印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
いち早く少子高齢化対策をした作曲家がいる
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
少子高齢化が問題になっています。
「人生100年時代」といわれるわりにはお年寄りに冷たく、これからの日本を担う世代にも希望を持たせてくれない世の中なのですから、若い親が子どもを産むことに躊躇したとしても、それは無理のない話なのかもしれません。
でも、やっぱり子どもは増えてほしいんだよなぁ……。というよりも、子どもが子どもらしく生きられる世の中であってほしい。なにしろ、子どもは人類の宝ですからね。
別に、大家族を増やすべきだとか、そういう極端なことを主張したいわけではないのです。けれど、せめて数人の子どもくらいは無理なく産み育てられる世の中になってほしいと思うだけのこと。
そうそう簡単なことではないでしょうけれど。
ところでクラシックの世界には、“大家族”を地で行った、あたかも元祖ビッグダディのような人物がいます。誰のことかって、かの有名なヨハン・ゼバスティアン・バッハ。
いうまでもなく、約200年の間に50人以上の音楽家を輩出したバッハ一族最大の功績者。バロック音楽における重要な存在であり、西洋音楽の礎を築き上げた人物として知られる大作曲家です。
長く務めた教会で1000曲以上の宗教曲を書いたとか、“調性(「ヘ単調」とか「ハ長調」などのアレ)”を定めたとか、「音楽の父」の名に恥じないさまざまな逸話も残されています。
つまり音楽界においては紛うことなき“聖人”なのですが、なんと生涯に2度結婚し、実に11男9女、全20人の子どもをもうけたのです。
昔はサッカー好きの人から、「チームをつくりたいから子どもは11人ほしいなぁ」なんて冗談をよく聞いたものですが、冗談どころかマジ話。しかも男子が11人ですから、サッカーチームなんか余裕でつくれます。
又従姉弟の関係にあった最初の妻、マリア・バルバラとの結婚は1707年のこと。彼女は1720年に亡くなってしまうのですが、それまでの13年の間に5男2女をもうけています。
次いで、ふたり目の妻であるアンナ・マクダレーナ・ヴィルケとの間には6男7女が誕生。
うち10人は若くして亡くなり、無事に成長したのは男子6人と女子4人だけだったとはいえ、結果的にはいち早く少子高齢化対策をした作曲家だともいえそうです。
そればかりか彼は、父親としても偉大な功績を残しています。すべての息子を作曲家として育て上げたのです。
まず、マリア・バルバラのもとに生まれた長男のヴィルヘルム・フリーデマン、次男のカール・フィリップ・エマヌエル(C.P.E.バッハ)は音楽家として成功。アンナ・マクダレーナ・ヴィルケの息子であるヨハン・クリストフ・フリードリヒ、ヨハン・クリスティアンも大成しています。
つまり“やることやってた”わけで、そういう意味では単に無計画だったというわけではないということ。
しかも、職人のようなスタンスでストイックに量産した楽曲は、どれも高品質。そして特徴的なのは、楽曲の再構築を何度も行なっていることです。早い話が、過去の楽曲を何度も使い回したのです。
と聞くと「反則じゃないの?」と思われるかもしれませんが、それは必ずしも否定されるべきことではないと個人的には考えています。
たとえばヒップホップの世界には、過去のレコードから特定の音源を拝借するサンプリング」という手法があり、それがクリエイティヴィティを高めることにもなっています。
しかもサンプリングには、元ネタを知らない人に、その魅力を伝えることができるという二次的な効果もあります。たとえばスティーヴィー・ワンダーの曲をサンプリングしたヒップホップを聴いた人が、そこで初めてスティーヴィー・ワンダーの魅力を知ることになる可能性があるわけです。
そう考えれば、いわゆる二次使用にも相応の意味があることがわかります。そして、バッハの音楽にも同じことがいえると思うのです。
なにしろ膨大な数の楽曲を量産してきた人ですから、そのすべてを知っている人のほうが限られているはず。しかし曲を再利用すれば、後世の人は彼の楽曲を耳にするチャンスが増えるわけです。
ですから、曲の再利用もあながち無意味なことではないのです。
多くの子どもたちを作曲家として育てたことについても、「自分の分身を量産した」と考えることもできますし……って、さすがにそりゃ極論かな?
『バッハ・カレイドスコープ』
ヴィキングル・オラフソン
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」