【11/1更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/11/01
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
呪いをはねのけた作曲家がいる

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ


クラシック音楽が好きな方であればご存知かとは思うのですが、「交響曲第10番の呪い」というものがあります。10曲目の交響曲、すなわち「交響曲第10番」を作曲しようとすると、ことごとく亡くなってしまうというジンクス。

第10番を作曲する前に死んでしまうということは、「第9番を作曲すると死ぬ」と解釈することもできるわけなので、「交響曲第9番の呪い」と言われることもありますけれど。

発端になったのは、交響曲第9番を完成させたベートーヴェンが、第10番を完成させることができないまま世を去ったこと。そんなわけでシューベルト、ドヴォルザーク、ブルックナーなどなど、以後は多くの作曲家が第10番を避けて通るようになったわけです。

なかでも特にビビッていたのはマーラーのようで、10曲目の交響曲に「交響曲第10番」ではなく「大地の歌」というタイトルがついているのはそのせい。

「大地の歌」はすばらしい作品ですが、発想としてはビルの4階を無理やり5階と呼んだり、4号室を5号室にしたりすることと大差なく、いくらなんでもビビりすぎ。

「俺のせいでそんなことになっちゃったのかよ。迷惑なんだけど」というベートーヴェンの嘆きが聞こえてきそうです。

現実的に考えてみればそんなことがあるはずもなく、このところ話題になっている「血液クレンジング」に匹敵するほど信憑性に欠けた話。その証拠にベートーヴェン以前、たとえばモーツァルトは41曲(諸説あり)を残していますし、交響曲の父と呼ばれたハイドンにいたっては第108番まで作曲しています。

つまり、「ベートーヴェン以前」にそれは普通のことだったわけです。

では、なぜベートーヴェンの死を契機にこんな噂が流れるようになってしまったのか? いろいろな考え方があるでしょうが、このことについては、昔ある人から聞いた話にとても納得したことがあります。

簡単にいえば、労働力の差。つまりはこういうことです。ベートーヴェンを境に交響曲の大作化が進み、演奏時間がどんどん長くなっていきました。しかし当然のことながら、大作になればなるほど高い集中力と強靭な精神力が必要になります。

つまりは作曲という行為によって、膨大なエネルギーが失われていくことに。そのため、「あと1曲で10曲目だー」と意気込んで取り組んだ複数の作曲家が、志半ばにして命を使い切ってしまったということ。

「考えすぎだ」と思われるでしょうか? でも数十年前、「あくまでも俺の推論だよ」と前置きし、居酒屋でそう語ってくださった知人の話に、当時の僕はいたく共感したのでした。

なぜならそれは考えすぎでもなんでもなく、十分にあり得る話だからです。小説家にとって長編を書くことが困難であるように、作曲家が壮大な交響曲を書きあげるためには、ハンパない力が求められるということ。

僕だって、本を書くたびに命を削られるような思いを味わいます。小説でもないし長編でもないけれど、それでも疲弊の度合いはかなりのもの。その感覚が多少なりともわかるからこそ、十分にありうる話だと感じるのです。

さて、かくしてベートーヴェン以降の作曲家たちは第10番を恐れたわけですが、20世紀に入り、そんなジンクスを一蹴する作曲家が現れます。ソヴィエト連邦時代の作曲家であり、交響曲の大家として知られるドミートリイ・ショスタコーヴィチがその人。

彼が第10番を書きはじめようとしたところ、多くの知人が「呪われるで。やめとき」と忠告したのだそうです(無意味な関西弁やめや)。ところがショスタコーヴィチはそんなことに動じず、見事に第10番を作曲してみせたのです。

それどころか最終的には、第15番まで書き上げることになったのですからたいしたもの。反発したり迎合するふりをしてみせたり、あらゆる手段でスターリン時代のソ連と戦い続けたショスタコーヴィチにとって、呪いがどうのという話など語るに値しないものだったのかもしれません。


◆今週のおすすめ


『ショスタコーヴィチ:交響曲第10番&第11番 (96kHz/24bit)』
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ, 読売日本交響楽団




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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