【2/1更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2019/02/01
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
フランク・シナトラ『The Centennial Collection』
シナトラの魅力を教えてくれたのは、あのときの上司、そしてバリ島のプールサイドにいた初老の男性


前回、とてもお世話になった上司のUさんのことを書きました。

そこにも書いたとおり彼は良家のお坊ちゃんで、とても上品な方でした。物腰やファッションなどに育ちのよさがはっきりと表れていたのです。そして音楽も、フランク・シナトラのようにオーセンティックなものを好んでいました。

ヒップホップにハマっていた僕とは対照的だったわけですが、シナトラに酔いしれる仕草もサマになってしまうのです。それがなんだか憎たらしく、おかしなジェラシーを感じたりもしていたのでした。

そもそも当時は、フランク・シナトラのどこがいいのかまったく理解できませんでしたし。

でも、不思議なものです。年齢を重ねるごとに、いつしか僕もシナトラの魅力にとりつかれていったのですから。

それに考えてみると、もともとお上品な音楽は決して嫌いではないんですよね。ナット・キング・コールとか大好きだし。そう考えるとあのころの僕は単純に屈折していて、フランク・シナトラにも大きな偏見を持っていただけなのかもしれません(めんどくせえやっちゃなぁ)。

さて、会社が倒産し、Uさんとお別れしたあのころから一気に10数年飛び、今回は2004年ごろのお話です。

いまはもうやめてしまいましたが、そのころ僕の妻はイラストレーションを描いていました。といっても、主婦をしながら片手間にといった感じでしたが。

つまり職業として成立していたではなかったのですが、それでも何年かに一度、スルッと賞を取ったりしていたので、なんだか不思議な人だなぁと感じたりしたものです。

で、そのころにも、あるコンテストに遊び半分で応募したら大賞を取ってしまったのでした。けっこう多額の旅行券がもらえたので、10歳だった息子と3人で(まだ娘は生まれていませんでした)バリ島に行きました。

滞在したのは、南部の東海岸に近いヌサドゥアでした。外国人観光客のために塀で遮断された、とても治安のいいエリア。その旅行券がなかったとしたら、絶対に行けなかったような高級リゾートなのですから、つくづく妻には感謝です。

ちなみに、うちの家族はみんな観光地巡りなどに興味がないタイプです。だから、一度ウブドまで行ったくらいで、あとは基本的にホテルを中心にぶらぶらしていました。でも、そういう時間がよかったんですよねー。

おぼえているのは、ホテルのプールで過ごした時間です。息子とプールに浸かり、パシャパシャ水遊びをしていただけなのですが、その時間がなかなか楽しかったのです。

そして、僕はそのとき(少なくとも自分にとっては)強烈なフランク・シナトラ体験をしたのでした。

プールサイドでリラックスしているとき、小さな、邪魔にならない音量で、フランク・シナトラの歌声が聞こえてきたのです。

音の発信源は、脇のテーブルに置いてあったポータブルスピーカーでした。隣の席にいた、恰幅のいい初老の白人男性がかけていたもの。サングラスをかけてプールサイドチェアに寝そべる彼は、シナトラの歌に合わせて静かに歌っていました。

でも全然うるさくなく、むしろ、シナトラにかぶさる彼の歌を心地よく感じたのです。

「本当にシナトラの歌が好きなんだろうなぁ」
「この人は、人生のなかのどの局面でシナトラと出会い、好きになったんだろう?」
「歌詞をしっかり覚えてるし、ここまで気持ちよさそうに歌っているということは、かなり聴き込んでいるんだろうなぁ」

いろいろなことを思いました。そして、ただ横にいるだけのその男性に親しみを感じました。声なんかかけたら迷惑だろうなと思って遠慮してしまったけれど、いま思えば、あのとき声をかけるべきだったのかもしれません。そうしたら、いろんな話が聞けたかもしれないのだから。

だから、ちょっと後悔が残るところではあります。

しかしいずれにしても、あのときの“静かな体験”があったからこそ、フランク・シナトラは僕にとっても大きな存在になったのです。

そんなこともあって、帰国後はCDを買い集めたりもしたなー。で、すっかり好きになり、2010年に没後10年記念ベスト・アルバムがリリースされたときには、たしかメーカーのプロモーションのお手伝いもさせていただいた記憶があります。

今回ご紹介したい『The Centennial Collection』はそのときに出たベスト・アルバムではなく、生誕100周年を記念して2015年にリリースされたもの。

全100曲というボリュームですが(26曲収録のコンパクト盤も出ていますが、個人的にはこちらのほうがオススメ)、まったく飽きることはありません。

楽曲の完成度の高さ、シナトラの声とヴォーカル、すべてが極上ですから、なにげなく聴いているだけで心が落ち着いてくるのです。それに、「オール・オブ・ミー」や「カム・フライ・ウィズ・ミー」、「夜のストレンジャー」など有名な楽曲が次々と登場するので、流しているだけでもすごく新鮮。

バリ島のホテルのプールサイドにいたあの男性が、なぜ一緒に歌っていたのか。いまなら、その理由がはっきりとわかります。あるいは、20数年前にシナトラを押しまくっていたUさんの気持ちも、いまなら理解できます。

つまりシナトラの作品には、普遍的で、そして強力な魅力が備わっているのです。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『Ultimate Sinatra: The Centennial Collection』
フランク・シナトラ



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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