【12/14更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/12/14
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
ドン・ヘンリー『I Can't Stand Still』
イーグルスのオリジナル・メンバーによるファースト・ソロ・アルバムは、青春時代の記憶とも連動


音楽って、記憶と連動するものですよね。それが、いい記憶であれ、思い出したくもない嫌な記憶であれ。いずれにしても、その音楽を聴くだけで、過去のある地点(における精神状態)に舞い戻ってしまうわけです。

しかも残念ながら、比率でいえば嫌な記憶が蘇ってくることのほうが多いような気がするなぁ。考えすぎかもしれないけれど。

先日、そのことを実感したのは、e-onkyoでドン・ヘンリーの『I Can’t Stand Still』を見つけたときでした。それを探そうと思っていたわけではなく、なんとなく検索を繰り返しているうちにたどり着いたという感じ。

でも大好きなアルバムだったので、1950~60年代あたりのオールディーズを意識したジャケットを見ただけで、古い友人と再会したような気分になれたのでした。

ご存知の方も多いとは思いますが、ドン・ヘンリーはグレン・フライともにイーグルスを結成した重要人物。グレン・フライは2016年に世を去っていますから、現存する唯一のオリジナル・メンバーということになります。

ドラマーであり、ソングライターであり、代表曲「ホテル・カリフォルニア」を歌っているヴォーカリストでもあり……と、イーグルスにおいて非常に重要な役割を担ってきた人。

この『I Can’t Stand Still』は、そんな彼が1982年の夏にリリースしたファースト・ソロ・アルバム。同じイーグルスのジョー・ウォルシュとTOTOのスティーヴ・ルカサーがギター・ソロを披露する“Dirty Laundry”が全米チャート3位のヒットとなりました。

特にドラム・サウンドのヌケが抜群にいい冒頭のタイトル曲、ジェフ・ポーカリのドラムスとダニー・コーチマーのギターがめちゃめちゃかっこいい“You Better Hang Up”、ラス・カンケルのドラムがフックになった“Nobody’s Business”、キャッチーなオールディーズ風味の“Johnny Can’t Read”、ジョー・ウォルシュのギターが“Dirty Laundry”とはまた違った形で味を出す“Them And Us”などなど、他にも魅力的な楽曲がぎっしり。

しかも上記以外にも、イーグルスのティモシー・B.シュミットやJ.D.サウザー、ウォーレン・ジヴォン、アンドリュー・ゴールドやビル・ウィザーズなど、ゲスト参加しているミュージシャンも超豪華です。

個人的には、70年代末期にローニン(Ronin=浪人)というバンドを結成したりもしたセッション・ミュージシャンのワディ・ワクテルがさりげなく入っていたことにも興奮したなぁ。

だから思い出いっぱいなのですが、その一方、僕にとってこれは苦い記憶と連動するアルバムでもあるのです。いや、作品自体の質の問題ではなく、聴くと当時の記憶が蘇ってきてしまうということ。

でも、そのころの経験は思い出したくもないことばかりだし、そもそも自分を肯定できなかった時期だったのです。

一浪した結果、行きたくもなかった大学に入学した年でした。行きたくもなかったのに入学したのは、そこしか受からなかったから。そして、受かったことを告げたとき、父親が涙を見せたことも大きな理由でした。

僕は9歳のときに大怪我をして死にかけているので、メガネを外してさりげなく涙を拭う父を見たとき、「『あの死にかけた息子が、大学に受かったか』と感極まっているんだな」ということが手に取るようにわかったのです。

だから、行きたくもないくせに「行かなきゃ“悪い”」と感じてしまったわけです。

でも、そんな中途半端な気持ちで入学したところで、得られるものなんかたかが知れています。そもそも本人が否定的なのですから(入学式にも親を呼ばず、普段着で行ったし)。

だから、なんとなく楽しいふりはしていても充実感を意識したことはなく、特に中退を意識しはじめた夏以降は、どんどん気持ちが暗くなっていきました。そして、そんなころに『I Can’t Stand Still』が出たのです。

渋谷の宇田川町にあったころのタワーレコードで買ったこのアルバムを聴きながら、まったく先が見えない自分の将来について思い悩んでいました。ここに収録された曲はどれも親しみやすく前向きな感じなのに、聴いている本人は真っ暗だったわけです。

嫌な記憶と連動した音楽なんか、普通は聴きたくもないだろうと思うんですよ。なのにこのアルバムは、なぜか聴けてしまう。嫌なことも思い出すけれど、音楽としての完成度の高さ、説得力がそれに勝る

ちょっとおかしな感覚なんですが、だから聴くたびに「嫌な記憶をかき消してくれるほど、いいアルバムだなぁ」と感じてしまうわけです。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『I Can't Stand Still』
ドン・ヘンリー




『Hotel California (40th Anniversary Expanded Edition)』
Eagles



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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