【5/31更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/05/31
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
突貫工事でつくられた名曲がある

ハチャトゥリアン「剣の舞」


ある夜のこと。行きつけの飲み屋に顔を出したら、ウェブデザイナーをしている常連のA木くんがいました。静かで礼儀正しく、とても気持ちのいい青年です。ただ、この日はちょっと疲れているように見えました。

「クライアントの要望どおりにやったんですけど、仕上がってから『ここをこうしてくれ』『ここはああしてくれ』と修正の依頼が続々と来まして……」

そのため仕方なく突貫工事で修正することになり、疲れ果ててしまったというのです。

ありますよねー、そういうこと。僕も広告代理店の制作部に勤務していたころ、似たような経験を何度もしました。クライアントありきの仕事なので、どれだけ腑に落ちなかったとしても「そういうものだから」と割り切るしかないんですけどね。

しかも皮肉なもので、じっくり時間と手間をかけてつくったからといって評価されるというわけでもないのです。それどころか、限られた時間のなか、勢いで片づけちゃった作品のほうが高く評価されたりすることも。

「こだわり」のようなものを大切にしている人にとっては解せない話だろうと思いますが、逆にそれは納得できることでもあります。

なぜなら、「こだわり」が自己満足の域を超えないことは珍しくないからです。それに、なんだかんだと考えすぎず、勢いでやっつけてしまったほうがいい結果につながったりするものなのです。少なくとも経験的には。

それに才能のあるクリエイターって、わりとなんにも考えていなかったりもするものでもあるのです。

昔、とあるヒップホップのサウンド・クリエイターに話を聞いたときにもそう感じました。その人のつくるサウンドは先鋭的かつクリエイティブだったので、年上の音楽評論家の先生などは、「彼の音楽にはアフリカン・ミュージックのルールがあってどうのこうの」と、理屈っぽい評価を下していたのです。

ところが本人に話を聞いてみたら、本当にな~んにも考えてなくて、「勢いでさ、1日に5曲ぐらいつくっちゃうんだぜ~」みたいなことを楽しそうに話すわけです。

おそらく彼は理屈ではなく、無意識のうちに感覚と集中力を重視していたのでしょう。だから、結果的にはそれがクリエイティビティにつながっていたということ。

そういう姿を見てきたからこそ、時間をかけることや、実態のない「こだわり」に執着することは必ずしも必要ではないと感じるのです(ちなみにそういう、なにも考えていない天才タイプのクリエイターは、他にも何人か見てきました)。

それに、もしも名曲を生み出すためには時間が必要なのだとすれば、そこにはひとつの矛盾が生じることになります。なぜって現実問題として、一晩でできた名曲があるから。

ハチャトゥリアンのバレエ作品『ガイーヌ』の最終幕に登場する「剣の舞」がそれ。誰でも一度は聴いたことがあるに違いない、2分くらいの忙しい曲です(曲調的に、そう表現するのがいちばん適切な気が)。

旧ソ連時代のアルメニアが舞台となった『ガイーヌ』は、さまざまな民族舞踊が登場するバレエ作品。「剣の舞」は、剣を持ったクルド族の男性が勇ましく踊る場面に使われています。

ところがこれ、初演前日になってその場面が追加されることになったため、たった一夜の突貫工事で生まれた曲なのです。深夜まで指で机を叩き続けた結果、あの快活なリズムを思い浮かんだのだとか。

そしてそれを一気に楽譜に落とし込み、翌朝までに完成させたということなので、文字どおりの一夜漬けだということになります。とはいえ、そのクオリティの高さはご存知のとおり。

ちなみにハチャトゥリアンはグルジア生まれのアルメニア人で、音楽的な基盤となっているのは、幼少時から母親の歌うアルメニア民謡です。さまざまな民俗音楽にも造詣が深く、そうしたバックグラウンドがあったからこそ、急場をしのぐこともできたのではないかと思います。

「時間さえかけりゃいいってもんじゃないんだぜ」という声が聞こえてきそうな話ではありますね。


◆今週のおすすめ


『Khachaturian: Suites from Spartacus and Gayane / Ravel: Daphnes et Chloe 』
St Petersburg Philharmonic Orchestra, Yuri Temirkanov




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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