【5/10更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/05/10
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
フリートウッド・マック『Rumours』
コーヒーショップで出会ったクリスチャン・グループの彼はいまどこに?


中学生のころ、父親の財布から小銭を失敬しては、西武新宿線・井荻駅近くの「コーヒーイオギ」という店に入り浸っていた話は前に書いたことがあります

常連のなかに近所の教会に通っているクリスチャンの大学生・社会人グループがいて、いつしか彼らにかわいがってもらうようになっていたのでした。

とくに印象的なのは、中学3年生だった1977年の情景です。フリートウッド・マックの『Rumours』というアルバムが大ヒットした年で、僕もその洗練されたサウンドが大好きでした。

コーヒーイオギでも、『Rumours』はよくかかっていました。50代くらいの方ならおわかりかと思うのですが、当時よくあった個人経営の喫茶店にはたいていステレオやラジカセがあり、お店の人がレコードやカセットで音楽をかけていたからです。

いまでも『Rumours』を聴くとそのクリスチャン・グループを思い出すのは、このアルバムと彼らが、「爽やかさ」というイメージでつながっていたからです。

信仰を無理強いするわけではなく(というより、僕の前ではそんな話をせず)、ただ普通にみんなでコーヒーを飲みながらたばこを吸い(すみません)、音楽の話をするわけです。

それだけで楽しかったし、僕のようなガキンチョも受け入れてくれていた彼らは嫌味がなく、とても爽やかな人たちだったのです。

ただし、そんなグループのなかにあって、Dさんだけは雰囲気が違っていました。笑っているところを見たことがない、小柄で痩身ながら、無骨かつ男っぽいタイプ。どこかに影があったのは、グループ唯一の浪人生だったからかもしれません。

だから僕も彼のことはちょっと恐れていたのですが、不思議なことに昔から、そういうクセのある人に好かれてしまうのです。

だから、いつの間にか話をするようになったのですが、鋭い目つきで生き方などについて語られると、なかなか迫力があるのでした。低い声で語られる話を、緊張しながら「はい」「はい」と反論せずに聞いていた記憶があります。

なんのためだったのかは憶えていませんが、なぜか一度だけ、家に呼ばれたことがありました。

どうやら育ちは悪くないようで、家は閑静な住宅地に建つ大きな一軒家でした。二階にあったDさんの部屋に通されると、まずコンパクトなモジュラー・ステレオが目につきました。

そしてその前に、コーヒーイオギでもよく見た『Rumours』がありました。

「あ、持ってるんですね、フリートウッド・マック」
「持ってるよ。『ファンタスティック・マック(原題『Fleetwood Mac』)』もある。聴く?」
「いや、でもやっぱり『Rumours』がいいかな」
「ああそう」

Dさんが投げ捨てるような口調で言い、『Rumours』をかけてくれました。もちろん『ファンタスティック・マック』も好きだったのですが、やはり時代は『Rumours』だったのです。

冒頭の“Second Hand News”も、続く“Dreams”も、コーヒーイオギで聴いたときとはちょっと違って聞こえました。普段よりも、暖かい感じの音というか。

Dさんはコーヒーイオギでみんなといるときとは違い、物腰が柔らかに見えました……などということはまったくなく、あいかわらず寡黙。必要なことだけをボソボソと話す感じだったので、沈黙の時間も少なくありませんでした。

もし『Rumours』がかかっていなかったとしたら、かなり間が持たなかったのではないかと思います。

あるとき下の階から親の呼ぶ声が聞こえ、「んだよ……」と低い声で文句を言いながらDさんが部屋を出ていきました。

することがないのでぼーっと、Dさんのデスクを眺めていました。装飾物がなにもない正面の壁に、キリストの小さな彫像だけがぽつんとかかっていました。それを見たとき「Dさんは、やっぱりクリスチャンなんだなぁ」と感じました。

そんなの、改めて実感するまでもないことです。しかし僕自身は十字架に架けられたキリストがいつも壁にいるような生活とは無縁だっただけに、なんだか新鮮だったのです。

近づいて見てみると、キリスト像は小さいのにずいぶん精巧にできていることがわかりました。

Dさんは僕が現れる直前まで勉強していたようで、デスクにはノートが広げたままの状態で置いてありました。たしか、科目は英語だったような気がします。

いや、英語でも中国語でもスワヒリ語でもいいのですが、そのとき僕は見るべきでないものを見てしまったのです。

ノートの端に小さな文字で、語りかけるような口調で綴られた、好きな女性への思い。「好きだ」という感情、「結婚したい」という願望など。

その女性のことは、僕もよく知っていました。コーヒーイオギに集まるクリスチャン・グループのひとりで、つまりDさんと一緒にいることが多かった人。

清楚な感じの女性でしたが、Dさんとつきあっていたのかどうかは知りません。というより中学生だった僕は、Dさんがその女性を好きだったということすら気づきませんでした。

いうまでもありませんが、「すごいものを見ちゃったんだぜー」という低レベルなことを書きたいわけではありません。ただ僕にとって、これはぜひとも書いておきたいことだったのです。

感情を顔に出さず、いつも不満そうなDさんが、そこまで純粋な思いを彼女に抱いていたということに、なんだかぐっときたからです。

うまく言えないのですが、怖くて、近くにいてもどこか遠い存在だったDさんとの距離が、そのことをきっかけとして急に近くなったような気がしました。単なる気のせいかもしれませんが、そう感じました。そして、Dさんのことをそれまで以上に好きになったのでした。

その日、僕が帰ったあと、ノートを開きっぱなしにしていたことにDさんが気づいた可能性は充分にあります。気づかないほうが不自然だという状況だったのですから。

でも、以後もそのことが話題に上ったことはありませんでしたし、それどころかDさんについての記憶もそこまでで途切れています。なにしろ、40年以上も前の話です。

いまごろ、Dさんはどうしているんだろう? まだ、あの近所に住んでいるのかな? そして、あの女性との関係はどうなったんだろう? また会ってみたい気がするなぁ。

『Rumours』からのサード・シングルになった、“Don’t Stop”という曲があります。とくにこの曲を聴くと、いまでも僕はあのクリスチャン・グループのことを思い出すのです。カラッとした疾走感が、彼らのイメージとぴったりフィットするから。

聴いていると、コーヒーイオギの窓際の席で楽しそうに話す彼らの姿が蘇ってきます。そんな記憶のなかのDさんは、リーダー格だったSさんの隣でつまらなそうな表情をしているのです。




◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『Rumours』
Fleetwood Mac




『Fleetwood Mac (Remastered) 』
Fleetwood Mac



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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