【8/9更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/08/09
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ニルヴァーナ『Nevermind』
当時のティーンエイジャーの不満や不安のはけ口となった、グランジ・ムーヴメントの火つけ役


1995年ごろだったと思いますが、クラブでひとりの女の子と知り合いました。そのクラブで毎月開催されていた、ヒップホップ・イヴェントにいつも顔を出していた子。たしか、その当時は20歳くらいだったのではないかと記憶しています。

誰もが認めざるを得ない美人でしたが、サバサバしていて男っぽいところがあったため、いい友だちとしてつきあいやすい存在でした。

ただ、その男っぽさが危なっかしくもありました。結局はいつもギリギリのところで危険を回避していたのですが、明らかに下心を持っている男にもあまり警戒心を抱かなかったため、見ていてヒヤヒヤさせられたわけです。

一度だけ、身の上話を聞いたことがありました。両親の仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていたため、一人娘の彼女にとって家はとても居心地の悪い場所だったのだとか。

だから外に出る機会が増えていき、やがてクラブへも遊びに行くようになったというのです。ただし、クラブ遊びをする一方で勉強もしていたらしく、高校時代から成績は悪くなかったというのですからたいしたもの。

知り合ったころは、どちらかといえばお嬢様学校として知られる女子大に通っていましたが、いつもバリバリのヒップホップ・ファッションに身を包んでいたので、大学ではかなり浮いていたのではないかと思います。

会わなくなったのは、いつごろだったのかな? なにか理由がったわけではなく、なんとなくクラブで会う回数も減っていき、そのうち連絡もしなくなったという、よくあるパターン。

だからこそ、その子がフェイスブックを通じて連絡をくれたことには本当に驚かされました。あまりにも時間が経ちすぎていたので初めは誰だかわからなかったのですが、そこに書かれていた当時のクラブのエピソードを読んでいたら、当時の記憶が鮮やかに蘇ってきました。

なにしろ、すごく目立っていた子だったので。

いずれにしてもそれがきっかけで、少し前に新宿のカフェで再会を果たしたのでした。彼女のことは仮に、Mとしておきましょう。

Mは、すっかり落ち着いた上品な女性になっていました。あのころ、オーバーサイズのトミー・ヒルフィガーのラガーシャツにジルボーのデニムを合わせ、無骨なティンバーランドのブーツを履いているような典型的Bガールだったことが、まったく信じられないほどに。

そして、とても印象的だったのが、もうすぐ20歳になる娘の危なっかしい行動に手を焼いているということ。

「それ、あのころの君とまったく同じじゃん」とツッコミを入れたところ、「そうなんだよねー、まさか自分がこんな悩みを抱えることになるなんて、あのころは思いもしなかった」とM。

若いころはっちゃけていた女の子も、やがて母親になって娘の行動にヒヤヒヤしているわけで、なんだかおもしろいなぁと感じたわけです。そして、不仲の両親に挟まれながら育った彼女が、いま旦那さんとうまくいっていると聞いて安心したりもしました。

ニルヴァーナの『Nevermind』をひさしぶりに聴きたくなったのは、Mと再開したことがきっかけでした。出会ったころの彼女はヒップホップにどっぷりとハマッていたわけですが、その数年前、高校生のころには、当時大ヒットしていたこのアルバムが大好きだったと話してくれたことがあったのです。

親の夫婦喧嘩の声を聞くのが嫌だから、部屋でヘッドホンをかけ、爆音で聞いていたのだと。

新宿の、花園神社の裏手にあったクラブで聞いたその話は、僕にとってとても衝撃的でした。「かわいそう」だというような薄っぺらい感情ではなく、けれど、誰にも言えない苦悩を抱え込んで懸命にがんばっていたんだなと感じずにはいられなかったからです。

ニルヴァーナの代表作であり、グランジ・ムーヴメントの火つけ役となった『Nevermind』は、間違いなく当時の若者の鬱積した感情を代弁してくれていました。

大ヒット・シングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」がまさにそうですが、パワフルかつヘヴィーでありながら、それでいてキャッチー。大きな共感を得たことは、いま聴きなおしても十分に理解できます。

Mがそうであったように、あのころは多くのティーンエイジャーが、このアルバムのなかに逃げ道を探していたのではないかと思います。何年かぶりに聴いてみたら、そんな想いはより強くなりました。

いずれにせよ、不満や不安を乗り越えて親となり、娘のことを心配するMの姿を見ていたら、「人生、なんとかなるもんだな」と感じもしたのでした。

なお蛇足ですが、ハイレゾで聴きなおしてみた結果、このアルバムが意外なほどハイレゾに向いていることにも気づかされました。ゴリゴリとしたリアリティが、より際立っているような印象があるのです。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『Nevermind』
ニルヴァーナ



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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