【12/21更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/12/21
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
チャカ・カーン『I Feel For You』
ヒップホップのエッセンスをいち早く取り入れた、1980年代のチャカ・カーンを象徴するヒット作


2003年に、光文社・知恵の森文庫から『ブラックミュージックこの一枚』というエッセイを出しました。と書いて自分で驚いているのですが、あれからもう15年も経っちゃったんだなぁ。

でも15年も過ぎれば、なかには忘れていることもあって当然です。たとえばいい例が、この本の序章。僕はここで、チャカ・カーンに会ったときのことを書いているのですけれど、その一部がすっかり記憶から消えているのです。

 彼女と音楽について話しているとき、すごく印象に残る出来事があったのだ。
 好きだという曲のメロディを、彼女がハミングした。それは偶然にも僕が大好きな曲で、数年前までクラブ・プレイ時には必ずかけるほどの「自分クラシック」だった。驚きましたよ。だってマイナーといえばマイナーな曲だったし、そんなところで共感できるとは思ってもいなかったから。思わずうれしくなっちゃって、ヴォーカル・パートを続けて歌ったのである。そしたらチャカが身を乗り出し、握手を求めてきたわけです。
 感無量だったなあ。
(「はじめに」より)

えーとですね、歌いはじめたチャカと一緒に歌ったとか、まったく覚えてません。しかも、握手を求められた? そんなことあったっけ?

だいいち、それはなんという曲だったのだろう? いや、この原稿を書いたとき、「曲名はあえて書かずにおこう。自分の記憶のなかの問題に過ぎないんだから」と、そのようなことを考えたことはなんとなく覚えているのです。けれども、肝心の曲名を忘れているのだから、もう呆れるしかないですね。

でもその一方、記憶にしっかりと刻まれている印象的な出来事もいくつかあるります。

まずは、彼女についての印象です。一般的に、(少なくとも70年代あたりまでは)「自由奔放なじゃじゃ馬娘」というようなイメージがチャカにはありました。だから、とんでもなくファンキーなおばちゃんなんだろうなと思っていたのです。ところが意外やシャイで、どちらかといえばかわいらしい女性。年齢を重ねて落ち着いたということだったのかもしれませんけどね。

そしてもうひとつ心に残ったのは、大ヒットしたシングル曲“I Feel For You”についての裏話です。

ご存知のとおり、この曲はグランドマスター・メリ・メルというラッパーによるラップから始まります。「チャカチャカチャカチャカカーン、チャカカーン!」と、アカペラで彼女の名を連発するところからスタートし、本編へとつながっていくわけです。

その展開には、当時の僕も大きな衝撃を受けました。この曲が流行った1984年当時、ヒップホップやラップはまだまだアンダーグラウンドだっただけに、チャカがそのエッセンスをいち早く取り入れたことに驚かされたのです。

でも、よくよく考えてみると、それは制作サイドのアイデアです。つまり、必ずしもチャカ本人がヒップホップ・ファンだったとは限らないわけです。

そう気づいたのは、彼女の口からこの曲のエピソードを聞かされたことがきっかけでした。

「“I Feel For You”のヴォーカル・パートをレコーディングし終わったところで、気分転換のため外に出たの。数時間後にスタジオに戻ったらもう曲が仕上がってたんだけど、聴いてみたら冒頭で私の名前を何度も連覇してるから恥ずかしくって」

上に書いた「チャカチャカチャカチャカカーン、チャカカーン!」というフレーズのことですね。僕はそれがめちゃめちゃかっこいいと感じたのですが、本人はそれを恥ずかしく思っていたというのです。

しかし、そのときから“I Feel For You”に対するイメージが少し変わりました。

それまでの僕はこの曲を、ヒップホップ的な感覚で聴いていました。他のチャカ・カーン作品と違い、少なくともこの曲に関しては、チャカの声自体を“サウンド”として捉えていたのです。そのくらい、ヴォーカルとトラックとの親和性が高い曲だったわけです。

でも、この話を聞いてからは、サウンドの向こうに生身のチャカの姿が立体的に浮かび上がってくるようになりました。より人間的な印象が強くなったのです。

1978年のファースト・ソロ・アルバム『Chaka(邦題:恋するチャカ)』とか3作目の『What Cha Gonna Do For Me(邦題:恋のハプニング)』など、大好きなチャカ・カーン作品はたくさんあります。というよりも、アルバムによってカラーを変化させてきただけに、どれもが最高傑作だと表現したっていいかもしれません、

ちなみに、そんななかでもいちばん好きなのは『What Cha Gonna Do For Me』なので、この原稿も、同作を紹介しようと思って書きはじめました。

しかし、ここに書いてきたエピソードからも推測できるとおり、『I Feel For You』に対する思入れもまた大きいのです。しかもダンス・トラックのみならず、“Through The Fire”のようなバラードも完成度が高いしなぁ。いかにも80年代的なサウンドも、いま聴くとなおさら新鮮に感じます。

だから予定を変更して、今回はこれをご紹介することにしたのです。

チャカは1953年生まれなので、『I Feel For You』のときは31歳。そして、僕が会った2003年には50歳だったことになります。そう考えると、ずいぶんかわいい50歳だったんだな。

いまは60代半ばということになるけど、いまでもきっとキュートなんだろうなと思います。しばらく新作が出ていないことが少し気になるけれど、だからこそ本作をはじめとする過去の傑作群を改めて聴きなおすべきタイミングなのかもしれません。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『I Feel For You』
Chaka Khan




『What Cha Gonna Do For Me』
Chaka Khan



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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