話題のダイレクト・カッティング作品---井筒香奈江『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』が ハイレゾで登場!

2020/05/27

独自の世界観を湛えた作品で音楽ファン、そしてオーディオファンを唸らせてきたシンガー、井筒香奈江さん。その最新作『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』は2019年11月、キング関口台スタジオでダイレクト・カッティングされたアナログ・レコードとして発売されました。前作『Laidback2018』と同じくエンジニアを務めた高田英男さんは、かつての名盤『GUITAR WORK SHOP Vol.3』(1979年)でもダイレクト・カッティングを手掛けたことでも知られています。そんな話題作がこの度、ついにハイレゾで登場します。e-onkyo musicでは井筒香奈江さんにメール・インタビューを敢行。作品のコンセプトから緊迫するレコーディングの様子まで、詳しくご紹介いただきました。本作のすべてを楽しむうえでも必読のテキストを、ぜひお楽しみください。

文・取材◎北村昌美 写真◎渡邉久美

 


 井筒香奈江の新作『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』はタイトルが示す通り、一風変わった作品のようにも見える。ジャケットにアーティストとエンジニアの名前が同等に並んでいるのも極めて珍しい。いったい本作はどのような背景から生まれた作品なのだろうか、こちらの想像力はどこまでも膨らんでくる。そこで、筆者は彼女へ幾つかの質問をメールで投げかけた。ここに掲載するのは後日、井筒さんから届いた回答のすべてである。

 ここではインタビューに先立ち、本作のベースとなっている「ダイレクト・カッティングLP」について説明しておこう。現代のアナログ・レコードは一般的にミックスダウンが完了した2チャンネル・マスターからアナログ盤の原盤であるラッカー盤が製作される。いっぽう、「ダイレクト・カッティングLP」はミュージシャンの演奏をレコーダー類はいっさい介さず、レコーディング・エンジニアがリアルタイムにミックスダウンした音楽信号をカッティング・エンジニアがラッカー盤を製作する手法のこと。当サイトでダウンロードできる『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』は、以下の井筒さんの発言にもある通り、ダイレクト・カッティングによるLPと並行して、デジタル機器でレコーディングされていたハイレゾファイルに他ならない。



井筒香奈江さん。ヴォーカル・ブースにて


-- 井筒さんがそもそも昨年、今回のハイレゾファイルのベースになっているダイレクト・カッティングによるアナログLP制作に挑戦されたのは、どのような経緯があったのですか。

 2019年1月に、レコーディング・エンジニアの高田英男さんからお誘いをいただきました。基本的に高田さんのお誘いはお断りしないと決めていますのでお引き受けしました。当初はキングレコードのアーティストさんが2~3作リリースされてからとのことで私は本決定ではなく、最終的にレコーディングが決定したのが8月、何故か私が第一弾になっておりました。

-- 井筒さんは本作の収録曲をどのような基準で選ばれたのですか。また、それぞれの曲に対する想いや選曲にまつわるエピソードなどがあれば、お教えください。

 当初高田さんから伺ったダイレクト・カッティング・レコーディングの条件が、片面2曲以上で11分前後、編集いっさい無し、OKテイクは3回以上、それを2面、という過酷なものでしたので、まず選曲する上で考えたのは、なるべくミュージシャン全員の負担を分散させる(曲によってメインとなる楽器を変える)、ライヴでの演奏経験があり新鮮でもある、A面とB面ではイメージを変える、ということで、それを基に曲を選んでいきました。

A面1「Love Theme from Spartacus」(スパルタカス 愛のテーマ)

 オーディオファンの方々は楽器の音色を楽しまれる方も多いので、楽器演奏が主となる曲として選びました。楽器編成は構想中にどんどん変わっていきましたが、最終的にヴィブラフォンとピアノになったのは、キラキラッとした世界観を出したかったからでもあります。ヴィブラフォンの大久保貴之さんには1曲目のイントロという大役をお願いしてしまい、大きなプレッシャーを与えてしまいましたが、このイントロに驚かれる方も多く大正解だったと思っています。

A面2「Superstar」 

 ダイレクト・カッティングの発起人でもあるキング関口台スタジオのテクニカルエンジニア高橋邦明さんよりカーペンターズの曲をとのリクエストがあったので選んだ曲です。カーペンターズは認知度が高く浸透力も強いので、レコーディング曲としては避けたいというのが本音でしたが……。「Superstar」はカーペンターズのオリジナルではありませんが、個人的にも好きな曲だったのと、意外とカヴァーされている方が少なかったので選んでみました。

B面1「カナリア」

 淡々とした小川浩史さんのベース演奏が、長年続けているユニットLaidbackらしいアレンジでとても気に入っていたので、いち早く決めました。ダイレクト・カッティングではコントラバスが加わってW(ダブル)ベースとなり、オーディオマニアの方にも楽しんでいただける編成になっているのと同時に、A面のキラッとした世界とは逆の低音のゴリッとした世界を作れたかと思います。
 どの曲もソロ演奏に関しては演奏者の自由なのですが、特に自由な藤澤由二さんのピアノ・ソロは予定よりも長く、カッティング・エンジニアの上田佳子さんがヒヤヒヤされていたとのこと。本人は時間を気にすることをすっかり忘れていたそうです。

B面2「500マイル」

 B面は2曲とも日本語にしようと決めていました。曲自体は洋楽ですが、忌野清志郎さんの歌詞がとても素敵だったのと、映画の様に場面が浮かんでくる曲でしたので選びました。アレンジがあまりに淡々としているので高田さんからは懸念されましたが、そこは押し切りました(笑)。ピアノの藤澤さんとアレンジを考えている時、「イントロどうする?」と訊かれ「踏切」と答えて出てきたのがこのイントロです。コントラバスのソロは「汽笛」とお願いしたら困惑されていましたが、本番では見事な汽笛を演奏してくれました。磯部英貴さんはこの演奏で「後悔したくない」と高額な弓を新調されました。



大久保貴之さん(ヴィブラフォン)


藤澤由二さん(ピアノ)


小川浩史さん(エレクトリック・ベース)


磯部英貴さん(アコースティック・ベース)


-- ダイレクト・カッティングは今日のレコーディングではきわめて珍しい、ダビングや編集をいっさい施さない一発録音となります。井筒さんご自身をはじめ、参加されているミュージシャンの方々にとっても普段とは何か違ったプレッシャーなどはありましたか。それは具体的にどういったものですか。

 一発録音は過去の作品でも経験はありましたが、それに加えた厳しい条件、頭では分かっていても実際は何が大変で、どういう準備と心構えをすれば良いのか何も答えが無いのが不安でした。経験談を聞く相手もいませんでしたし。それに加え、「とにかく大変だ、緊張で演奏がつまらなくなる、小さく纏まった作品になってしまう」そんな言葉があちこちから耳に入ってきてプレッシャーも倍増。ミュージシャンも皆プレッシャーはあったと思いますが、レコーディングが終わるまではそれを口に出さない人達でした。

-- 井筒さんは今回のプロジェクトを、本作のレコーディング・エンジニアを務めている高田英男さんとどのような話し合いをされて、最終的な作品形態を決めたのですか。

 お話をいただいてから決定するまでの7ヵ月間、いつスタートしても良いように構想は続けておりました。選曲や楽器、アレンジのイメージが浮かぶと高田さんにお伝えし、ご意見をいただき、また考える、の繰り返し。ダイレクト・カッティングは企画からして音にこだわる方向性が強いので、その面でも楽しんでいただけるよう意見を出し合いながら進めていきました。最終的にはある程度アレンジを固めたところでリハーサルを行ない、高田さんにも参加していただき、演奏しながら完成度を高めていきました。「カナリア」はリハーサルまではピアノとベースだけのアレンジでしたが、リハーサルで高田さんからもっと低音が欲しいとのリクエストがあり、試しにコントラバスを即興で弾いてもらったのがWベースになったきっかけです。


サウンド・プロデューサーも務めたエンジニアの高田英男さん


カッティング・エンジニアの上田佳子さん


-- 今回のプロジェクトでは収録の際、アナログLP用のダイレクト・カッティングとハイレゾファイル用のレコーディングを並行し実施されていたと考えて、間違いないでしょうか。

 はい、間違いないです。ダイレクト・カッティングはラッカー盤に直にカットするので聴き直すことが出来ません。テイクのチェックのためにデジタル録音が必要でした。どうせならPCM以外にもDSDでも録っておこうと。


プレイバックを確認中


-- 本作のレコーディングはキングの「関口台スタジオ」で実施されています。収録の前、井筒さんと参加ミュージシャンの方々の間では、どのようなやりとりやコミュニケーションがあったのですか。

 収録当日の本番前に特別なコミュニケーションはなかったと思います。各楽器のサウンドチェックのため、ミュージシャンの入り時間がばらばらで各自すぐに自分のブースに入り、そのまま全体のサウンドチェック、リハーサルと速いペースで進んでおり、お試し録音を聴き返した後に修正点を話し合う位で、それもほとんど無かったと思います。

-- 全4曲のレコーディングにはどれくらいの時間を費やしたのですか。また、曲によっては録り直しなどもあったと思われます。マルチトラック・レコーディングではちょっと有り得ないような収録時のエピソードなどがおれば、教えてください。

 2019年の9月17日にA面、10月10日にB面を収録したのですが、午前中にマイクセッティング、午後から順にサウンドチェック、その後リハーサルを兼ねての関係者向けお披露目収録があり、本番に入ってからは3時間位でした。

 片面2曲、途中で間違えたら1曲目からやり直し、それを3回。自分がヘマしたら全員がやり直しです。ダイレクト・カッティングの最たる難関は「集中力の持続」だと感じました。皆の集中力が維持出来ているうちに全てを終わらせなければなりません。1度良いテイクが録れたとしても安堵することなく緊張感を維持し続ける必要がありました。また集中力は体力を奪いますので、その意味でも長く時間をかけてはいられませんでした。

 エピソードは色々ありますが、B面収録時、3度目のOKテイクが後数秒で録り終わるという時に私のお腹が鳴ってしまい、やり直す羽目になりました。歌は終わっていましたので通常録音でしたら編集でカットすれば済むのですが、1曲目からやり直しです。今となっては笑い話ですが。




-- 井筒さんはダイレクト・カッティング、一発録音の魅力をどのように考えていますか。

 プレッシャーを皆で乗り越え成し遂げた時の高揚感でしょうか、ランナーズ・ハイみたいな。通常のレコーディングでは先ずミュージシャンの演奏が終わり、その後エンジニアさんのミックス作業、次にマスタリング作業というように、作業が時間差で流れていくのですが、ダイレクト・カッティングは皆が録音現場で一斉に終わります。演奏者だけでなく、スタッフ皆が相当なプレッシャーと戦っていますので、一斉に終わった時の一体化した高揚感は他では味わえない最高に魅力的な瞬間でした。その一体感が作品の魅力になるのかもしれませんね。


録音を終え、緊張感から解放された皆さん


-- 井筒さんはリスナーの方々に本作のどんなところを聴いて欲しいですか。

 チーム全員が必ず完成させるとの思いで、模索しながらも力を出し切り作り上げた作品です。今の時点でのチームの力と、まだまだ伸びしろを感じさせる部分も楽しんでいただけたらと思います。

-- 井筒さんは先行リリースされたアナログLPと今回のハイレゾファイルの音の違いは、どこにあると感じていますか。

 抽象的な表現になりますが、温度や肌ざわりが違うように感じます。

「アナログLPが厚みで、ハイレゾファイルは広がり。

アナログLPがクリームで、ハイレゾファイルはシャーベット。」

という印象でした。

-- 最後に井筒さんから、ハイレゾファイルを愉しまれている「e-onkyo music」ユーザーの皆様へメッセージをいただけませんでしょうか。

 このアルバムは、ダイレクト・カッティングというレコードありきの録音手法で録ったものですが、それ故の緊張感や空気感はハイレゾファイルでも十分感じてもらえ、またレコードとは違う魅力をも感じていただけると思います。マニアックな企画の作品ではありますが、自由に聴いて自由に楽しんでいただけたら幸いです。

-- ありがとうございました。



 今回、配信が開始された井筒香奈江の『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』は紛れもないデジタル録音作品でありながら、数多のハイレゾファイルとはその成り立ちがまるで異なる。井筒を筆頭とする参加ミュージシャンたちが普段は味わわないような緊張感の下、プレイされた収録曲はまさに一期一会の賜物である。日本を代表する、しかもハイファイ録音の分野では右に出る者のいない高田英男エンジニアが手掛けた録音は、ハイレゾ・フォーマットでこそすべてを追体験できる。井筒の前作『Laidback2018』で培われた井筒×高田コンビの信頼関係があったからこそ、本作が生まれたのは間違いないだろう。本作が収録されたキング関口台スタジオの空気感までがそのまま伝わってくる音は、これまで多くのハイレゾ録音に挑んできた高田エンジニアにとっても一つの到達点といえるかもしれない。

 『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』は、虚心坦懐な姿勢で耳を傾けるべき音楽だと強く感じる。ミュージシャンの井筒とエンジニアの高田が見据えていた風景がたとえ違っていたとしても、それは録音物である以上、致し方のない記録としてここに在る。一期一会の醍醐味とはそういうものも含んでいるのだと思う。



『Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio』

Vocal: 井筒香奈江

Piano: 藤澤由二

Vibraphone: 大久保貴之(A-1, A-2)

Electric Bass: 小川浩史(B-1)

Wood Bass: 磯部英貴(B-1,B-2)

Sound Producer/Recording Engineer:高田英男[MIXER'S LAB]

Cutting Engineer:上田佳子[キング関口台スタジオ]

Recording Studio:キング関口台スタジオ 第1スタジオ(2019.9.17&10.10)



当日の音声信号の流れを示すシステム図。赤い部分がデジタル録音









■井筒香奈江 関連作品







 | 

 |   |