【5/1更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2020/05/01
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
指揮者が倒れて痙攣する曲がある

マウリツィオ・カーゲル「フィナーレ」


今回は、ちょっとロックのお話から。

引き合いに出したいのは、1970年代中期のパンク・ロック・ムーヴメントが、そののちニュー・ウェイヴというジャンルにつながっていったことです。

もう40年以上経過しているわけですから、いまではちっとも“ニュー”ではありませんよね。でも“新しさ”が重視されていただけに、ニュー・ウェイヴは幅が広く、いろいろな表現を生み出しもしたのでした。

ちなみに1980年代初頭には、ニュー・ウェイヴのアンダーグラウンド・シーンが“パフォーマンス”と接近したことがありました。いまパフォーマンスは「演奏」などの意味で使われていますが、あのころはアヴァンギャルドで演劇的な表現がそう呼ばれていたのです。

そんななか、なぜか流行ったパフォーマンスのひとつが「痙攣」でした。たとえば思い出すのが、1983年に日比谷野外音楽堂で開催された「天国注射の昼」というライヴです。

これはアンダーグラウンドなアーティストが集結した、日中の屋外にはまったく似合わないフェスだったのですが、ステージ上で痙攣している人たちが少なくなかったのです。つまり、一部の人々の間では痙攣がトレンドだったということです。

痙攣しながらパンツ一枚になって赤いペンキを頭からかぶり(僕は最前列で見ていたので、はねたペンキがちょっとかかった)、照明のやぐらに登ってサックスを吹く人がいたり。かと思えば、以後のバンドの人もまた痙攣していたり。

当時は「すげー!」とか思いながら見ていたのですが、いま考えるとちょっと笑えますよね。

ところでクラシックの世界にも、痙攣が盛り込まれている曲があるのをご存知でしょうか。

ドイツの作曲家、マウリツィオ・カーゲルが自身の「50歳記念コンサート」のために書かれた20分程度の室内アンサンブル曲「フィナーレ」がそれ。

というのも、その曲の楽譜には、「指揮者がいきなり痙攣して硬直する。右腕は上げられ、肩は盛り上がる。左手でネクタイを締め、胸のあたりを軽くさする。譜面台をつかみ、聴衆に頭を向け、後ろの床に倒れる」というような指示があるのです。

楽曲そのものは混沌とした印象が強烈で、とても聴きごたえがあります。個人的には、決して嫌いなタイプではありません。現代音楽を許容できる人であれば、同じような印象を受けるのではないかと思います。

が、やはりそれ以上に視覚的なインパクトがすごいのです。痙攣だけが際立っているわけではありませんが、いろいろな意味で力に満ちていて、まさにパフォーマンスという感じ。

なお指揮者が倒れてからはコンサートマスターが指揮を受け継ぐのですが、その足下に指揮者がずっと転がったままになっていたりするので、なかなかにシュールではあります。

残念ながらハイレゾ化はされていませんが、YouTubeにもいくつか動画が上がっているので、ぜひ見てみてください。動画向きの作品ですし。

カーゲルについては以前 も、ティンパニ走者が自爆する「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」をご紹介したことがありますが、自分の50歳を記念してこんな変な曲をつくっちゃうとか、やっぱりどうかしてますね。



『Maurico Kagel: Ludwig Van』
Mauricio Kagel




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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