【9/27更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/09/27
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
出だしが非常に遅かった作曲家がいる

アントン・ブルックナー


音楽ライターとして、初めて音楽雑誌に寄稿して原稿料をいただいたのは32歳のときでした。

ちなみにその原稿料は、4500円ぐらいだったと記憶しています。安いと思われるかもしれませんが、音楽ライターとしていただけるお金なんてその程度のもの。

「音楽好きでしょ? なら書かせてあげるよ。でも安いよ」ってな考え方が、この世界の基本だからです。ですから、いまも相場はさほど変わっていないのではないかと思います。

いきなり話が脱線しましたが、そんな僕はどうやら、スタートが遅かったようです。それで困ったことは別にありませんでしたけれど、いわゆる「業界」の端っこに足を踏み入れてみると、20代から売れっ子ライターになっていたような人がたくさんいたからです。

そのためライターになりたてのころから「キャリア10年」くらいに勘違いされることが多く、「えっ、まだ始めて1年なんですか?」と驚かれるようなこともよくありました。

そのたびに、「いや、そうなんです、すみません」と、なぜ謝ってしまうのかわからないようなことになり、なんだかめんどくせえなあと(こっそり)思ったりもしていたのでした。

さて、そんな32歳という年齢について考えるにつけ、よく思い出すのがブルックナーです。なぜって、この人の実質的なスタートラインは32歳だったから。

とはいっても、それまで遊び呆けていたというわけではありません。それどころか、性格はいたって真面目。オルガン奏者だった父親の影響で幼少期からオルガンを弾くようになり(彼の音楽が「オルガン的」だと評されるのは、そのためでもあります)、17歳で田舎の小学校の補助教員になったのでした。ただし給料は安かったようで、畑仕事などもしていたようです。

で、作曲家を目指して本格的に勉強しはじめたのが32歳のときだったのです。ちなみに1855年から1961年にかけて師事した音楽理論家/作曲家のジーモン・ゼヒターは厳格な教育方針で知られていましたが、そんな恩師にさえ勤勉さを指摘され、「あんまり根を詰めすぎると神経やられるから、気ぃつけるんやで(意訳)」と助言されるほどだったというのですから、いかに真面目だったかが想像できます。

いずれにしてもそんな調子だったので、『交響曲第1番』を完成させたときにはすでに42歳。それ以前にも習作として『交響曲へ短調』を作曲していますが、その時点でも39歳。当時の作曲家としては、かなり遅咲きだったことになります。

しかもその1番は、「大胆かつ革命的すぎる」という理由で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から演奏拒否されることに。『交響曲第2番』も最初は指揮者から「演奏不可能」の烙印を押され、『交響曲第3番』も演奏拒否の憂き目にあって初演が延期され……と、なんだかいろいろうまくいかない状態が続いたのでした。

とはいえ、自分に確固たる信念があれば、どんな逆風にも耐えられるはずです。評価してくれる人がいれば、その一方に批判する人がいて当然。そんなことを気にしていたら、クリエイターとして活動していけないわけです。

ところがブルックナーは違いました。なぜって、そもそも真面目なのです。そのため批判を受けると、いちいち戸惑い落胆することに。そこで支援者や弟子、批評家たちは、彼を救うべく数々の助言をしたのでした。

端的にいえば「ここはこう書きなおしたほうがいいんじゃね?(意訳)」というようなアドバイスが相次ぎ、自信喪失状態にあったブルックナーはそれらを次々と受け入れてしまったのです。

ブルックナー作品には、自身による改訂版のみならず「ハース版」「ノヴァーク版」など多くの版(楽譜)が存在していますが、つまりそれは弟子や指揮者がドンドコドンドコ書き換えたから。

自分がいいと思ったものを貫けばいいのに……と思わずにはいられません。しかし版が違おうと、根底の部分にそんな生真面目差があったからこそ、なんだかんだいってブルックナー作品は心に響くのかもしれません。

そういえば、ブルックナーの楽曲は「長すぎる」と言われることがあります。たしかに、もっとも長い『交響曲第8番』は約80分。女性からのウケが悪いと言われるのはそのせいかも。

おそらく、それもまた真面目さによるものなのでしょう。が、たとえ長くてもまったく退屈させないことが彼の楽曲の魅力でもあります。

なおブルックナー作品のなかでもっとも評価が高いのは「8番」と「9番」ですが、個人的には「6番」の重厚さもとても好きです。


◆今週のおすすめ


『ブルックナー:交響曲 第6番』
上岡敏之, 新日本フィルハーモニー交響楽団




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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