印南敦史のクラシック・コラムが装いも新たにリニューアル!ここで明らかにしようとしているのは、文字どおりクラシック音楽の「知られざる穴」。クラシックにはなにかと高尚なイメージがあって、それが「とっつきにくさ」につながっていたりもします。しかし実際には、そんなクラシック音楽にも“穴”というべきズッコケポイントがあるもの。そこでここでは、クラシック音楽の「笑える話」「信じられないエピソード」をご紹介することによって、ハードルを下げてしまおうと考えているわけです。そうすれば、好奇心も高まるかもしれませんからね。だからこそ肩の力を抜き、リラックスしてお読みいただければと思います。
お尻をなめることを要求した作曲家がいる
↓
モーツァルト
クラシックとはまったく関係のない話ですが、2017年の初夏に“Cho Wavy De Gomenne(超WAVYでごめんね)”という楽曲が大ヒットしました。
JP THE WAVYという若い日本人ラッパーのデビュー・シングル。特筆すべきは、この曲が登場するまでほとんどの人が彼のことを知らなかったという事実です。YouTubeにアップされたMVが大きな話題となり、文字通りのバイラル・ヒット(ウィルスのように短期間のうちに伝染していくヒット)となったのです。
いかにも現代っぽいエピソードですが、たしかにこれ、ものすごくいい曲なんです。だから僕もよく聴いていたのですが、リリック(歌詞)について、ずーっと気になっていたことがひとつあったのでした。
それは、彼が曲のなかで「俺の肩なめろ」とラップしていたこと。
「肩をなめろと言われてもなぁ……。いやぁ、なめないし。それって、いま風のイキリ方なの?」ってな感じで、大好きな曲なのに、聴くたびモヤモヤしていたのでした。
でも、だいぶ時間が経ってから謎が解けました。彼は「俺の肩なめろ」ではなく、「俺の刀見ろ」と言っていたのです。ちょっと巻き舌だから、「肩なめろ」に聞こえちゃっただけのことだったんですね。
ところで、そんなことで悩んでいた(というほどでもない)ころ、おかしな現象が何度か起こりました。このことについて考えていると、いつの間にか頭のなかにとある声楽曲が流れ始めるようになったのです。
ヒップホップ・トラックの“Cho Wavy De Gomenne”とその曲が脳内でミックスされ、なんだかとてつもないグルーヴが生成されていったのでした(バカみたいな話ですけど実話です)。
なぜ、そんなことが起きたのか? そもそも、その声楽曲はなんなのか? その問いに対するヒントは、「なめろ」です。
……と、そんなことでいつまでも引っぱっても意味がないので種明かしをすると、それはモーツァルトが1782年に作曲した「俺の尻をなめろ(Leck mich im Arsch)」(K.231)というカノン形式の声楽曲だったのでした。
残念ながらe-onkyoにこの曲はないようですが(そりゃそうだろうなぁ)、れっきとした作品ではあります。その証拠に、たとえばYouTubeでも聴くことができます。
耳にしていただけばわかるのですが、曲としてはこれ、とても美しいんですよ。でも、それは音楽だけを聴いているから感じることであり、言葉がわかる人が聴けば、また印象は変わってくるのでしょう。
ちなみに「俺の尻をなめろ」は原題“Leck mich im Arsch”を直訳したものにすぎず、本来の意味とはちょっと違っているという説もあります。ドイツに古くから伝わる罵倒語で、日本語でいえば「クソヤロー」とか「消え失せろ」などに近い意味があるらしいのです。
そう考えると、この曲がきっかけとなって、モーツァルトにかけられた謎の誤解が解けていくような気もします。ただ、その一方、いろいろ逸話の多いモーツァルトの反体制的な姿勢ははっきりと感じられますね。
事実、これ以外にも「俺の尻をなめろ。きれいにきれいにね(K.233)」なんて曲も出してますし。もっともこれに関しては、モーツァルト以外の作曲家がつくったという説もあるのですが、他にも「おお、お前ばかなパイエルよ (O du eselhafter Peierl) (K.559a) ヘ長調」など、アホなタイトルがついた曲はたくさんあります。
彼の悪童っぷりは1984年の映画『アマデウス』にも描写されていますが、極論をいえば当時のモーツァルトは、4文字スラングを連発する現代のラッパーなどに近いスタンスだったのかもしれません。
冒頭でご紹介したJP THE WAVYが最近、“Neo Gal Wop(ネオギャル男)”という新曲を発表しました。1993年生まれの彼は自分のことをネオギャル男、つまり新世代のギャル男と称しているのですが、そのスタンスって、どことなくモーツァルトの悪ガキっぽさと共通する部分があるようにも思えます。
こじつけではなく、いつの時代も若者は無軌道だったりイキッてたりするもの。そういう意味では、クラシックだろうがヒップホップだろうが、それが人間による音楽である以上は大差ないように思えてしまうのです。
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
◆ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」
◆連載「印南敦史の 名盤はハイレゾで聴く」