印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
当初、タイトルがものすごく長かった名曲がある
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン『交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」』
さて、年末も押し迫ってきました。来年は、どんな年になるんでしょうね。
それはそうと、やっぱりこの時期になると、ベートーヴェンの「第9」を聴きたくなってしまいます(いまも聴いています)。そして、そんな自分は、つくづく日本人なのだなぁと感じてもしまうのでした。
日本で「年末には第9」と言われている理由については諸説ありますし、そもそもこの時期に第9で盛り上がってるのは日本人だけという意見を聞くことも少なくありません。
とはいえ、第4楽章の盛り上がり感に、気持ちを高揚させてくれる“なにか”があることだけは事実。
だから個人的には、「年末に第9なんて単純だなー」とツッコミを入れられたら、「単純だよ~ん」と返したくなったりもするのです。いいものはいい、それで充分じゃないですか。
第9の正式名称は「交響曲第9番ニ短調作品125」。その題名からもわかるとおりベートーヴェン にとっては9番目の、そして最後の交響曲です。
この曲が誕生するきっかけとなったのは、ベートーヴェン が1792年に詩人ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄す」に感銘を受けたこと。
独唱と合唱で盛り上がりを見せる第4楽章の歌詞に「歓喜に寄す」が引用されていることには、そんな理由があります。
ただ実際に作曲が開始されたのは1815年で、完成は1824年。ベートーヴェン が「歓喜に寄す」に触れてから23年後にやっと作業が始まり、そこからさらに9年もかけて作曲されたわけです。
ところでその第4楽章のインパクトの大きさからか、第9は「合唱付き」とか「合唱」と呼ばれることがあります。それが一般的だといっても過言ではありませんが、実はこれは“あとづけ”されたもの。
だとすれば「合唱で惹きつけよう」という売り手側の意図が見え隠れするような気がしなくもありませんけれど、いずれにしてもで、ベートーヴェン がつけたわけではないということです。
それどころか完成した時点では、次のような原題がつけられていたのだそうです。
Sinfonie mit Schlus-Chor uber Schillers Ode “ An die Freude ” fur groses Orchester, 4 Solo- und 4 Chor-stimmen componirt und seiner Majest at dem Konig von Preussen Friedrich Wilhelm III in tiefster Ehrfrucht Zugeeignet von Ludwig van Beethoven, 125 tes Werk
訳すと、「シラーの頌歌『歓喜に寄す』による終結合唱を持つ、大管弦楽、四声の独唱と四声の合唱のために作曲され、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにより、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世陛下にもっとも深い尊敬の念を持って献呈された交響曲、作品125」。
落語の「寿限無」のような、とんでもなく長ったらしいタイトルがつけられていたのです。
たしかにこれでは受け入れられにくいでしょうから、のちに「交響曲第9番ニ短調作品125」となったのも当然かもしれません。また、「それでも長いから“第9”と呼ぼうということになった(かもしれない)のもわかる気がします。
第9に関しては、いつも思い出すことがあります。
1979年10月21日に、杉並区和田の普門館で開催された、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニーによる日本公演。このときには第9が演奏され、その様子はNHK-FMで生放送されたのです。
当時の僕は17歳でしたが、そのことをあとから知ったときには、杉並区民だということもあり、「すぐ近くにカラヤンがいたんじゃん!」とちょっと興奮してしまったわけです。
いかにもミーハー根性丸出しですが、このときの録音はNHKのデジタル録音第1号という歴史的価値のあるものでもありました。のちにリリースされたCDも持っているのですが、録音状態が非常によく、いま聴いてもまったく遜色がないことに驚かされます。
ところが残念なことに、なぜかこれはハイレゾ化されていないんですよねー。純粋に、もったいない話だと思います。
以前から、「なんとかハイレゾで聴いてみたい」と感じているので、メーカーの方にはハイレゾでのリイシューをぜひお願いしたいところです。

『ベートーヴェン: 交響曲全集』
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ヘルベルト・フォン・カラヤン
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」