【3/1更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/03/01
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ニーナ・シモン『ボルチモア』
尊敬する人が旅立った日の夜に聴きたくなった、ニーナ・シモンの隠れた名作


i-Phoneのコール音が寝室に響いたのは、明け方4時のことでした。

「うん……わかった」

妻の声を聞いたとき、なにが起こったのか、すぐにわかりました。
思っていたよりもずっと早く、その日が訪れてしまったんだな。

義父との、本当の別れがその時点で確定したのです。肺がんが転移し、「ステージ4」と診断されていたことは、少し前から知らされていました。

自分にも人にも厳しい、厳格な人でした。
地方の貧しい家に生まれ育ち、妹や弟を高校に行かせるため、自分は中学を出てすぐ就職し、ひたすら働き続けてきたという経歴の持ち主。2度目か3度目の転職で大手印刷会社の職人となり、定年まで勤め上げました。

しかし、その過程では配偶者(僕の妻の母親)を病気で亡くしもしました。やがて迎えた後妻(現在の僕の義母にあたる人)が、とてもいい人だったことが幸いでしたが。

ここには書けないようなつらい経験もたくさんしてきた人なのですが、厳格さの背後にはそんな人生経験があったわけです。そのため彼女(いま妻になっている人)との交際が長くなり、「そろそろご両親に挨拶を」と実家を訪ねたときには、ものすごく緊張したものです。

夜に伺うと、義父もちょうど帰宅したばかりで、まだスーツ姿でした。こちらを見る目が鋭く、身を固くして座っているしかありませんでした。

でも、あとから聞いたら、そのとき義父は後ろから、僕の頭をチェックしていたようなのです。そして僕が帰ったあと、彼女にこう告げたそうです。

「おい、あいつは禿げるぞ」

先見の明があったんだなぁ。

以後もちょくちょく遊びに行くようになりましたが、こちらとしてはなんとか気に入ってもらいたいわけです。そこで、一緒に酒を飲んだときには、歌を歌い始めた義父の横に立ち、一緒に演歌を大声で歌ったりもしました。

そんな言動からもわかるとおり、怖く見えた義父はむしろ天然な人でした。ただ、そうは言ってもやはり交際相手の父親です。結婚したいことを伝えに行ったときには、緊張も極限に達しました。

ダイニングテーブルに向かって並んで座り、彼女と結婚したい気持ちを伝えました。うまく話せているのかどうかも怪しいところでしたが、話し終えたとき、義父がひとことだけ口にしました。

「わかった、よく言った」

こういうとき、「おまえを殴らせろ」と言われたとかいうような話があるじゃないですか。でもそんな展開にはならず、それどころか温かい言葉をかけてもらえたので、とても感動したことを憶えています。

結婚してからも、義父は僕のことをかわいがってくれました。というよりも、からかわれていました。僕は偏食なのですが、ゲテモノといわれるような食べ物が大好きな義父は、食べられるわけがないとわかっているくせに、僕に謎の食べ物を「食え」と差し出すのです。

つまり、「すみません! 無理です」という僕の反応を、おもしろがっていたということ。悪趣味だなぁ。

義父の手帳の電話番号欄に書かれていた僕の名前の後ろに、(旅人・詩人)と書かれているのを見たことがあります。僕は旅人でも詩人でもありませんけれど、義父の目にはそういう“ちょっとヘンなヤツ”と映っていたのかもしれません。

最後に会ったのは、今年の正月でした。妻は「痩せたよねー」と話していましたが、鈍感な僕は特にそう感じてはいませんでした。でも、やはり普通ではなかったようで、その証拠に、それからしばらく経って肺にがんが見つかったのです。

しかもすぐに転移し、手術もできない状態とのことでした。

「俺は死ぬんだよ」

有給をとって会いに行った息子に、義父はそう言ったそうです。なんと答えていいかわからなくて困ったという息子の気持ちもわかりましたが、そのとき一緒に酒を少しだけ飲んだというので、それはとてもよかったなと思っています。

入院した病院ではもうどうにもできないということで、その後は家に戻り、お医者さんや看護師の方の協力のもと、24時間体制で看護していただくことになったようです。

「先生、私はあとどれくらい生きられますか? 2カ月ぐらい?」

義父が逝ったのは、医師にそんなことを尋ねた数日後のことでした。享年80。

苦労が多かった方ですが、退職後は趣味の畑作業に従事し、孫にも恵まれ、穏やかに過ごすことができたのではないかと思います。

「終わりよければすべてよし」という言葉があります。物事でいちばん大切なのは結末で、そこに至る過程は問題ではないという意味。だとすれば、義父はいい人生を送ったということになるのでしょう。

でも個人的には、最後に会えなかったことがとても悔しい。今週末に会いに行く予定だったのに、その2日前に亡くなってしまったのですから、悔やんでも悔みきれません。

義父が旅立った日の夜、ひとり書斎でニーナ・シモンの『ボルチモア』を聴きました。1978年の作品で、CTIレーベルに残した唯一のアルバムでもあります。

彼女とともにアレンジを担当したデヴィッド・マシューズ(p.)を筆頭に、エリック・ゲイル(g.)、ウィル・リー(b.)、アンディ・ニューマーク(ds.)などなど、バックを固めるのは当時のフュージョン・シーンの先鋭的ミュージシャンたち。

本人は制作段階から不満を抱いていたという話も聞いたことがありますが、客観的にみて、間違いなく水準以上の仕上がりだと思います。

ランディ・ニューマンの楽曲をレゲエ・アレンジしたタイトル曲、ユニークな解釈がポイントになったホール&オーツ「リッチ・ガール」など、聴き逃せない楽曲が目白押し。彼女の作品のなかでは決して評価が高いほうではないかもしれませんが、純粋に楽しめることは事実なのです。

この日に聴こうと思ったのは、バラードの「マイ・ファーザー」が収録されているから。こじつけですけれど、義父ということで“父親”にちなんだ曲を聴きたかったのです。

義父とはいえ、僕にとっての彼は、実の父親に匹敵するかそれ以上の存在でした。「男はどう生きるべきか」ということを、“そこにいる”ことで教えてくれたという意味において。

お義父さん、どうか安らかに。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『ボルチモア』
ニーナ・シモン



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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