平成最後のハイレゾ・キラー・コンテンツ、結成40周年を迎えたYMOのリマスター・リイシューの第2弾がいよいよ発売に! 今回のリリースは、YMOとサポート・ミュージシャンの演奏力が堪能できるライヴ・アルバム『パブリック・プレッシャー』、そしてスネークマンショーの毒気満載のギャグも懐かしい異色作『増殖』の2タイトル。e-onkyo musicでは、当初からYMOのプロジェクトに欠かせない存在だったシンセサイザー・プログラマーの松武秀樹さんをお迎えし、この2作はもちろん、第1弾として先行発売された1st『イエロー・マジック・オーケストラ』、2nd『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』と併せ、ハイレゾ音源を聴きながら、その音作りなどについて貴重なお話を伺いました。
取材・文◎山本 昇
写真◎e-onkyo music、山本 昇
■YMOとの接点
--ここはオーディオの老舗メーカー、オンキヨーの試聴室なのですが、このブランドにはどんな印象をお持ちですか。
松武 僕はオンキヨーのファンなんです。初期のコンポーネント・ステレオも買いましたよ。(小声で)高かったですけど(笑)。
--現在はどのようなシステムをお使いですか。
松武 特にこだわりはなく、一般の方が聴くのと同じようなシステムでモニターしています。ただ、昔からスピーカーはけっこういろんなものを試してきて、タンノイも好きだったし、JBLも好きでした。でも、大きいスピーカーは場所をとるのが難点で……。最近はパワードも含めて小さくて能率のいいスピーカーがたくさんありますからね。いまはジェネレックを使っています。
--さて、松武さんも深く関わったYMOは昨年、結成から40周年を迎えてリイシュー・プロジェクトが大きく動き出し、ついにハイレゾも発売となりました。あれから40年、松武さんは当事者としてどのような感慨をお持ちですか。
松武 もう40年の経ったのかと思うと驚きます。そして、いま聴いて感じるのは、YMOの作品は録音の質がすごくいいということです。エンジニアの方はもちろん、メンバーの3人も含め、みんなが音にこだわってレコーディングしていました。だからこそ、ハイレゾで聴いても、「ああ、やっぱり!」という感動がある。その中心にあるのはやっぱりアナログ・シンセサイザーの音ですよね。アナログ・シンセは言わば無限サンプリング。量子化されていない音ですから、元からハイレゾだったと言えると思うんです。
--私も常々、ハイレゾはアコースティックな曲だけでなく、アナログ・シンセの豊かな音がフィーチャーされた曲にも有効だと思っています。
松武 YMOはマルチテープを一つひとつ聴いてみても音が素晴らしく良いんですよね。それはもう、ハイレゾにすればもっと素晴らしいことになることは分かっているわけです。それにしても40年も前の録音がここまでクオリティが高いものだったのかと、あらためて聴いて驚いています。
--ここで少し時間を遡り、松武さんとYMOの最初の接点について伺います。メンバーの中で最初にアルバム制作を共にされたのは坂本龍一さんの『千のナイフ』(1978年)ですね。当時、スタジオの坂本さんはどんな様子でしたか。
松武 スタジオでの教授(坂本龍一)は、どちらかというと寡黙でしたね(笑)。ただ、人とは違うサウンドを作りたいという想いは強く感じました。知り合ったのは、彼がまだ東京芸大の大学院生の頃でしたが、現代音楽もやりながら、作曲科ですけどシンセサイザーのことも学んでいたようで、そのあたりはすごく興味があったのでしょうね。
--そのとき、坂本さんとの音作りについてのやりとりはどのように?
松武 覚えているのは、彼がよくレコードを持ってきて「こんな感じがいいよね」と言っていました。「これを作ってくれ」と言うわけではなく、なんとなくこんな感じがいいんだと、そんなことをミーテディングで話し合ってからレコーディングしていました。
--例えばどんなレコードがありましたか。
松武 フライング・リザーズとか、パンク~ニューウェーヴのアルバムがありましたね。1970年代の終わり頃、日本はまだ歌謡曲やフォークが全盛でした。そこにディスコ・サウンドが登場したり、映画『未知との遭遇』をはじめとする近未来のストーリーも入ってくる。そうした中で、例えばクラシックを元にした作曲法や音色を用いた新たな音楽が出てきたり、一方でニューウェーヴやパンクが盛り上がってくる。そんな状況にいち早く反応したのが坂本さんたちで、誰も聴いたことのないようなリズムを編み出して、さらにいちばん重要なシンセサイザーの音作りへと繋がっていったと僕は思っています。
--そのイメージを具現化したのが、他ならぬ松武さんのMOOG IIICをはじめとするアナログ・シンセサイザーですね。
松武 そうですね。当時もそれらをスタジオに持ち込んでやっていました。ただ、コロムビアのスタジオで行われた『千のナイフ』のレコーディングはものすごく時間がかかって(笑)。しかも作業はいつも夜中から朝まで。おそらくその時間は自由に使うことができたのだと思います。
--そして、当時シンセサイザーに関心を持っていた細野晴臣さんは、松武さんのスタジオを見学しに訪ねて来たそうですね。
松武 そうなんですよ。連絡をもらったときは、「あの細野さんがどうして僕のスタジオに?」ってビックリしました。そうしたら本当にやって来て、スタジオの隅にちょこんと座っているから、「いやいや、こちらへどうぞ」と(笑)。まぁ、どうやらそのときの細野さんにはもう“イエロー・マジック・オーケストラ”の構想はあって、もしかしたらすでにレコーディングをやり始めていたのかもしれません。そのあたり、詳しいところは分からないんですけれど、一度、彼らで「ファイアークラッカー」を人力で録音してみたらしいんですね。でも、どうも違うなと。そこで自動演奏装置を使ってやってみようということになり、僕のところに来てくれたようです。あのときは、細野さんに一通りシンセやシーケンサーについての説明をしましたが、思えば細野さんもそれ以前のアルバムでシンセサイザーは使っているからけっこう分かっているはずなのに、「あー、なるほど」なんて言いながら聞いていました。そうしたら、一週間もしないうちに「レコーディングをやるから来てください」と。それで最初にご一緒したのが「ファイアークラッカー」というわけです。
--その人力ヴァージョンはお聴きになりましたか。
松武 残念ながら聴いていないんですよ。すぐにテープを消去してしまったという話ですが、もしも音源が見つかったら、それこそハイレゾで聴いてみたいですねぇ(笑)。
--その「何か違う」という直感から松武さんが合流し、シーケンサーによる自動演奏にお三方の人力が絡むという、独特の初期YMOサウンドが形成されていくことになります。松武さんの持っていた、シンセサイザーの音作りとシーケンサーのノウハウが彼らの音楽を強力に後押ししました。
松武 やはり、そうした自動演奏の入力作業には特殊な技能が必要でしたからね(笑)。

■冨田勲さんの言葉
--松武さんご自身はROLANDのMC-8というシーケンサーが登場したとき、その後の音楽はどう変わっていくと思いましたか。
松武 僕はMC-8が人間に取って代わる機械とは思っていませんでした。ただ、これに入力することで人間には不可能な演奏ができることは分かっていましたので……。でも、演奏には感情というものが絶対に必要じゃないですか。その感情を抑えて無機質にずっと同じ音量で音が鳴るというのはけっこう苦痛だと思うんです。MC-8は、そういう感情的なところもきちんとプログラムすることができたんです。そこで思い付いたのが、例えばリズムの揺らぎです。YMOもそうですが、坂本さんの『千のナイフ』もリズムが揺れているけど、それは打ち込みで作っているんですよ。どうすればいちばん気持ち良く聴けるかと、あのときはそういうことをずいぶん研究しました。低い音をずっとガンガン鳴らすことも、まぁ、それはそれで一つの手法ではあるわけですが、あの時代はそういうことをやりたかったわけではないんです。要は機械対人間の戦いにどっちが勝つか(笑)、そんな感じだったんですよ。
--もう最初の段階で、そうした音楽の揺らぎといった大事な部分での試行錯誤があったことに感動します。
松武 そうかもしれませんね。でも、冨田勲先生はすでにそうしたことを極めていらっしゃいました。音の抑揚の付け方もすごいわけですが、それをプログラムしたり、手動でやったりされていましたから。それに追い付き、追い越したいという気持ちだったのかもしれません。
--一時は冨田勲さんのアシスタントも務めていた松武さんが、音作りなどについて冨田さんから学んだことで、最も印象深いのはどんなことでしたか。
松武 僕が冨田先生のところにいたのは2年くらいなのですが、はっきり言ってシンセサイザーの音作りは何も教えてくれませんでした。つまり、「自分で考えなさい」ということですね。アナログ・シンセサイザーは、自分が好きな楽器を創造できるものだから、ピアノやヴァイオリンといった既存の楽器の音を参考にすることはあっても、実際の音作りは自分で研究するべきだと。
シンセサイザーには、楽器の音源となる要素がすべて揃っています。音の元となる発信器、音色を作るフィルター、時間的な変化を与えるアンプ。この三つと想像力さえあれば、およそどんな楽器の音でも作ることができる。でも、そのやり方を先生は教えてくれません。ただ、一つだけヒントを与えてくれました。それは、絵画におけるデッサンや設計図を作る能力を養わないと、シンセサイザーでの音楽は作れないということでした。そのときはどういうことなのか、全然分からなくて(笑)。そんな僕に先生は「松武君、塗り絵をやったことがあるだろう? まだデッサンができない子供のために縁取りがしてあって、そこに自分の好きな色を塗っていく。あれなんだよ」と。「自分の作品を作るときには必ずデッサンをしてから、どこに色を付けていくかを考える。だから“音色”というんだよ」と言われて……。
--第一人者である冨田さんらしい、含蓄のあるお言葉ですね。
松武 その後、僕がプログラマーとしてYMOの作品に参加したことをいちばん喜んでくださったのも冨田先生でした。「君、よくやったね!」って。それはいまでもよく覚えています。

■ハイレゾで振り返るYMOサウンド
--ここからは、YMOでの音作りなどについて伺いたいと思います。松武さんご自身がいちばんの会心作と言える音は何でしょうか。
松武 ハハハハ、会心作ですか。何だろう? まぁ、音作りについてはとにかくいろんなことにトライしていましたが、その中の一つがドラムの音を全部シンセで作ってみようというものです。もちろん、YMOにはドラマーの(高橋)幸宏さんがいるんですけど、「ああ、シンセのドラムも面白いね」と言ってくれて。その最初が「ビハインド・ザ・マスク」で、ドラムはすべてタンス(MOOG ⅢC)で作っています。よく聴かないと人間が叩いているのかどうかは分からないんですけどね。あのようなことは、YMOがやり出してから広まっていったわけで、ROLANDの名器TR-808が登場したのもそのあとのことです。そうしたYMOで編み出した手法が、リズム・マシンなどを通じて若い人にもエレクトリックなグルーヴ感を与えたきっかけの一つにはなっていると思います。
--今から考えると、その影響力は計り知れないものがありますね。では、ハイレゾ音源を聴きながら、アルバム毎に振り返っていただきましょう。まずはファースト・アルバムの『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年)。このアルバムの音作りで特に覚えていらっしゃることはありますか。
松武 やはり最初に録音したのがこの「ファイアークラッカー」でしたからね。ベースの音を何回も録り直したことなどは印象深いですね。あと、リズムの“カッ、ココッ”というカウベルのような音も何回かやり直しました。一度やってみて、そのあとでメロディなどが入ってみるとベースの音が沈んでしまったりするとそこでまたやり直すといった感じで、そんな試行錯誤が多かったんですよ。また、このときはYMOのサウンドとして特徴的な音とはどんなものなのかを探っていた時期だったかなと思います。それは僕だけじゃなく、例えば「コンピューター・ゲーム」も全部シンセで作っていますが、僕はあまり関わっていません。そんなこともやりながら、少しずつYMOの音の方向性が確立していったんじゃないかと思いますね。
それにしても、「ファイアークラッカー」の教授のピアノはすごいですね。そして、いま思い出しましたが、この曲の4拍目のスネアに被さるように入っている“ポワッ”というハンドクラップみたいな音はPOLLARD(ポラード)のSYN-DRUMSで、実際に幸宏さんが叩いています。センサーの加減で変化しますから、1音1音微妙に違うんですよ。ハイレゾだとそのあたりもよく聞こえますね。
--昔のシンセサイザー・パーカッションは革の感じも微妙に入っていていいですよね。
松武 そうそう(笑)。
--『イエロー・マジック・オーケストラ』は、いわゆる国内盤を吉沢典夫さん、US盤をアル・シュミットさんがミックスしています。
松武 音の性格はまったく違いますが、どっちもいいと思うんですよ。アメリカ盤はダンサブルで「踊って」って感じで、国内盤のミックス・ダウンは緻密でリヴァーブやディレイも細かく考えられている印象です。
--細野さんのベースの音も全然違いますものね。
松武 そう。その細野さんはいつベースの練習していたのかなと不思議に思っていました。あんな演奏はかなり練習しないと弾けないはずなんですが、そんな時間もなかったと思うし……。でも、人知れず練習していたのかなぁ(笑)。
--3曲目はその細野さん作曲の「シムーン」です。
松武 これも、例のリズムのハネをプログラムで変えている曲の一つですね。カバサみたいな音とバスドラというかスルドのような音はMOOG ⅢCで作っています。こういう音が次の世代のエレクトリック・リズムに発展していったのかなと思います。ドラムなんだかノイズなんだか分からないような……そう、YMOはけっこうホワイト・ノイズやピンク・ノイズを上手く利用して音程のある楽器に混ぜたりするのはよくやりました。幸宏さんが好きだったニュー・ミュージック(New Musik)のトニー・マンスフィールドも同じようにノイズを混ぜる人で、それがすごく気持ち良かったんですよね。この手法はいまでも有効だと僕は思っています。
--そして、続いて出たのが大ヒットとなったセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年)です。
松武 YMOはまさしくこのアルバムで不動の地位を確立したと思います。「デイ・トリッパー」は鮎川(誠)君のギターによってパンクになっていました。正月に放映されたNHKの番組(『名盤ドキュメント「YMO“ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”」』)で久々に会ったけど、何も変わっていない(笑)。素晴らしい人ですよ、本当に。
--そう言えば、番組の収録ではマルチテープの音を個別に聴かれたかと思いますが、いかがでしたか。
松武 「ああ、こんなふうに録音していたんだな」と、記憶がすぐに甦りました。でも、同じ音をいま作ってと言われても難しいかもしれません。このときの音作りは、そんな瞬間芸みたいな感じもありました。
--シンセ自体はいまもお手元にあっても、当時お使いだったエフェクターなどはもう残っていないということもありますか。
松武 そうですね、状態のいいものは無くなっています。ただ、あの当時、シンセの音色は一部を除いて記憶させることができませんでしたから、逆に言うと、そのときにいいと思った音が出せていればそれでいい。こうしてきちんと録音されたものが残っていれば、全く同じ音をいまの時代に再現させる必要もないと思うんです。キース・エマーソンも僕と同じMOOG Ⅲを持っていたんですが、彼のは8つくらいパッチを憶えさせることができたんです。そういう装置も実はあったんですが、YMOのプロダクトでは必要なかったと思います。ライヴでは毎回毎回、違う音になっちゃうんだけど(笑)。それも音色だけでなく、テンポも違うみたいなこともあって。「今日の〈ビハインド・ザ・マスク〉はずいぶん速かったね」とか言われてね(笑)。
--それは、松武さんが意図的に?
松武 いや、僕のミスです。速くなってしまったのは、僕がテンポを調整するツマミを少し右に回してしまったからですね。でも、そういう誤差もライヴっぽくていいなと勝手に思っていたんですよ(笑)。
--確かに! 考えてみればバンドっぽいですよね。みんなで正確に走っている。
松武 そうそう(笑)、それもYMOらしいところかもしれない。
--他に何か、音作りの面で特に憶えていらっしゃることはありますか。
松武 タイトル曲の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」はコンセプトがいろいろとあった曲で、喋っている声とかも入っているし、キュー・シートには“咳”というのもある(笑)。それらはEMSを通して変調をかけています。とにかく幸宏さんの歌は常に変調させていましたね。もちろん、ヴォコーダーも使っていますけど、そのあたりは凝りに凝ってやっていました。
そして、何と言ってもこの「テクノポリス」ですね。ほとんどAメロとBメロの繰り返しでサビは2回しか出てこなくて、しかも4小節で終わっちゃうという(笑)。例の「根性のブリッジ」と呼ばれる教授の早弾きもやっぱりすごい。最初は打ち込みでやったんだけど、何かが違うということで録音し直しているんです。ハイレゾであらためて聴くと面白いですね。
--「テクノポリス」のイントロなどで鳴っている鈴虫とかコオロギのような高い周波数のSEが出てくるところは、ハイレゾをアナライザーで見ると40kHz付近にも及ぶ帯域が立ち上がります。非常に強烈な音ですね。
松武 あー、なるほど。あの音もMOOG ⅢCです。MOOGをはじめとするアナログ・シンセは人間の耳には聞こえない周波数帯域まで上がっていきますから、そういう音を狙って録音したのも事実です。そして、このアルバムを録音したのはアルファレコードのスタジオAにあった24トラックのアナログ・マルチなのですが、他のスタジオに比べてメンテナンスが良くて、音がすごくクリアだったんです。コンプレッションもとてもよくかかっていて、音作りも録音もすごく気持ちよくやれたんですよ。だからこそ、そういう音もしっかり録れていたんだと思いますし、先日、マルチを聴いたときも全然古くないなと感じました。
そして、「キャスタリア」の頭の音はそのスタジオAにあったピアノの蓋を閉める音ですね。
--ハイレゾで聴くと、弦が響いているのがよく分かります。
松武 そうですね。そして、このキックとハイハットみたいな音もMOOG IIICです。
--人気曲「ビハインド・ザ・マスク」も素晴らしい音の宝庫なのですが、例えばヴォコーダーによるヴォーカルの裏で鳴っているキラキラした白玉のコードは何の音ですか。
松武 フェージングがかかって回ってる音ですね。あれはProphet-5です。よく聴くと、いろんなフェイズ・シフターの音が混ざっているようですね。あの頃は本当にいろんなことを試していて、毎日が実験場でした。いま同じことをしたらスタジオ代がかさんで大変ですけど(笑)。
次の曲「デイ・トリッパー」はやはり、幸宏さんの歌と鮎川君のギター・ソロの勝利でしょう。ディーヴォの「サティスファクション」とも違うことをやろうと言って作った曲ですが、いま聴いても古くないですね。
--そして、続いて発売されたのがライヴ・アルバムの『パブリック・プレッシャー』(1980年)です。渡辺香津美さんのギターがカットされているので、ライヴの記録としては不完全ですが、その代わりに坂本さんがキーボード・ソロをダビングしている本作は、言わば架空のライヴ・アルバムとして、YMOのフィジカルな演奏力が楽しめるのも魅力ですね。
松武 でも、「コズミック・サーフィン」をよく聴くとギターの音が漏れ聞こえてきますね。冒頭のMCはチューブスのマネージャー。そしてブレイクのところでギターの音がハイレゾでどれだけ聞こえるかなと思っていましたが、完璧に聞こえましたね(笑)。たぶん、ドラムか何かのマイクが拾っているのでしょう。
--「中国女」のブレイクにもいらっしゃいますね(笑)。
松武 そう(笑)。そうした細かい音も、ハイレゾだとよく分かるんじゃないですか。
--では、頭に戻って「ライディーン」を聴いてみましょう。
松武 レコードのA面(1~4曲)はすべてロンドンのヴェニューでの収録ですが、演奏はすごくいいですね。「ライディーン」の間奏のエフェクト音は、僕と細野さんと教授が出しています。僕のはMOOGですね。いやあ、懐かしい(笑)。何というか、みんながウキウキしている感じがしますよね。幸宏さんの歌もメチャメチャかっこいい。もちろん、細野さんのベースもすごいんですけど。
--坂本さんのダビング作業で覚えていらっしゃることはありますか。
松武 やっぱりソロなので、ギターっぽく歪ませたいということで、確かProphet-5にディストーションを通して録ったと思います。
--録りはアンプで?
松武 ラインだったような気もするけど、アンプでも音を出して混ぜたかもしれません。
--ダビングした坂本さんのソロは全体によく馴染んでいますね。
松武 そうですね、聴きやすいです。

YMOのハイレゾ音源を試聴する松武秀樹さん
■トラブルと隣り合わせだったYMOのライヴ
--演奏者の一員としてステージにもいらっしゃった松武さんですが、あらためてライヴでの役割について教えてください。
松武 いろんなところでお話ししていることですが、僕はライヴでは最後の曲でしかみんなと一緒に演奏できないんですよ。つまり、僕は次の曲のデータをMC-8にロードしたり、シンセのチューニングをして音色を確認したり、準備をしなければなりません。映像では一緒に演奏しているように映っていたかもしれないけど(笑)、実際はそうじゃないんです。まぁ、効果音的なものだけなら多少余裕があるので参加できましたけどね。また、みんながヘッドフォンで聴いているクリックの音もMC-8で出していましたが、ロード時間を短縮するため、あらかじめ決められた小節分をその場でリアルタイムに打ち込んでいましたから。ちなみに、そのクリック音も毎日違うんですよ。
--演奏時のガイドとなるクリック音は、レコーディングでも曲によってあえて違う音にしていたそうですね。
松武 そうなんです。例えばビートが強い曲はくっきり聞こえる音にしていましたし、逆に「キャスタリア」のような静かな曲だとアナログ・マルチのクロストークなどによって音が洩れてしまう場合もありますから、なるべく埋もれるような音にしていました。
--なるほど。それにしても、ライヴは松武さんにとっても、それこそかなりのプレッシャーだったのでは?
松武 はい。ライヴは本当に緊張していましたし、何度も失敗を経験しました。いちばんよく覚えているのが、データが一気に吐き出されて鳴ってしまうというトラブルですね。1979年のボトムラインでは、「ビハインド・ザ・マスク」のデータが暴走してしまって。なぜかお客さんは喜んでるんだけど、こっちは真っ青(笑)。隣の矢野顕子さんに“×”のサインを送って「リフからやって」と。ライヴ・アルバム『フェイカー・ホリック』にはシーケンスが鳴っていない「ビハインド・ザ・マスク」が収録されていますね。でも、あのときも会場は盛り上がったから良かったかなと思っているんですけども(笑)。
--あれだけのシーケンスをステージでリアルタイムに走らせるというのは前代未聞だったわけで、常にトラブルと隣り合わせであっただろうことを思うと、聴いているほうもハラハラします(笑)。
松武 大きな失敗と言えば、何と言っても2回目のワールド・ツアーの「ライオット・イン・ラゴス」でしょう。僕がクリック用のリズムボックスとMC-8のボタン操作を間違えて、同期が半拍ずれてしまったというものですね。衛星中継もされたライヴの1曲目で、どうなることかと思いましたが、たまたま音声回線の状態が良くなくてハイ落ちしていたらしく、あまりバレなかったという(笑)。まぁ、そんなことも経験して、ライヴで何か起きても慌てないという精神力は養われました。そして、やっぱりライヴはレコーディングとは違う表現方法があって楽しかったです。
--ライヴではもう一つ、MOOG IIICなどアナログ・シンセのご機嫌も気になるところだったのでは?
松武 そうです。僕はライヴの合間、みんなとは一緒に行動できないんですよ。タンスなどの機材の準備に時間がかかりましたからね。何時間も前から電源を入れて温めておかないと安定せず、常にテスターを挿して電圧が下がっていないかチェックしたりしていました。ただ、MOOGはアメリカに帰るといい音がしたような気がします。電圧が100Vの日本や240Vのヨーロッパでは電源を調整しなくてはなりませんが、アメリカは120Vでそのまま挿せばいいわけで、「自分の国に戻ってきた」という感じで(笑)。
--なるほど。そうするとアメリカ公演はアメリカ製のシンセの音がいいわけですね。
松武 そうだと思います。
--さて、続いてリリースされたのが異色作『増殖』(1980年)です。
松武 出た(笑)。これもすごいアルバムですよね。スネークマンショーのギャグもスレスレな感じで、全くもって何を考えているんだか(笑)。やっぱりパンクだったんでしょうね。楽曲も「ナイス・エイジ」とかもあってポップなアルバムだと思います。
--では「ジングル“Y.M.O.”」、「ナイス・エイジ」、そして「マルティプライズ」聴いてみましょう。
松武 うん、シーケンスもこのあたりになると面白い音色で演奏されるようになりました。電気的により変調がかかって、ソリッドな音に変わっていったんです。「ナイス・エイジ」は曲のエンディングでいきなり切れるのもいいですね(笑)。
「マルティプライズ」は、冒頭のティンパニーの音もMOOGです。「おい、おい」っていうコーラスみたいなのは3人でやっているんですが、教授の声がいちばん大きいですね。この「すっとこどっこい」みたいに聞こえる幸宏さんのスネアもすごい(笑)。

■みんなで楽しんでほしいハイレゾのクオリティ
--というわけで、ついにYMOも順次ハイレゾ化が進むというリスナーにとっては選択肢が広がる嬉しい状況です。松武さんはハイレゾに対して、音楽の送り手としてどんな感想をお持ちですか。
松武 いい環境になったと思います。以前はまだ、一般の方には少しハードルが高い感じがありましたが、いまはもうかなり身近になってきていますよね。やはり、僕らがスタジオで作っているのと同じような音で聴いてもらえるのは嬉しいです。そして、僕はこうした音のいい環境というものをもっともっと一般の方が楽しむべきだと思います。それこそ冨田先生がご存命であれば、ハイレゾの普及をいちばん望まれたんじゃないかと思いますね。
--それでは、e-onkyo musicのリスナーへ向けメッセージをお願いします。
松武 今日は久しぶりにいい音でYMOを聴けて楽しかったです。ハイレゾにはレコーディングのときのクオリティがほとんどそのまま詰まっているわけですが、それもこれだけ身近になりましたので、ぜひリスナーの皆さんにもこのいい音を楽しんできたいと思います。そして、ヘッドフォンやイヤフォンもいいのですが、見直してほしいのがスピーカーです。空気を振動させて音楽を聴く文化を、もう一度取り戻したいんですよ。そんなふうに、音楽を聴いていただきたいと思いますし、それにお役に立てれば嬉しいですね。
--松武さんの今後のご予定などは?
松武 僕が昔から関わっている山口美央子の35年ぶりとなるニューアルバム『トキサカシマ』がe-onkyo musicでも配信中ですが、そのライヴを計画中です。そして、僕のユニットであるロジック・システムも新作を出す予定です。今回もアナログメインで制作しようと思っていますので、どうかご期待ください。
--それはぜひハイレゾでも聴きたいですね。そしてロジック・システムの旧譜も。
松武 そうですね。僕らとしてもいい音でお届けできるようにしたいと思っていますので、楽しみにしていてください。
--今日はありがとうございました。


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