YMOハイレゾ第3弾発売記念インタビュー! エンジニア飯尾芳史に聞くYMOのレコーディング

2019/07/10
待望のリイシュー・プロジェクト“YMO40”の第3弾は、いよいよ『BGM』、『テクノデリック』というコアなファンも気になる2作。この重要作品のボブ・ラディックによる最新リマスターも、いよいよハイレゾで降臨! e-onkyo music独自のインタビュー企画は、前回の松武秀樹さんに続き、今回はレコーディング・エンジニア/プロデューサーの飯尾芳史さんのご登場です。当時はアシスタント・エンジニアだった飯尾さんが体験した『BGM』、そして『テクノデリック』の“普通じゃない”レコーディングとは?

文・取材◎山本 昇 写真◎e-onkyo music、山本 昇
 

■YMOとの出会いから“スタジオA”へ

--YMOの音楽との出会いはどのようにして訪れましたか。

飯尾 中学から高校の頃は、細野さんの音楽が大好きで、はっぴいえんどはもちろん、サディスティック・ミカ・バンドあたりも当然のように聴いていました。あるとき友達が「細野さんがチョッパーやってるよ」って買ってきたレコードがYMOの1枚目(『イエロー・マジック・オーケストラ』)だったんです。それはつまり「東風」のことで、チョッパーじゃなくてただはじいてるだけだったんですけど(笑)。まぁ、そんな感じで「なんだこれは」と思いながら出会ったのが最初でした。そしてすぐに2枚目(『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』)が出て、それはもうびっくりして、すっかりファンになってしまいました。

--はっぴいえんどの頃からリアルタイムで聴いていたリスナーにとって、細野さんのYMOでの変貌ぶりにはさぞかし驚かれたのでは?

飯尾 そうですね。ただ、細野さんが“イエロー・マジック・オーケストラ”という名前を付ける前に、“イエロー・マジック・バンド”や“イエロー・マジック・カーニバル”という言葉をよく使っていたので、バンド名自体にはそれほど驚くことはなかったんですけど、やっている音楽があまりにもそれまでのものとは違っていたのでびっくりしましたね。

--そういう伏線も感じてはいたと。

飯尾 はい。いま振り返ると、いろんなところで少しずつやり始めていたのかなとは思いますが、当時、北九州に住んでいた僕らは得られる情報も限られていたので。

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YMOのアルバム作りに携わったエンジニア/プロデューサーの飯尾芳史さん。
自らスタジオ設計を行い、現在の拠点となっているモウリアートワークスタジオにて

--『イエロー・マジック・オーケストラ』はどんな印象でしたか。

飯尾 やっぱり“いま”って感じがしました。テレビ・ゲームが流行っていたり……何か新しいことが始まるのって、ああいう感じなんだろうなと思いますね。とにかく“新しい”という感じ。これまでにないものが出てきたなという驚きと、これで音楽ができるんだという驚きがありました。

--その新しさに追い打ちをかけるように、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が出ます。

飯尾 はい。このアルバムはロックであり、ポップだったというのがまたびっくりして……。しかもどこかアカデミックでもある。三者三様のいいところが全て集まって出てきたと感じました。やはり名盤ですね。

--その当時、YMO以外ではどんな音楽がお好きでしたか。

飯尾 日本のバンドがけっこう好きで、四人囃子やコスモス・ファクトリー、外道などいろんなものを聴いていました。自分たちでやっていたバンドも、ちょっとピンク・フロイドというか、どちらかというとプログレ寄りで、そっち系のものをよく聴いていましたね。でも元々は中学の頃からはっぴいえんどやミカ・バンドもずっと追いかけていて、彼らがプロデュースしたものも含めて大体のアルバムは買っていました。RAJIE(ラジ)さんから何から、ほとんどの作品は聴いていましたよ。もちろん、レコードは簡単に買える時代ではないので、分担して買ってみんなで回して聴くという形でしたけど(笑)。

--飯尾さんはドラマーでもあるわけですが、その当時もドラムを?

飯尾 そうです。そのあとセックス・ピストルズでパンクに出会って、また「なんだこれは」と思って、なんか変拍子がバカらしくなっちゃったというか(笑)。それでプログレとは別にパンク・バンドを作ったりして。そんな流れの中だったんですよ、YMOを聴いたのは。

--『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』にもある種のパンク的なものが……。

飯尾 そうですね。ニュー・ウェーヴも入ってくるし、教授(坂本龍一)がそのあたりの音楽は詳しかったですからね。

--そんな飯尾さんがレコーディング・エンジニアを目指したのは、どんなきっかけがあったのですか。

飯尾 普段の僕の言動を見ていた高校時代の友達から、「お前はレコーディング・エンジニアに向いているんじゃないか」と言われたことがあったんです。当時はそんな仕事があることも知らなくて、本や雑誌で調べていくうちに「ミキサー」といった言葉を見つけて、何となくですが、そういう職業もあるんだなと。そんなときに、細野さんの著書『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』を本屋で立ち読みして(笑)、「なるほど、こういうことか」と納得しました。
 でも、その後、アルファレコードに入社した際も、実際に何をやりたいのかは自分でもよく分からなかったんです(笑)。それで、「スタジオに長くいたいです」と言ったら、それじゃあ録音部だということで、アシスタント・エンジニアとして働けることになりました。だから、僕は最初からエンジニアを目指してこの業界に飛び込んだのではなく、とにかく音楽作りに関わりたいという甘い気持ちで門を叩いたわけですが、録音部に所属してようやく高校時代の友達が言っていたのはこの仕事のことだと気が付きました(笑)。

--飯尾さんがアルファレコードに入社した経緯は、以前別の取材でお会いしたときにも伺いましたが、これがまた振るってるんですね。アポも取らずに押しかけて、粘ること数時間。ついに守衛さんが録音部の方に取り次いでくれたという。

飯尾 いい守衛さんでした。あの方がいなければ、いまの僕はないですから。

--そのようにして、見事辿り着いたアルファレコードの“スタジオA”とはどんな場所でしたか。

飯尾 ちゃんとしたスタジオに入ったのは初めてでしたので、当時は「これがレコーディング・スタジオというものか」と思って見ていましたが、いま振り返ってみても、とてもスタジオらしいスタジオだったような気がします。スタジオAにはブースがないんですよ。入り口の手前にブースとして使えるスペースはあったんですが、フロアの中は広い空間があるだけ。そこで衝立を立てて録音するという昔ながらのやり方をしていました。

--3人で「せーの」で録ることもあったのでしょうか。

飯尾 初期の頃はけっこうあったし、その後も毎回、とりあえず一度はみんなでやってみて、結局はバラバラで録るということが多かったと思います。

--最初に間近で見た彼らの演奏は何でしたか。

飯尾 僕が入ったのはちょうど『増殖』をレコーディングしているときで、「タイトゥン・アップ」の細野さんのベースを目の当たりにしてびっくりしました。本当に初めてスタジオに入ったときは矢野顕子さんのアルバム『ごはんができたよ』のレコーディングをしていて、シンセを弾く教授やドラムを叩く幸宏さんも見ることができましたが、やはり演奏はめちゃくちゃ上手いし、アレンジの要求に応える能力の高さにも驚きました。矢野さんだから変拍子も多いうえ、本当に細かくて複雑な指示にもどんどん対応していくのはすごいと思いました。

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左に写っているのは飯尾さんが所有するコンプレッサー/リミッターの名器Fairchild 670


■初のデジタル・マルチにTR-808……『BGM』のレコーディング

--そして、飯尾さんが初めて頭から録音に関わったYMOのアルバムが『BGM』ですね。この作品のレコーディングでの大きなトピックが、マルチトラック・レコーダーに3M D.M.S.というデジタル・レコーダーを導入したことです。音質はさておき、トラックが32に増えたことは、現場の皆さんにとっては魅力的だったのでは?

飯尾 それまでの録音はトラック数の制限との戦いでしたからね。アナログのMTRは4トラックのピンポンから8になった時点でびっくりして、やがて16になり、24になっていったわけですが、それでも足りない場合もある。そんな中に登場したデジタルの32というトラック数はかなりインパクトがあったと思います。でも、デジタルの信号用に1トラック、さらにYMOの場合は同期のための信号とクリック用のトラックも必要ですから、録音できるトラックは29トラックということになりますね。

--まさに出たばかりのデジタル録音によるサウンドは、どのような印象でしたか。

飯尾 音の立ち上がりがびっくりするほど速かったですね。アナログ・レコーダーは、キャプスタンの問題などもあって、“ふわん”と立ち上がるんですが、デジタルは音の出方が全然違うんですよ。メカニカルな面でも速いし、音のスピード感も違っていました。それはいまにも及んでいる“デジタルの音”って感じですね。

--録音は結局、TEACの8トラックのマルチに一旦録音し、それを3M D.M.S.にコピーするという手法で行われたそうですね。なぜそうしたのでしょう。

飯尾 あまりに静かで、デジタルはちょっと怖いなという感じがあったかもしれません。アナログ・レコーダーのヒスノイズにみんな慣れていましたから。デジタルだとテープが回っているのも分からないくらいシーンとしているわけで……なんか違和感があったんでしょう。アナログ・レコーダー特有のマジック、つまり、録って再生するときに、コンプレッションがかかって「なんか良くなる」ということをみんな期待していましたからね。そういうことが全くなく、入ってくる音と出ていく音が同じなのでつまらなかったのかもしれません。細野さんもおそらくそういう印象でアナログも使おうということになったんだと思います。

--それにしても、アナログからデジタルに移す作業はテープのオペレーションも担当された飯尾さんは大変だったのでは?

飯尾 でも、楽しかったですよ。ただ、TEACの8トラではドラムを録ることが多かったのですが、パンチ・インするときもRecボタンのほかに小さなトラックのボタンも全部押さないと動作しなくて、両手で押し込むんですが、どうしても小指だけ力が入らなくて、幸宏さんのハイハットだけ録れなかったとか(笑)、そんなことも何度かありました。そのたびに「すみません!」って謝ると、幸宏さんから「頑張れー!」って(笑)。みんな分かってくれていましたので。

--そうですか。音楽からは伝わってくるような張り詰めた雰囲気ではなかったと。

飯尾 いま行われている多くの録音みたいにせかせかしてはいませんでしたね。時代的にも大らかな感じではありました。何しろ、テープを巻き戻す時間が必要で、それをみんな普通に待っていたわけですから。いまはそんな待ち時間もなくて、みんなせっかちですけどね。

--『BGM』のアルバム作りについて、現場で感じた印象は?

飯尾 最初に気付いたのは歌が増えたことでした。以前のYMOはインストのバンドというイメージが強かったのですが、ハモったりしているのを見て、これまでとはちょっと違うなと感じました。生楽器の使い方も変わりました。そして何と言ってもいちばん大きいのがROLANDのTR-808というリズム・ボックスの登場でしょう。このアルバムの中心にあったのが808(ヤオヤ)です。808があったからこそ、『BGM』はできたと言えるかもしれません。みんな、連日あれを触っていましたからね。「キュー」あたりもほとんど808から作っています。

--以後に普及するドラム・マシンとは違う、アナログ音源が特徴のTR-808ですが、飯尾さんは触ってみてどう思いましたか。

飯尾 やっぱりクラップやカウベルの音は特徴的で面白かったですね。ただ、TR-808はなぜかパラ・アウトよりもステレオ・アウトから録ったほうがいい音だったんですよ。出力としていっぱいいっぱいの2ミックスのほうが、ちょっといい感じに歪んだりして馴染むんでしょうね。

--でも、個別にエフェクトをかけたいときはパラでもらったほうがいいわけですよね?

飯尾 例えばある音だけにリバーブをかけたいときは、それだけをパラでもらってそのリバーブ成分だけを2ミックスの音に混ぜて使うというのはよくやりました。やっぱり2ミックスのほうが音は良かったので。

--シンセをはじめ楽器の音作りについてみてみると、このアルバムはあえて音を歪ませたり、ちょっと独特な肌触りですよね。

飯尾 なにしろ揺らしてましたよね、どんな音も。ボーカルにしても、ROLANDのステレオ・フランジャーSBF-325でまずウニウニにして、さらにYAMAHAのE1010(アナログ・ディレイ)をかけた状態で録音していました。全部がエフェクターのかけ録りで、生の声は録ってなかったですね(笑)。もう最初から、歌はそうすると決めて録音していました。こうすることでミックスの時間も短縮できますし。

--通常のレコーディングとは異なるアプローチですよね。

飯尾 メンバーの皆さんがよく口にしていた言葉に「普通の音だね」というのがありました。どういうことかというと、「普通の音なんか録りたくない」ということなんです。変な言い方ですが、ドラムを叩いてドラムの音がしても面白くないというか。録音スタッフを含め、みんなが試されている感じがすごくあって(笑)。マイクを1本立てても、「ああ、このマイクなんだ……」と言われるときは、何か別の提案を待っているんですね。「それではこのマイクに、こういうものを付けてみたらどうでしょう」とか、みんなでアイデアを出してやっていました。

--正攻法な録り方ではつまらないと。そういうアイデアが積み上がって、あのアルバムのサウンドが成り立っているんですね。

飯尾 いま聴いても変わった音ですよね。

--音に対する並々ならぬこだわりを感じます。

飯尾 そうですね。先日も、久しぶりに教授と音響ハウス(銀座にある録音スタジオの老舗)で会ったんですが、エレベーターで上がってくるやいなや、「このエレベーターの音は変わらないね」って言うんです。何の話かと思ったら、「床を足で蹴ったときに響く空洞の音は、ここのがいちばん好きなんだよ」と(笑)。なんかいつも、いい音で鳴るものを探しているんでしょうね。

--では、スタジオAの機材についてもう少し教えてください。コンソールはAPI 2824というものですが、音質的にはどんな特徴がありましたか。

飯尾 いまのSSLやNEVEに比べると、音はやや丸い印象ですね。ちょっと甘めですけど音は太いです。

--よく使用したエフェクターは?

飯尾 スタジオの機材としてはEVENTIDEやLEXICONのディレイとか。あと、MXRのフェイザーやコーラスもよく使っていました。当時は教授もMXRの黄色いコーラス(Stereo Chorus)をRhodesにもProphet-5にもよく通していました。

--『BGM』ではProphet-5が多用されていますね。

飯尾 3人がそれぞれ音色メモリーの違うものを1台ずつ使っていました。

--Prophet-5は基本的にはライン録りですか。

飯尾 そうですね。アンプで鳴らすことはあまりなかったと思います。TR-808をときどき、Musicmanのベース・アンプに通してみたりはしていましたけど。でも、あるとき細野さんがシンセなどの楽器を「卓を通さないで録ってみたい」と言い出したんです。いまでこそ、卓を通さずに別のHA(ヘッド・アンプ)を使うことが普通になりましたけど、当時は卓を通すのが当たり前でした。でも、「卓で録ると音が良くない」と言っていましたから、やはり細野さんは特別な耳を持っていますよね。

--例えば 「ハッピー・エンド」の不気味なほど美しいステレオ感や奥行き感は、どのようにミックスされたのでしょうか。

飯尾 フェイザー効果を上手く使った空間作りですね。

--「カムフラージュ」のエンディングのモノローグ(声)はどう変調させているのでしょう。

飯尾 これは声にかけているSBF-325やE1010によるエフェクトのかかり方を変えながら録音していますね。

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■“LMD-649”で大いに盛り上がった『テクノデリック』のレコーディング

--そして、『BGM』のリリース後、それぞれのソロ・アルバムなどを挟みながらも、わりとすぐに次のアルバム『テクノデリック』の録音がスタートします。

飯尾 なかでも「体操」はシングルを作るということで、わりとすぐに録音を始めています。アナログ・マルチレコーダーに戻った『テクノデリック』なのですが、「体操」だけはその流れで3Mのデジタル・マルチで録音しています。そして数ヵ月経ってからアルバムとしての録音が再開しました。

--『テクノデリック』を録音したアナログ・マルチは何ですか。

飯尾 MCIのJH24ですね。スタジオAには3MのM79という16トラックのヘッドを24トラックのヘッドに積み替えたものもあったのですが、『テクノデリック』の頃にはMCI JH24を使っていました。

--レコーダーをアナログに戻したことは、『テクノデリック』の音作りにも影響していると感じましたか。

飯尾 みんなにとって安心感があったんじゃないでしょうか。ただ、ミュージシャンの側からすれば、それほど録り音を気にして音を作るわけではないんですよ。デジタルに録るからこういう音にしようということはあまりなかったです。でも、MTRに音を重ねていって、「なんかスカスカだからもう少し音を入れよう」と思ってしまうのがデジタル、「(ヒスノイズが)サーッと鳴っているからもういいかな」と思うのがアナログというか。だから音数はデジタルのほうが増えていく傾向はあったかもしれないですね。

--『BGM』で、あえて音を揺らしたり、歪ませたりしたのも、ある意味クリア過ぎるデジタル録音に対する彼らなりの反応だったのでしょうか。

飯尾 うーん、いまのPro Toolsもそうなんですけど、デジタルは音の“つなぎ”がないんですよね。

--“つなぎ”ですか。

飯尾 はい。音と音をつなぐ山芋みたいなものがないので、それぞれが独立してしまうんですよ。例えば、同じ部屋で、二人のギタリストが1mくらい離れてアコースティック・ギターを弾いているのを録音するとしますよね。アナログの頃はマイク2本をそれぞれのギターに向けて録れば基本的にはOKだったものが、デジタルの、それも192kHzといったハイレゾになるほど、完全にLRに分かれて聞こえてしまうんです。二つの楽器がつながらないし、ハモらなくなる。そこで、真ん中にもマイクを立ててやると少し馴染むんですが、マイクを増やすと位相も悪くなるので本末転倒なところもあるんですよ。その意味でデジタルはまだまだで、もっともっと発展するはずではあります。その点、アナログはけっこう出来上がっている感じはあって、だから安心するんですよね。

--オーディオで言うと、少し前のD級アンプとアナログ・アンプの違いにも似ている気がしますね。

飯尾 結局、くっついているものを研ぎ澄ますと、離れちゃうんですよね、きっと。山下達郎さんも、いまでも96kHzではなく、あえて48kHzで録っていますよね。

--『テクノデリック』の音作りに戻ると、このアルバムでエポック・メイキングな出来事として見逃せないのが、手製のサンプリング・マシン“LMD-649”の登場です。

飯尾 そうですね。本当に画期的でした。まぁ、それ以前にもテープ・ループはよくやっていたので、そういう感じはみんなよく分かっていたんですけど、『BGM』で使い始めたTR-808と同じようなことが、自分の好きな音に置き換えられるんだという感覚ですよね。TR-808でリズムを作って、そのスネアだけを別の音にしてみようとか、そういう感覚で使っていたと思います。でも、やっているうちに、LMD-649とTR-808では音の“立ち”がやっぱり違うので、最終的にTR-808の音は全部取ってしまうということもありました。

--LMD-649で使う音の素材はたくさん録ってみましたか。

飯尾 もう、手当たり次第に叩いてました(笑)。LMD-649で取り込むと、音はけっこうこもるのですが、それを見越してEQを施して録っていました。「ジャム」の一発目のスネアもLMD-649らしい音ですね。ちょっとこもった感じで。それにしても、いま叩いた音がそのままリズム・マシンのように使えるのはすごいと思いました。

--お三方の反応はいかがでしたか。

飯尾 大変盛り上がっていましたね。

--そんな中、飯尾さんによるサンプリング素材の収集が功を奏した曲が「前奏」と「後奏」ですね。あの工場の機械音は本当に印象的でした。しかもあれ、藤井丈司さんの著書『YMOのONGAKU』(アルテスパブリッシング刊)によると、メンバーからそういうリクエストがあったわけではなかったそうですね。

飯尾 そうなんです。結局、そういう流れだったんですよ。前作『BGM』から、いろんなことを試してみたいという空気があって、そういう会話をちゃんと聞いておくのも僕らの仕事。そこでキーワードとして出てきたのが、インダストリアルやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったものでした。翻って自分にできることを考えてみたら、いつもご飯を食べに行くときに見かける町工場があったなと思い出したんです。その音を録ってきたら喜んでもらえるのではと、そんなことを思ってデンスケ(ポータブルのカセット・レコーダー)を担いで行ってきたんですが、結果的にあれは僕の人生で最大のファイン・プレー。いまでもそう思っています。ただ、録音していたときは工場の人にすごく怒られてしまって。騒音をチェックしにきたんだと思われたらしく「何してんだ!」と。それで「何もしてません!」という僕の声も録音されているのが恥ずかしくて(笑)。その町工場も残念ながらいまは跡形もなく、代わりにマンションが建っています。

--そうですか。それにしても、あの工場音は適度なインパクトもあっていい音ですよね。

飯尾 あれはプレス工場独特の音らしいですね。いまでもあれと同じ音がするところがあるんです。最近、実家のそばを散歩していたら、「あれ?」って。

--あの音が!?(笑)

飯尾 同じなんですよ(笑)。“ドーン”“ガシャガシャ”という、あれが一つのルーティンなんでしょうね。思わずケータイで録音してしまいました(笑)。

--いいお話ですねぇ。それで、あの音を聴いたお三方の様子はどんな感じだったのですか。

飯尾 音をLMD-649に取り込んで出してみたら、みんな目の色を変えて聴き入ってくれて、細野さんもすごく喜んでくれました。そして、教授は無言でピアノに向かい、すごい勢いで曲を作り始めて。あっという間に「前奏」と「後奏」の2曲を作って戻ってきて「譜面ちょうだい」と言ってバーッと書き留めて。すぐにその場で録音が始まりました。

--坂本さんのイマジネーションを大いに刺激されたんでしょうね。

飯尾 いやいや(笑)。でも、もしそうなら嬉しいですよね。

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--『テクノデリック』の「階段」にも飯尾さんが録ってきた工場音が採り入れられています。あれは「前奏」、「後奏」とはまた別の素材ですね。

飯尾 そうです。コンプレッサーのような音ですね。電源を入れて「タタタタタタタ」と動き出すときの音ですね。

-- 「新舞踊」の“ケチャ”ですが、途中からは音が飛びだしてくるようなダイナミクスが付けられています。LMD-649では強弱表現がつけられないわけだから、ミックス時にフェーダーを上げ下げされたと想像しますが、作業は大変だったのでは?

飯尾 いまでは当たり前のコンピュ・ミックスも昔はなかったので、教授自身がミックス時にリアルタイムで抑揚を付けるためレベルの上げ下げやリバーブの深さを変えていました。その際 「ちょっとやり過ぎた?」とか言いながらも、OKになったものです。

--「京城音楽」や「灯」のバスドラが、それまでとは違って、あえてヘッドの張りを緩めたような音に感じます。これは当時の幸宏さんのご意向だったのでしょうか。

飯尾 それはこのアルバムからの傾向で、ドラムにオフ・マイクが使われ始めたことで音がライブになりましたが、これらの曲はその分量が多いため、そう感じられるのでしょう。

--ちなみに、『BGM』は2chマスターもデジタルですか。

飯尾 『BGM』はもしかしたら2chマスターも唯一のデジタルだったかもしれませんが、そのあたりはちょっと記憶が曖昧です。『テクノデリック』はAMPEXのATR100というアナログ・レコーダーですね。

--3Mのデジタル・レコーダーには、マスター用の2chレコーダーもシステムに含まれていたそうですね。

飯尾 そうなんですが、切って貼ってが当たり前の時代に、シンクロして編集し、録音してつないでいくというやり方は馴染みがなく、すごく面倒だったので、あまり使った記憶がないんです。

--YMOのハイレゾ第二弾のリリースに際して、松武秀樹さんにお話を伺ったときに「アルファのスタジオAはメンテナンスが非常によく行き届いていました」とおっしゃっていました。

飯尾 齋藤篤さんという素晴しいメンテの方がいましたので。僕らも厳しく教え込まれ、位相のチェックやデジタルのノイズ・チェックなども毎日やっていましたからね。

--そのおかげで、私たちリスナーもいい音で楽しませてもらえていますし、そうした丁寧なお仕事はハイレゾにもちゃんと反映されています。ところで、『BGM』と『テクノデリック』は小池光夫さんがエンジニアとしてクレジットされていますが、小池さんの音作りとはどんなものでしたか。

飯尾 小池さんの音作りというかミックスは、全体的にアカデミックな方向性を持っていて、すごく自由なんです。YMOという3人の個性を混ぜるのが本当に上手い。いつもすごいなと思いながら見ていました。ミックスの考え方など、いろんなことに気付かせていただきました。

--アカデミックというと?

飯尾 例えば「後奏」などに見られるオーケストラのようなイメージですね。ロックというより、オーケストラのような大編成の音楽に近い。当たり前ですが、当時の僕には思いも付かないミックスでしたね。

■YMOプロダクトに立ち会った経験はいまも僕の宝物

--『BGM』、『テクノデリック』をはじめ、YMOのプロダクトに携わったご経験は、その後のご活動にどんな影響がありましたか。

飯尾 いや、もうほとんどがここからきています。ここで得たものがすべてと言っていいと思います。最初に見たものを親だと思うカルガモというか(笑)。やっぱり最初にじっくりと見たのがYMOだったので……。もちろん、事前にしっかりとアレンジを練って、プレイヤーに譜面を渡して「どうぞ」っていうレコーディングもあるわけですが、YMOのようにとりあえずスタジオに入り、みんなでアイデアを出し合って、意見を交わしながら作っていくというやり方こそ、音楽制作というに相応しいと思うんです。ビートルズもそうですが、ライブとレコーディングは全くの別物なんですよね。
 YMOのレコーディングに立ち会った経験は、いまでも宝物のようにずっとあり続けています。あのやり方をいまのレコーディングで行うのは難しいですけど、心の中ではそういう気持ちでいます。先ほど工場の音の話をしましたが、エンジニアであろうが、アシスタント・エンジニアであろうが、アイデアを出して当然。一緒に作ろうとしている音楽に対して思ったことを話したり、考えたことを試したりするのが、あの頃は当たり前だったんです。それをアーティスト側も求めていたし、受け入れてくれた。そんな環境で育ってしまったので、いまだに余計なことばっかりしています(笑)。でも、それはそれでいいかなと思っているんですよ。

--先ほどの「普通だね」というお話もそうですが、そうした妥協のない探求心も、YMOらしい部分なのかもしれませんね。

飯尾 そうですね。ただ、大事なのは彼らも「普通」を経ていることでしょう。普通を一度も通ることなく変な方に向かってしまうと、ただの変なものにしかならないんですよね。そういう基本を踏まえているからこそ、そういうアプローチが質の高さにつながるというか。

--なるほど。ところで、『BGM』と『テクノデリック』の中で、飯尾さんのフェイバリット・ソングは何ですか。

飯尾 どれもそれぞれにいい曲なので、その答はいつも難しいんですけども……。『BGM』だと「バレエ」も好きだし、「音楽の計画」もいい。「マス」も好きなんですよね。『テクノデリック』では「灯」がいいですよね。拍が取りづらい不思議な曲ですけど、あのベースが本当に大好きなんですよ。なんでこんな曲想を思い付くんだろうと思います。
 先日、ご本人にも申し上げたんですけど、細野さんのやっていることって、「すごい」を通り越して嫉妬しちゃうレベルなんですよね。たぶん、何回か生まれ変わったとしても、あんな才能は身に付かないんじゃないかと思う。なぜこの曲にこんなコードが付くんだろうとか、想像できないことをいっぱいやっていますよね。

■『BGM』と『テクノデリック』をハイレゾで試聴!

--せっかくですので、こちらのモニター環境で『BGM』と『テクノデリック』のハイレゾを聴いてみませんか。

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飯尾さんがミックスで使用しているモニター環境で『BGM』と『テクノデリック』のハイレゾ・ファイルを試聴!


飯尾 いやぁ、いいですねぇ! 全体的に音が太くて、低音がきれいですね。レシピがしっかりしているというか、そこは今回のリマスターを手がけたボブ・ラディックらしいところかもしれません。硬いんですけど、低音が膨らんでいなくて気持ちいい。シンセ中心の作品をこういうふうにまとめるのはなかなか難しいんですけど、上手に音作りをしています。最後に聴いた「後奏」の低音も、ボワッと膨らんでいるわけではないけど、しっかりとそこにあるんですよね。

--このハイレゾは、左右の広がりや奥行き感も増しているように思います。

飯尾 そうですね。全体が伸びやかですね。それにしても、僕はこんなふうにあらためてYMOを聴く機会はなかったのですが、すごく気持ちよかったし、「こんなだったのか」という発見もありました。

--“発見”と言いますと?

飯尾 例えば「音楽の計画」では、ハイハットの音がすごくきれいに聞こえるんですが、これまではそういうイメージはありませんでした。TR-808のはずなんですが、それにしては高域がすごくよく出ています。ミックスのバランスもすごくいいですね。

--「音楽の計画」では、ボコーダーと対になっているシンセのメロディも歪みが印象的です。

飯尾 ディストーションを相当かけていますね。教授はMXRのディストーションをよく使っていましたけど、これは何だったかなぁ。

--あれからおよそ40年。飯尾さんにはどんな感慨がありますか。

飯尾 アルファレコードに入社したのが1979年なので、僕のエンジニアとしての活動もちょうど40周年ですなんですが、『BGM』や『テクノデリック』のミックスを聴くと、いま自分がやっているのもこういうことなんだなと気付きます。パンの振り方や奥行きの作り方などもこうした作品に影響を受け、学んでいたんだと思いました。今日は僕がいつも使っているスピーカーで鳴らしていることもあって、細かなエフェクトのかけ具合なども手に取るように分かって、ちょっとキュンとしちゃいました。やっぱりそういうことなんだよなと。そして、思い知らされたのがシンセの音の素晴らしさです。こういう音を作らなければならないんだと、あらためて勉強させられた思いがします。いまはシンセもソフトウェアを使うことが多いですが、本来はこういう音なんだということをもう一度認識するべきですよね。

--では、最後にe-onkyo musicリスナーへのメッセージをお願いします。

飯尾 YMOの『BGM』と『テクノデリック』は、音楽も音も古くない。ちゃんとした意図を持って作れば、作品としてずっと残るということを実感できます。作る人にとっては、「なんちゃって」ではなく、こういうふうに作れば後世にも聴き継がれていくことを教えてくれるアルバムだと思います。聴くほうの人にとっても、ハイレゾはそれに相応しいものならば音楽の幅を広げてくれると思います。特に音楽は一つの空間芸術なので、ハイレゾではそのあたりも楽しみながら、いっぱい聴いてほしいと思います。僕も、1枚目や2枚目もハイレゾで聴いてみたいです(笑)。

--今日は貴重なお話をたくさんいただき、ありがとうございました。

画像7飯尾さんがいまも大切にしているこのProphet-5はYENレーベルでお馴染みのLDKスタジオにあったもの。音色のプリセットもほぼ当時のままだという


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いいお・よしふみ◎1960年生まれ。北九州市出身。1979年、アルファレコード入社。Yellow Magic Orchestraをはじめ、立花ハジメや戸川純などYENレーベル全般のアーティストのレコーディングに多数携わる。1982年、細野晴臣のソロ・アルバム『PHILHARMONY』でエンジニア・デビュー。1983年にフリーランスとなり渡英。トニー・ヴィスコンティのスタジオに籍を置き、エンジニアリングやプロデュース・ワークを学ぶ。これまでにレコーディング・エンジニア/プロデューサーとして、矢野顕子、SMAP、平原綾香、竹内まりや、THE BEATNIKS、のん、矢沢永吉、ほか多くの作品を手がけている。

◆YMO配信楽曲一覧はコチラ
https://www.e-onkyo.com/feature/3380/

◆飯尾芳史オフィシャルサイト
http://intenzio.co.jp/artists_crew/iio?f=1


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