一人でメインのプロデューサーを務めるマンフレート・アイヒャーだ。

 ECMは、スタジオでの2日間のレコーディングと1日のミックス作業で完成させる、スピーディーでコンパクトな制作スタイルを基本とし、その現場の多くにアイヒャーは立ち会ってきた。特に、70年代にアイヒャーと、エンジニアのヤン・エリック・コングスハウグは、ノルウェー、オスロのタレント・スタジオやレインボー・スタジオを拠点に、ECMサウンドの基盤を確立していった。そして、キース・ジャレット、チック・コリア、ポール・ブレイ、ヤン・ガルバレク、テリエ・リピダル、ボボ・ステンソン、デイヴ・ホランド、ジョン・サーマン、ポール・モティアン、ジャック・ディジョネット、ラルフ・タウナー、パット・メセニー、エグベルト・ジスモンチら、蒼々たる面々のアルバムを世に送り出した。

 「録音の新たなスタンダードを作った」とECMのプレスが説明しているように、それらのアルバムは空間を活かし、残響を残す独特の録音が徹底された。アイヒャーとコングスハウグは、特にリヴァーブによる音響処理を好み、リヴァーブを使うことでもたらされる“余地”を大切にした。コングスハウグはビートルズの録音で有名なアビーロード・スタジオでも使われていたプレート・リヴァーブ、EMT140をはじめ、複数のリヴァーブを所有していたが、アイヒャーの特にお気に入りはLexiconのリヴァーブで、「私の最良の友人」とまで称した。

 また、制作においてもう一つ大切にされたのは、録音された音源に対して、必要最小限のミックスしか施さないことだ。コングスハウグは、「ECMの録音では、ミックスがマスターだ」と述べている。通常は、マルチ・トラックに録音された音源を、時間をかけて丁寧にミックス(ダウン)して、2chのトラックが制作される。それをさらにマスタリングで、イコライザーやコンプレッサーなどの音響エフェクト処理を施して、CDやレコードのプレス、デジタル配信のための最終的なマスターが出来上がる。ところが、ECMでは、ミックスでほぼマスターが仕上がる。マスタリングで行うのは曲ごとのレヴェルの違いの調整くらいで、録音の際にほぼ完璧なバランスが取れているからだ。アイヒャーのミックスでの指示もとても簡潔だとコングスハウグは言う。

 残念ながら、コングスハウグはECMが設立50周年を迎えた昨年10月に亡くなった。しかし、彼とアイヒャーが作り上げたECMサウンドのエッセンスは、最新のリリースにも貫かれている。いま少しずつ、ハイレゾ音源としても楽しめるようになってきたECMの作品に耳を傾けることは、そのエッセンスを改めて発見する体験にもなるはずだ。




Keith Jarrett(キース・ジャレット)




 ECMの膨大なリリースにおいて、これまでで最も売れたアルバムはキース・ジャレットの『The Koln Concert』(1975年)だ。即興によるピアノ・ソロを録音した本作は、ジャレットとECMの双方に大きな成功をもたらした。ECMのデビュー作となった『Facing You』(1971年)もピアノ・ソロだった。当時、ジャレットはポール・モチアン、チャーリー・ヘイデン、デューイ・レッドマンとのクァルテット(通称アメリカン・クァルテット)を率いる一方で、マイルス・デイヴィスのグループにも参加をしていた。アメリカのジャズ・シーンの最前線で多忙な日々を送る中で、マイルスのヨーロッパ・ツアーの合間を縫って、ノルウェーで『Facing You』を録音した。

 それはECMを始めたばかりのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーの熱心なリクエストに応える形で実現したのだが、ピアノ・ソロを録音したいと申し出たのはジャレットだった。アメリカのレーベルにおいては容易に実現できなかったであろうピアノ・ソロの録音は、以後のジャレットの活動の大きな軸となった。『Facing You』をプロトタイプとするように、即興のピアノ・ソロ・コンサートを本格的にスタートさせ、アイヒャーらはその録音を次々とリリースしていった。それは、現在のところ最新のアルバムである『Munich 2016』(2019年)まで続いている。

 『Munich 2016』は2016年7月16日にミュンヘンのフィルハーモニック・ホールで行ったソロ・コンサートのライヴ録音であり、同じピアノ・ソロ作『Creation』(2015年)のリリース・ツアーの最終日の録音にあたる。『Creation』も2014年に行った世界ツアーのライヴ録音からセレクトされたアルバムだった。また、『La Fenice』(2018年)は、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場における2006年のライヴ録音であり、『Paris / London (Testament)』(2009年)は、パリのサル・プレイエルとロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでの2008年のライヴ録音だ。そして、少し年代は遡るが、『Concerts (Bregenz, Munchen)』(2013年)は1981年のオーストリア、ブレゲンツ公演とドイツ、ミュンヘン公演を収めたジャレットの代表作の一つである『Concerts』の完全版としてリリースされた。また、1976年の日本各地でのピアノ・ソロ・コンサートを収録したCDでは6枚組でリリースされた『Sun Bear Concerts』(1978年)も有名だろう。

 これらは現在、すべてハイレゾで聴くことができる。その音の良さはもちろんだが、パッケージ・ソフトの限定された時間枠を解放して、音に接することもできる。ピアノ・ソロ の即興をベースとした演奏は、それぞれの録音が違う瞬間を作り出している。ジャレットのピアノは、モチーフやメロディ、リズムを常にリアルタイムで見つけ出し、構造やテクスチャーを形成していく。時にはスタンダード曲の演奏もそうした即興の延長に差し挟まれていく。その自然発生的なプロセスにおいては、聴衆や場所、あるいは楽器からフィードバックされるものが与える影響も大きいことをジャレット自身が指摘している。だからこそ、ピアノ・ソロは即興であると共にライヴ録音を重視したのだ。

 今回は、ピアノ・ソロを中心としたジャレットに焦点を当てたが、アメリカン・クァルテットや、ジャック・ディジョネット、ゲイリー・ピーコックと結成したスタンダード曲を演奏するトリオ(通称スタンダーズ・トリオ)、ヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンセンとのクァルテット(通称ヨーロピアン・クァルテット)、チャーリー・ヘイデンとのデュオなどの諸作品、さらにはクラシックへのアプローチもハイレゾでの提供が始まっている。それらもいずれ改めて紹介したい。












Pat Metheny(パット・メセニー)




 もう20年ほど前になるが、パット・メセニーに直接じっくりとインタビューする機会を得た。1976年に初のリーダー・アルバム『Bright Size Life』をECMからリリースした頃のことも振り返ってくれたのだが、その話はとても興味深かった。

「僕はバック・ビートに興味がなかったんだ。マイルスの初期のクインテットとか、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットは、ハーモニック的にあまりアクティヴじゃない。そういったことと、僕らがやっていたことはまったく違っていた。コードは多いし、ハーモニーはアクティヴだった」

 僕ら、というのは、『Bright Size Life』にフィーチャーされたジャコ・パストリアスとメセニーのことだ。二人はポール・ブレイ、ブルース・ディトマスとのアルバム『Jaco』(1974年)での共演で意気投合した。ジャズの世界でベースやギターがホーンに比べて長年目立たない楽器であったことに二人とも変化を求める思いがあったという。それゆえに、『Bright Size Life』はパストリアスと録音された。ボブ・モーゼスのドラムを加えたトリオ編成だが、メセニーが言うように、ギターとベースがアクティヴに動き、そのハーモニックな構造がドラムのビートよりも前に曲を動かしていく。このカラフルでもあるギターとベースが織り成す世界は、間違いなくジャズに新しい流れを生み、メセニーの音楽を特徴付けることになった。

 その後、メセニーは良き理解者であるピアニスト、キーボーディストのライル・メイズと共にデュオ作『Watercolors』(1977年)や、パット・メセニー・グループとして『Pat Metheny Group』(1978年)、『Offramp』(1982年)、『Travels』(1983年)など、ECMから次々とリリースを重ねていった。特にパット・メセニー・グループは、メセニーのギターとメイズのピアノ、シンセサイザーとのハーモニーを軸に、マーク・イーガンのベースとダニー・ゴットリーブのドラムが軽やかなアンサンブルを支える絶妙なリズム体を形成した。

 一方で、メセニーはECMからギター・ソロ作『New Chautauqua』(1979年)や、チャーリー・ヘイデン、ジャック・ディジョネット、デューイ・レッドマン、マイケル・ブレッカーと録音した『80/81』(1980年)もリリースしている。共にメセニーのキャリアにおいて重要な作品だ。複数のギターを多重録音して制作された『New Chautauqua』は、様々な楽器を多重録音したキース・ジャレットとはまた違ったアプローチながら、ECMでしかリリースできないような多重録音ゆえのパーソナルな世界を楽しむことができる。また、『80/81』では、ジャレットのクァルテットやトリオのメンバーと重なる編成で、ジャズ・ギタリストとしてのメセニーのプレイを堪能できる。特にタイトル曲の“80/81”では、オーネット・コールマンのフリー・ジャズの世界にメセニーならではの軽やかなトーンで切り込んでいくようなプレイはスリリングだ。後にメセニーはオーネットとの共作『Song X』(1986年)やUKのフリー・インプロヴィゼーションの第一人者デレク・ベイリーとの共演も経て、ハードなインプロヴィゼーションのギター・ソロ作『Zero Tolerance for Silence』(1994年)までリリースした。

 フュージョンから、オーセンティックなジャズ、そしてフリー・インプロヴィゼーションまで如何様なプレイも易々とこなすことができる、極めて現代的なギタリストがパット・メセニーである。そのことは、ギル・ゴールドスタインとアラン・ブロードベントがオーケストラ・アレンジを担当し、現在のパット・メセニー・グループのドラマーであるアントニオ・サンチェスやミシェル・ンデゲオチェロも参加している最新作『From This Place』(2020年)でも示されている。ギタリストであると共に作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしても並外れたバランス感覚を持っている。こうしたメセニーの多様性は、ECMと共に育まれてきたものだと言えるだろう。







-



 

原雅明(はら まさあき)

音楽ジャーナリスト/ライターとして各種音楽雑誌、ライナーノーツ等に寄稿の傍ら、音楽レーベルrings(https://www.ringstokyo.com/)のプロデューサーとして、新たな潮流となる音楽の紹介に務める。また、LAのネットラジオ局の日本ブランチdublab.jp(https://dublab.jp/)のディレクターも担当。ホテルの選曲やDJも手掛け、都市や街と音楽との新たなマッチングにも関心を寄せる。著書『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』(DU BOOKS)ほか。

Twitter:http://twitter.com/masaakihara

 | 

 |   |