【2/26更新】印南敦史の「クラシック音楽の穴」

2019/02/26
印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
ティンパニ奏者が自爆する曲がある

カーゲル「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」


映画『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした影響で、クイーンが再評価されています。しかし1970年代の彼らを知るリアルタイム世代としては、あの時代を牽引してきたバンドとして、クイーンと同じくKISSの功績も強調したいと思っています。

奇抜なメイクにコスチューム、火は吹くわ血は流すわ、飛ぶわ跳ねるわ宙に浮くわと、視覚的要素も抜群。思うにあのころKISSに魅了された子たちは、幼いころ怪獣に夢中になったときと同じような気持ちだったのではないかと思います。

僕も行きましたよ、日本武道館公演。生KISS(と書くとなんだか下品な感じですね)を見ることができた感動はいまでもはっきり憶えていますが、ただ、あのときひとつだけ気になったことがありました。

それは、ギタリスト/ヴォーカリストのポール・スタンレーによる定番パフォーマンスの「ギター破壊」。壊すことは知っていたのでそれなりに期待していたのですが、そのときの展開にちょっと戸惑ってしまったのです。

なにしろポールはいま弾いていたギターをスタッフに渡し、ステージの袖から違うギターを持ってきて、それを床に叩きつけて壊しはじめたのですから。

つまり「演奏用」ではなく、「破壊専用」のギターを壊したわけです。

でもね、どうせならリアリティがほしいじゃないですか。せめて気づかれないように、同じ型のギターとコッソリ変えるとか。でも、そういう配慮はなかったから、ちょっとガッカリしてしまったのです。

そういう配慮って大切だと思うんだけどなぁ。

ところでクラシックの世界にも、「破壊系」の楽曲(というよりパフォーマンス)が存在します。しかも破壊するための楽器をあとから持ってくるようなことはなく、わりかし準備は周到です。

ユダヤ系アルゼンチン人の作曲家、マウリシオ・ラウル・カーゲル(Mauricio Raul Kagel)による、“Concert(piece) for Timpani and Orchestra(ティンパニとオーケストラのための協奏曲)”がそれ。

この人は前衛芸術にカテゴザイズされる作曲家で、特徴的なのは表現の自由さ(「奇抜さ」というべきかも)です。前衛だけあって、音楽のみならず、パフォーマンスやハプニングを重視した作風なのです。

作曲は独学で学んだそうなのですが、つまりは型にはめられていなかったからこそ、「こうあるべきだ」というような決まりごとを気にせず、やりたいことを貫けたのかもしれません。

そんなカーゲルの代表作である“Concert(piece) for Timpani and Orchestra”は、ティンパニを6台も使用した楽曲。スリリングで緊張感に満ちた演奏が展開されるのですが、特筆すべきはそのクライマックスです。

なぜって、演奏者が一台のティンパニに上半身を突っ込んで楽曲が終了するのです。これは、「打面替わりに張った紙を破って上半身をケトル(胴の部分)に突っ込む」という楽譜の指示に従ったもの。

つまりは最初から、6台のティンパニのうちの1台の打面(ヘッド)には、頭から突っ込めるように紙が張られているわけです。でも見た目は区別がつきませんから、壊すためのギターをあとから持ってくるようなわざとらしさはないということ。

しかし、それが紙製だとわかっていたとしても、演奏者が頭からケトルに突っ込んでいくという光景の「ありえない感」は強烈です。なお楽譜に記載された量の指示は「fffff」(フォルテシシッシモ)となっており、これは「とてつもなく強く」というような意味だとか。

曲自体が非常に緊張感に満ちた構成なので、その締めくくりにこの展開は最適であるともいえるでしょう。

ちなみにカーゲルは、オルガンの音栓をひたすら開け閉めする「追加されたインプロヴィゼーション」、最終的に指揮者が仰向けに倒れることになっている(その後はコンサートマスターのヴァイオリン奏者が指揮を代行)「フィナーレ」など、他にもパフォーマンス性の強い作品を多く残しています。

と書くとウケ狙いであるかのように誤解されてしまうかもしれませんが、彼はそもそも音楽、劇、パフォーマンス、映画などの要素をミックスした独自の「総合芸術」を実践していた人。つまりこれらは、理にかなった表現なのです。

e-onkyoには、そんなカーゲルの『Chorbuch - Les inventions d’ Adolphe sax』が入っています。2008年に世を去った彼による、前年12月のラスト・レコーディング。

“Concert(piece) for Timpani and Orchestra”のようにパフォーマンスを目的とした楽曲ではありませんが、冒頭から全開状態になる異様な雰囲気には、カーゲルの強烈な個性が間違いなく反映されています。しかも、そこに不思議な中毒性があるのです。

やはり、この人はただものではかなったようですね。


◆今週のおすすめ


『Kagel: Chorbuch - Les inventions d'Adolphe sax』
マウリシオ・カーゲル指揮、オランダ室内合唱団、ラシェール・サクソフォン・カルテット




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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」

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