印南敦史のクラシック・コラム「クラシック音楽の穴」。ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
4分33秒、無音の曲がある
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ジョン・ケージ「4分33秒」
今回取り上げるジョン・ケージの「4分33秒」については、ご存知の方も多いのではないかと思います。現代音楽の巨匠であるケージが、1962年に“作曲”した作品。なぜ“作曲”と“ ”をつけたかといえば、この曲は「無音」だからです。
楽譜はこんな感じ。
I
TACET
II
TACET
III
TACET
ちっとも楽譜っぽくありませんが、「I」「II」「III」はそれぞれ「第1楽章」「第2楽章」「第3楽章」を指し、“TACET”は「休み」の意。つまり3楽章すべてが無音だということです。
なお最初から4分33秒に収めることが決められていたわけではなく、各楽章の所要時間は「演奏者次第」ということになっていたのだとか。
ただ、ピアニストのデイヴィッド・テューダーによる1952の初演が、「第1楽章=33秒」+「第2楽章=2分40秒」+「第3楽章=1分20秒」=計4分33秒という構成になっていたため、これが曲名になったわけです。
なーんて聞くと、いかにもテキトーっぽいですよね。だいいち、この作品が“演奏”されている場面はなかなかにシュールです。
なにしろピアニストがピアノの前でただ停止し続け、観客もそれに従って沈黙するのです。そして4分33秒後に“演奏”を終えたピアニストが立ち上がって礼をすると、観客が拍手をするのです。思わず「うーむ」と唸るか、そうでなければ笑うしかありません。
では、ケージはなぜこういう曲をつくったのでしょうか?
もちろんそこには、さまざまな解釈があります。が、基本的にケージがここで訴えようとしているのは、「音楽の構成要素は“音”と“沈黙”であり、両者を統合することこそが作曲である」ということ。そしてそんななかにあっては、沈黙もまた主張であると考えたわけです。
またクラシック音楽が、バロック~古典派~ロマン派~世紀末音楽~現代音楽という流れのなかでどんどん複雑化していったことへの反発だという解釈もあるようです。クラシック以外の音楽、あるいは美術などに関しても、すでに表現が出尽くしているのは事実ですから、こういう発想に至ることも充分に理解できます。
だから、これはギャグでもウケ狙いでも、ましてや手抜きでもないのです。そう誤解されても仕方がありませんが、いたって真面目なアプローチなのです。その証拠にこの曲は、ジャンルを問わずさまざまなアーティストに支持されてもいます。
YouTubeで探してみるとデスメタル(ヘヴィメタルの深化版)・バンドによるカヴァーなども出てくるのでおもしろいのですが、いずれにしても「音」や「音楽」に対するケージの価値観が共感につながっているのではないかと思います。
個人的に期待しているのは、この5月にイギリスの老舗インディ・レーベルであるMute Recordsからリリースされるという『STUMM433』です。
Muteは80年代のニュー・ウェイヴ・シーンにおいて多大な功績を残したレーベルですが、そこに所属するディペッシュ・モード、ニュー・オーダー、イレイジャー、モービー、ア・サーティン・レイシオ、キャバレー・ヴォルテールら50組以上の超大物アーティストたちが、「4分33秒」をプレイする映像をまとめたボックス・セットだというのです。
すでにライバッハによるヴァージョンがYouTubeで先行公開されていますが、なかなかかっこよかったです。ライバッハはロック・バンドですが、少なくとも僕はここからクラシック(現代音楽)のマインドを感じました。
たしかに「4分33秒」に対しては、「これのどこがクラシックなのか」「話にならない」というような反対意見もあります。事実、テューダーの初演時には激怒した観客もいたそうです。それも納得できる話ではあるのですが、たとえばライバッハのヴァージョンを確認してみれば、「4分33秒」という規制のなかでしかなし得ない表現が存在することがわかるはず。
そう考えるとケージは、「ジャンルを超越したなにか」の重要性を訴えたかったのではないかと考えることもできるのではないでしょうか?
ちなみにこの曲のインパクトがあまりにも強すぎるだけに、「ジョン・ケージ=『4分33秒』」というイメージができあがっているような気がしないでもありません。
しかし(当たり前ですけど)そんなはずはなく、彼は多くの優秀な実験音楽、現代音楽を残しています。現代音楽自体が好みを分かつところかもしれませんが、先入観を排除して聴いてみれば、意外にしっくりくる作品は見つかるはず。
たとえばナクソス・レーベルから出ている『Cage: Works for 2 Keyboards, Vol. 1~3』は聴きやすく、ケージらしさもバランスよく浮き彫りになったとてもいい作品だと思っています。
◆今週のおすすめ

『Cage: Works for 2 Keyboards, Vol. 1』
Xenia Pestova, Pascal Meyer, Remy Franck, Jarek Frankowski

『Cage: Works for 2 Keyboards, Vol. 2』
Xenia Pestova, Pascal Meyer, Remy Franck, Jarek Frankowski, Bastien Gilson

『Cage: Works for 2 Keyboards, Vol. 3』
Xenia Pestova, Pascal Meyer, Remy Franck, Jarek Frankowski
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」