【2/15更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/02/15
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ウィリー・ネルソン『Stardust』
アメリカン・スタンダード・ナンバーを取り上げた、ブッカー・T.ジョーンズ・プロデュース作品


学生時代、小さなスーパーマーケットでアルバイトをしていたことがあります。恰幅のいい経営者と、20代半ばとおぼしき息子が同じ空間で働いているような家族経営の店。

その息子がレジ担当の女の子に気があるらしいとか、どうでもいい話がどこかから聞こえてきたり、なんだか牧歌的なムードでした。

従業員やアルバイトの人数も多くはないその組織のなかで、なぜか僕は青果担当のWさんという人に好かれていました。おそらく30歳前後の、ちょっとめんどくさい人です。

「あのレジの女の子さ、どうやら俺に気があるらしいんだよ」

どれくらいめんどくさいのかといえば、たとえばこんなことを真剣に話すわけです。

イケメンでもなく清潔感もなく、そもそもコミュ障っぽいWさんに、いちばんかわいいと言われていたレジの女の子が好意を寄せる可能性は皆無と言わざるを得ません。けれど、繰り返されるその言葉と真剣な目つきから察するに、どうやら本気で信じていた様子。

それ以前から経営者の息子の悪口ばかり言っていたのは、同じくその女の子に惹かれていた彼にライバル意識があったからなのかもしれません。

でも僕は年下で、反論するだけの勇気もありませんでしたから、結局はいつも彼の話の聞き役になるしかなかったのでした。

「俺は夜、小説を書いてるんだ」
「へえ、そうなんですか」
「ちびちび酒を飲みながらな。いつか、芥川賞でもとるかもな」

酒を飲みながら書いた小説で芥川賞をとれるはずもないことは、若造だった僕にもわかりました。でも、そんなことは指摘できず、「キッツいなぁ」と思いながら「そうですか」「そうですね」を繰り返していました。

一度だけ、Wさんのアパートに行ったことがあります。別に行きたくなかったのですが、「来い」と言われたので断りきれなかったのです。

スーパーから歩いて10分程度の住宅地の一角に建つ、木造アパートの一階奥の部屋でした。玄関のすぐ横が狭いキッチンになっていて、その奥が四畳半の和室。築数十年は経ているであろう、家賃の安さが想像できる部屋でした。

驚いたのは、部屋がきちんと片づけられていたことです。普段のWさんはどちらかといえばだらしなく見えたので、ちょっと意外でした。

デスクのようなものはなく、折りたたみ式の小さなテーブルがひとつ。その目の前に小さなステレオとテレビがあったので、そのテーブルでテレビを見たりしながら食事をしたり酒を飲むのだろうと想像できました。

たぶん、小説もそこで書いていたのでしょう。でも、原稿用紙もノートブックも見当たりませんでした。

「ウィリー・ネルソンって知ってる?」
「え、ああ、カントリーの人ですよね」
「あんまり知らねえか」
「はい、あんまり聴いたことないです」
「たしかに日本人には、ウィリー・ネルソンを理解できるやつは少ないかもしれねえなぁ。でも、俺は好きなんだよ」

まるで自分が外人であるかのようなことを言いながら、Wさんが青色のレコードをひっぱり出し、それをかけました。ウィリー・ネルソンの『Stardust』というアルバム。

「くぅ~、いいねえ。ブッカー・T・ジョーンズって知ってる」
「あ、はい。その人は知ってます」
「あいつがプロデュースしてるから、サウンドがまたシブいんだよ。スタンダード・ナンバー集なんだけど、深いわけよ」

Wさんが缶ビールとコイケヤのポテトチップスを持ってきて、ウィリー・ネルソンのしんみりとしたバラードをBGMにした、男ふたりの宴会がはじまりました。

その後、酒は「いいちこ」になり、ウィリー・ネルソンの他のレコードも何枚か聴かされました。当時の僕にはその魅力が理解できなかったのですが、Wさんはいいちこを飲み続け、歌の世界にどんどん入り込んでいきました。

「田舎、帰ろっかなぁ……」

間が持たないなぁと困っていたら、Wさんがいきなりそんなことを言い出しました。

「どこの出身なんですか?」
「岩手。俺、長男だし、期待されてんだよ。お袋から戻ってこいって言われてんだけど、でもなぁ……。見合いとかさせられるだろうし、ちょっとなぁ。それに、こっちでやることあるしなぁ」
「小説ですか?」
「も、そうだし。っていうか、最近書いてないんだよ。スランプってやつ。ま、すぐにまた書きはじめるだろうけどね。ストーリーは頭んなかにできあがってるから。でも、それはともかくさ、あのレジの子にも告白しなくちゃなぁって思ってるし」

「あ、それだけはやめたほうがいいです!」と言いたかったのですが、やはり言えるはずはなく、ただモヤモヤとして気分のなかでウィリー・ネルソンの歌を聴き続けていたのでした。

スーパーからWさんの姿が消えたのは、それから数カ月後のことでした。Wさんの上司にあたるおじいさんに「Wさんはどうしたんですか?」と聞いても、「辞めた」と答えるだけ。

「どうして辞めたんですか」
「知らねえ」
「いま、どこに?」
「知らねえよ」

そんな答えしか返ってこなかったし、他の人もまったく話題にしなかったので、結局は辞めた理由も、いまいる場所もわからずじまいでした。レジの女の子にも変化はなかったので、告白しないまま去って行ったのでしょう。

先日、e-onkyoをチェックしているときに『Stardust』を見つけたので、ダウンロードして聴いてみました。あのとき以来とまではいかないけれど、それでも聴いたのはずいぶんひさしぶりです。

オープニングの「Stardust」がはじまったとき、Wさんの「くぅ~」というリアクションを思い出しました。

しかもハイレゾで聴くと、あの四畳半で聴いたそれとは印象がまるで違って、ウィリー・ネルソンが目の前で歌っているような気がしました。

だから、「Georgia On My Mind」「Blue Skies」「All of Me」と続く以後の楽曲にもぐいぐい引き込まれていったのです。

ウィリー・ネルソンの歌はあれからもときどき聴いて、決して嫌いではないということも自覚していました。でも、普通に「いいな」と思う程度だったのです。

ところが改めてハイレゾで聴いてみた結果、ちょっと印象が変わりました。「いいな」じゃなくて、「すごくいい」に。しかも、Wさんのことをひさしぶりに思い出しもしました。

たぶん、あの人は成功していないだろうし、あいかわらず人から敬遠されている可能性は大いにあります。僕も嫌いではなかったにしろ、決して好きでもなかったので、彼を煙たがる人も気持ちもわかるのです。

なのに、いま思い出すと、「元気でやってるかな」と少し気になったりもするから不思議。

ウィリー・ネルソンを聴くたびに思い出してしまうのは、ちょっと困りものではあるのですが。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『Stardust』
Willie Nelson



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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