【3/19更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/03/19
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
偏屈で嫌われていた作曲家がいる

ドビュッシー


我が家の近所に、店主が怖いと有名なカレー屋さんがあります。味がいいからいつも行列ができている人気店なのですが、並び方から注文の仕方まで、ルールがとても厳しいのです。

しかも店主は無表情なので、たしかにやっぱりちょっと怖い。だから僕も初めて行ってみたときには、必要以上に緊張してしまいました。オーダーの仕方が複雑な店でもあるので、間違えずに伝えられるよう、何度も事前確認してみたりね(あー小心者)。

そんなお店ですから、会話をする客もほとんどいません。テレビ、あるいはBGMが静かにかかる店内に、カチャカチャと皿とスプーンがぶつかる音が静かに響くのみ。なかなかシュールなシチュエーションです。

しかも店主はSNS上で過激な発言をしたりもするので、ネット上には否定的な意見も散見されます。実際のところ、匿名で罵詈雑言を繰り返す人はどうかと思いますけどね。

それはともかく、2度目に伺ったとき、ひとつ気づいたことがありました。

たしかに、店主は無愛想です。しかし、だからといって客に噛みつくようなことはないし(少なくとも僕は見たことがない)、仕事はとてもていねい。

オーダー時、こちらがひとこと告げるたびに「はい」と答えてくれることに気づき、「あ、この人は決して悪い人じゃない」と感じたのです。

つまり、無表情だからぱっと見は怖いけれど、基本的に真面目で神経質で、自己表現が苦手な人なのではないか。だからそれが否定的なイメージにつながり、必要以上に叩かれてしまうだけなのではないかということ。

そう思い至ると、この店主に対する恐怖感が薄れていき、勝手に親近感を抱くようにすらなりました。だからといって親しくなるような機会が訪れるわけでもないでしょうし、友だちになりたいわけでもありません。

でも、いい人だとわかったし、あとはおいしいカレーが食べられれば、それで充分。だとすれば、悪意を抱く理由もないわけです。

さて、1862年のパリに生まれた作曲家、クロード・ドビュッシーにはどのようなイメージをお持ちでしょうか?

同じような方は多いと思うのですが、僕の場合すぐに思い出すのは代表曲である「月の光」や、娘のクロード・エマのためにつくられた「子供の領分」に代表される美しいピアノ曲です。

それらの旋律を耳にするたび、きっと豊かな感性の持ち主だったのだろうなぁと感じます。ところが実際のところ、彼は非常に評判の悪い人物であり、生涯にわたって正当に評価されたとはいえなかったようなのです。

理由は、その性格。

パリ音楽院在学中から教授に盾突き、友人たちからも、無愛想で無口なところや気の短さを指摘されていた様子。いい服を着ていい部屋に住むなど贅沢な暮らしを好むのはいいとしても、華やかな生活を維持するために友人からお金を借りまくり、踏み倒していたというのですから悪評が立っても無理はありません。

しかも、人づきあいが嫌いであることを認めながらも女癖は最悪。ギャビーという女性と同棲している時期にロザリー・テクシエという別の女性に目移りし、彼女と結婚。

ところが結婚後も落ち着くことはなく、裕福な銀行家の妻だったエンマ・バルダックと浮気、そして再婚。彼女との間には娘も生まれたそうですが、捨てられたギャビーとロザリーは、どちらも自殺未遂を起こしたのだとか。

そうしたエピソードがいちいち衝撃的なので、悪いイメージがさらに大きくなっていったのかもしれません。

でも、そういう人って現代にもいますよね。ミュージシャンとか俳優とか。もちろん、だからといってドビュッシーを美化する必要はありませんが、ことさら悪人扱いする必要もないはず。

だいいち、「ドビュッシー=悪いやつ」という図式でまとめればすべては解決するのでしょうか? 僕には、どうもそうは思えないんですよね。

なぜって、こういう話がどうであれ、個人的には彼の残した作賓のほうが重要だから。その作曲能力は認めないわけにはいきませんし、それらの楽曲を耳にして、精神的に助けられた経験すらあるのです。

だからこそ僕にとっては、文献上のトピックスよりも、そちらのほうが大切だということ。

ちなみにトピックスに関していえば、彼の不器用さ、あるいはやさしさを代弁しているような話も残っています。人間嫌いだったため、飼っていたシャム猫と過ごす時間を大切にしていたというのです。

むしろ、その話のほうが、本当の意味で彼の人柄を言い表しているといえるのではないでしょうか? 僕は、そう感じます。

もしもドビュッシーがあのカレー屋さんに行ったとしたら、意外に店主と気が合うかもしれないな。


◆今週のおすすめ


『Debussy: Piano Works, Vol. 2 - Estampes, Children's Corner, Pour le piano & Other Pieces』
Jacopo Salvatori




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【新連載】『エリック・サティ:新・ピアノ作品集』高橋悠治
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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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