印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
他人の曲を借用しまくって自分のスキルを自慢した作曲家がいる
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リスト
ヒップホップのサウンドをつくるときに、「サンプリング」という手法が用いられることがあります。既存のレコードのなかから好みの音を抜き出し、それを使って新しい曲につくりかえてしまうという制作上のテクニック。
きわめてゲリラ的であると同時に、ヒップホップに欠かすことのできないクリエイティヴィティのひとつでもあります。
レディーメイド(既製品)から違った価値を生み出すわけですから、サンプリングを使用する際には、できあがった曲にオリジナル楽曲以上の説得力、もしくは異なるオリジナリティを持たせる必要があります。
単なる真似や借用で終わったのでは意味がないし、それどころか品位にも欠けてしまうからです。
そのためアーティストたちは、サンプリング音源を自分なりの解釈で再構築しているのです。
当然ながらその過程においては著作権の所在も問題視されたため、使用料を払うことによってオリジナル楽曲の作曲者を保護するシステムも確立されました。かくしてアーティストたちは、使用料を払うことで曲を使えるようになったわけです。
さて、お金が絡むとなると、そこには“節度”が求められることになります。「金払ったんだから、なんでもやっていいだろ!」ということになってしまったとしたら……もちろんなにをやってもいいのですけれど、品位が失われる可能性はあるからです。なんにせよ、エチケットは大切ですしね。
ところが1990年代の終わりごろ、名前は伏せますが、あるアーティストがそんな暗黙のルールを破りました。「俺が金を払えばサンプリングされたアーティストは儲かるんだ(からwin-winだ)」というような理屈を武器に、原曲をそのまま使いまわしただけの、非常にレベルの低い楽曲を量産した時期があったのです。
僕は当時から、彼のつくるそうした楽曲のことを「“演歌ちゃんちゃかちゃん”のレベルだ」と主張してきました。そんなことをしていたのでは、創造性もヘッタクレもないからです。
サンプリング、あるいは「カヴァー」にも言えるかもしれませんが、原曲を借用する側には、やはりそれなりの品や節度が求められるということですね。
なぜこんなことを書いているのといえば、「借用」について考えていたら、クラシックの世界のある才人のことを思い出したからです。
もちろん、その作曲家と、某ヒップホップ・アーティストとではレベルが違いすぎます。そもそも比較したいわけでもありません。まずは、そのことを強調しておきたいと思います。が、かつてその作曲家がとった行動には、周囲の人たちに誤解されそうなリスクもあったようなのです。
誰のことかって、ハンガリーの作曲家、フランツ・リスト。ご存知のとおり、交響詩『レ・プレリュード』『ラ・カンパネラ』など、数多くの名曲を生み出した才人です。
幼少時から父親にピアノを習っていた彼は、11歳のとき家族とウィーンに移住後、めきめきとその才能を発揮することになりました。
作曲した作品は2500曲にもおよびますが、それだけではなく、彼は超絶技巧を持ったピアニストとしても大きく評価されていました。どんな曲であっても一発で弾きこなしてみせたため、「ピアノの魔術師」と呼ばれていたのです。
でも、その才能が波紋を呼ぶことにもなったのでした。他の作曲家たちの有名な楽曲を、次々とピアノ・アレンジ。つまりは他の作曲家の主題で変奏曲をつくりまくり、それらを積極的に演奏したからです。
たとえばパガニーニ「24の奇想曲」24番を原曲とした「パガニーニによる大練習曲」より第6曲“主題と変奏”などが有名ですね。原曲に忠実に、しかし新たな技法などを加えた楽曲であるため、その構造は現代のダンス・ミューニックにおける「リミックス」に通じるものがあるようにも思えます。
しかしその反面、他の作曲家がつくった楽曲の「オイシイ部分」を拝借することで、自身のピアニストとしての技術の高さを誇示しようとしたとも解釈できるわけです。
まだ著作権法や出版権などが存在しなかった時代のことですから、大きな問題にはならなかったようです。それに、同じような手法で変奏曲を書いた作曲家はリスト以外にもいたはずです。
とはいえ、その数が120曲を超え、バッハ、ショパン、ベートーヴェン、シューベルト、ヴェルディ、メンデルスゾーン、ロッシーニ、ベルリオーズ、チャイコフスキー、ワーグナーなどなど、著名な作曲家による楽曲の多くに手をかけたというのですから、そりゃ目立って当然。
だからこそ、それなりの反感を買っていた可能性は充分にあると考えられるわけです。事実、ショパンはリストのそんなやり方にかなり反感を持っていたという話もあります。
もちろん、一方的に非難はできないでしょう。それらの編曲によって、多くの作曲家が生み出した楽曲が知られるようにもなり、それまでは演奏会でしか聴けなかった名曲の数々を庶民も楽しめるようになったのですから。
しかし、同業者からの顰蹙を買いやすかったことも間違いはなく、そう考えると、なにが正しくてなにが正しくないのか、わからなくなってくるような気もします。
僕はリストといえば『巡礼の年』が大好きで、特に「第1年《スイス》 S160: ウィリアム・テルの聖堂」の冒頭を耳にするたび感動してしまいます。けれど、じーんとしている最中にこのエピソードを思い出したりすると、なんだか複雑な気持ちにもなるのです。
◆今週のおすすめ
『リスト:《巡礼の年》全曲』
ラザール・ベルマン
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」